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2013/10/11

読書となると話はどこからでもはじまること

 留学してよかったと思うことはたくさんある。その上位に位置するのは、ゆっくり本を読む時間が取れるようになったことだ。

 以下は、私が主に春学期と夏休みにかけて読んだ本である。

赤瀬川原平 「ピストルとマヨネーズ」
阿佐田哲也 「ああ 勝負師」
池澤夏樹 「ハワイイ紀行」
岩城宏之 「指揮のおけいこ」
伊坂幸太郎 「死神の精度」
老川慶喜 「日本経済史 太閤検地から戦後復興まで」
大江健三郎 「万延元年のフットボール」
大野健一 「途上国ニッポンの歩み 江戸から平成までの経済発展」
岡島成行 「アメリカの環境保護運動」
小川洋子 「海」
小川洋子 「ブラフマンの埋葬」
小川洋子 「夜明けの縁をさ迷う人々」
小川洋子 「物語の役割」
小川洋子 「みんなの図書室」
恩田陸 「図書室の海」
開高健 「パニック・裸の王様」
開高健 「屋根裏の独白」
開高健 「破れた繭 耳の物語*」
開高健 「夜と陽炎 耳の物語**」
開高健 「日本人の遊び場」
開高健 「知的な痴的な教養講座」
開高健 「開高健の前略対談」
加藤敏春 「スマートグリッド革命」
紀田順一郎 「日本のギャンブル」
木山捷平 「木山捷平全詩集」
今野敏 「果断 隠蔽捜査2」
今野敏 「疑心 隠蔽捜査3」
坂手洋二 「天皇と接吻」
佐渡裕 「僕はいかにして指揮者になったのか」
猿谷要 「ハワイ王朝最後の女王」
庄野潤三 「ガンビア滞在記」
城山三郎 「甘い餌」
城山三郎 「男たちの好日」
城山三郎 「硫黄島に死す」
城山三郎 「外食王の飢え」
城山三郎 「勇者は語らず」
城山三郎 「臨3311に乗れ」
城山三郎 「冬の派閥」
鈴木直次 「アメリカ産業社会の盛衰」
長谷川四郎 「鶴/シベリヤ物語」
高杉良 「バンダルの塔」
高杉良 「局長罷免 小説通産省」
谷川俊太郎 「はだか」
筒井康隆 「わたしのグランパ」 【再読】
中谷巌 「資本主義はなぜ自壊したのか」
西川美和 「その日東京駅五時二十五分発」
野口悠紀雄 「金融工学、こんなに面白い」
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
谷崎潤一郎 「蓼食う虫」
半藤一利 「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」
古井由吉 「槿」
星新一 「夜明けあと」
町田康 「東京飄然」 【再読】
松井博 「企業が『帝国化』する」
松田道雄 「定本 育児の百科」
丸山健二 「水に映す 12の短篇小説」
丸山健二 「イヌワシ讃歌」
三和良一 「概説日本経済史」
村上春樹 「ねむり」
村上春樹 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
村上春樹 「羊をめぐる冒険」 【再読】
村上春樹 「ダンス・ダンス・ダンス」 【再読】
村上春樹 「アンダーグラウンド」 【再読】
村上春樹 「約束された場所で」 【再読】
村上春樹 「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」 【再読】
村上龍 「半島を出よ」
村上龍 「空港にて」
毛利子来 「育児のエスプリ 知恵の宝石箱」
柳井正 「現実を視よ」
横山明彦 「スマートグリッド」
綿矢りさ 「夢を与える」
アルジャーノン・ミットフォード 「英国外交官の見た幕末維新」
ウォルター・アイザックソン 「スティーブ・ジョブズ」
カズオ・イシグロ 「夜想曲集」
カズオ・イシグロ 「女たちの遠い夏」 【再読】
サイモン・シン 「フェルマーの最終定理」
スチュアート・ダイベック 「シカゴ育ち」
バラク・オバマ 「合衆国再生」
ヒラリー・クリントン 「村中みんなで」
リチャード・スミス 「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」
リチャード・ルメルト 「良い戦略、悪い戦略」
ロバート・ハイルブローナー 「入門経済思想史 世俗の思想家たち」
ロバート・ライシュ 「勝者の代償」
グレゴリー・マンキュー 「マンキュー経済学 ミクロ編」
グレゴリー・マンキュー 「マンキュー経済学 マクロ編」
ジョセフ・スティグリッツ 「公共経済学」
ダン・アリエリー 「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」
ダニエル・カーネマン 「心理と経済を語る」
ミルトン・フリードマン 「資本主義と自由」
Dona Wong 「The Wall Street Journal Guide to Information Graphics」
Catherine Smith 「Writing Public Policy: A Practical Guide to Communicating in the Policy-Making Process」
Paul Collier 「The Bottom Billion: Why the Poorest Countries are Failing and What Can Be Done About It」
Sun Tzu 「The Art of War」
Fereidoon Sioshansi 「Smart Grid」
Marilyn Nemzer 「Energy for Keeps: Creating Clean Electricity from Renewable Resources」
Patricia Gosling 「Mastering Your PhD」
Robin Weiss 「The Better Way to Care for Your Baby」
Joseph Stiglitz 「The Price of Inequality: How Today's Divided Society Endangers Our Future」

 相変わらず洋書の数が少ないけれど、まあ、いろいろと読んだものである。これはおそらく、息子が生まれてから、映画やダンスや展覧会やコンサートに出かけなくなったからだろう。

 読書の長所は、どこでもたのしめることだ。喫茶店でも、公園でも、電車でも、飛行機でも、海でも、山でも、お風呂でも、トイレでも(やめた方がいいけど)、あなたの心さえオープンならば、基本的に場所を選ばない。ここまで自由で奥の深い娯楽(あえて娯楽と呼びたい)って、そうあるものではない。いまさらながら、そんなことを思ったのであった。


開高大兄が狐狸庵先生に寄贈して、そのウン十年後、狐狸庵先生がUCバークレーに寄贈して、またそのウン十年後、いま私がこの本を手にしている。それだけで、もう、嬉しくて仕方がない。

(2014年3月17日追記: ほかにも多くの作家が遠藤周作に署名本を寄贈している。私が見つけたのは、丸谷才一「たった一人の反乱」、中上健次「枯木灘」、北杜夫「楡家の人びと」、水上勉「片しぐれの記」、安岡章太郎「走れトマホーク」、小島信夫「月光」、唐十郎「安寿子の靴」、大江健三郎「ピンチランナー調書」、村上龍「限りなく透明に近いブルー」。文学好きにはシビれること請け合いだ)

東アジア図書館の日本語資料はかなり充実している。その経緯は、国立国会図書館月報の記事で詳しく紹介されている。なるほど、古くて怪しい本がたくさんあるわけだ。「變態浴場史」とかね。


 読書となると、話はどこからでもはじまる。

 今回は、本にまつわるあれこれについて、いつも以上に取りとめなく書いてみたい。




<日本語の本の入手方法>
 上に挙げた日本語の本を、私がどのようにして入手したのか。興味ある読者のために、いくつかのパターンに分類してみた。

パターン1: 紀伊国屋書店
 サンフランシスコのジャパン・タウンには、漫画から専門書まで品揃え豊富な紀伊国屋書店があって、ベイエリア在住の多くの日本人を惹きつけている。電話で取り置きもしてくれるので、どうしても発売日に読みたい本(例:多崎つくる)を読むには最適な手段である。
 難点は、定価よりも高いことだ。送料なのか手数料なのかはわからないが、日本で買う値段の約5割増し。これを独占市場の弊害と見るか、まあ異国で買うんだから仕方ないと見るか、このあたりは見解の分かれるところだ。ちなみに、ホノルルの新刊書店も同様の相場観だった(ホノルルではむしろブックオフにお世話になった)。

パターン2: Amazon.co.jp
 日本向けのAmazon.co.jpを使って、海外の住所まで届けてもらうという手もある。難点は、送料がすこぶる高いことだ(国際エクスプレス便だと3,000円もする)。勉強のためにどうしても欲しい本(例:マンキュー経済学)を除けば、なかなか取りづらい選択肢ではある。

パターン3: 友人
 持つべきものは友人というのは本当だ。彼らがバークレーを訪れる機会を捉えて意中の本を買ってきてもらう(例:資本主義と自由)こともしばしばあった。その御礼として、読み終わった蔵書を友人たちに押しつけ・・・もとい、差し上げたりした。本は天下の回りもの、である。
 ちょっと変則的なケースとして、映画監督の友人から映画祭出品作品の字幕翻訳を頼まれて、その報酬のかわりに本を送ってもらう(例:心理と経済を語る)ということもあった。

パターン4: 図書館
 ある種の人々にとって、図書館とはオアシスのようなものだ。バークレーの公共図書館については以前に書いたのでここでは割愛するが、実は大学の東アジア図書館も多くの日本語書籍を有している。大学院生の貸出期間は3カ月という天国的な長さで、私も大いに利用している(例:天皇と接吻)。
 東アジア図書館はモダンな東洋風味の建物で、壁一面の窓からの眺望がすばらしい。GSPPからもほど近く、自習場所としても最適だ。日本語書籍のエリアに近づかないよう留意する必要はあるけれど。


ホノルルとバークレーの公共図書館の貸出カード。どちらも素敵なデザインだ


<二冊の推薦本>
ミルトン・フリードマン 「資本主義と自由」 (日経BP社クラシックス)
 経済学というのは、ある意味で、「市場に任せろ」派と「政府にやらせろ」派の絶え間なき戦いによって発展してきた学問である。そしてこの本は、「市場に任せろ」派の中で、最も有名な古典と言えるだろう。
 まあ古典とはいっても、たとえば「オイディプス王」(約2,400年前)や「プリンキピア」(326年前)と比べれば、51年前に書かれた「資本主義と自由」はずいぶん新しい(経済学というのは若い学問なのだ)。しかし、古典の名に恥じない風格を、この本はすでに有している。
 フリードマンさんはかなりトンがった方であったようで、「20世紀で最も偉大な経済学者」から「異端児(Maverick)」まで、呼び名の振れ幅はまことに大きい。しかし本書を読む限り、この人の凄さは、「明晰な論理」と「平易な説明」という2つの武器の、その見事な研ぎ澄まされぶりにあると思う。
 本書の議論は、現在進行形のものとして、2013年の読者の胸にもしっかり響く。むしろ一周して新しく感じられる箇所もあるくらいだ(職業免許制度の廃止の議論は私には新鮮だった)。氏の主張に与するか否かはさておき、その輝きはもう認めるしかないんじゃないか。
 数式もないし、翻訳もわかりやすいので、公共政策学を勉強される方には一読を薦めたい。「無脊椎動物でもわかる経済学」的な本を読むよりは、たぶんずっと有益だと思う。意欲的な方は、ぜひとも原書にご挑戦あれ。

リチャード・ルメルト 「良い戦略、悪い戦略」 (日本経済新聞出版社)
 著者は、UCバークレーで電気工学の修士を取得 → システムエンジニアとして航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所(JPL)に勤務 → ハーバードビジネススクールで博士号を取得 → UCLAビジネススクールの教授(兼コンサルタント)という経歴を持つスゴイ人。経営戦略学会の創立メンバーでもあり、マイケル・ポーターと並び称されるような経営戦略論における大家中の大家なのだが、一般向けに書かれた本としてはこれが初めてということだ。
 この本の魅力は、簡潔な言葉で本質を突き刺す、鋭くも心地よい筆致にある。たとえば、IKEAの経営戦略の優れた点について、筆者はこのように説明している。

 ・・・鎖構造になった問題を解決するためには、強力なリーダーシップと計画的な取り組みが必要である。逆に言えば、強力なリーダーシップにより巧みに鎖構造を作り上げてしまえば、容易にはまねできなくなる。
 ここでは、スウェーデンの家具メーカー、IKEAを考えてみよう。同社は1943年に設立され、直営店を通じて手ごろな価格の組立家具を販売している。駐車場を完備した巨大な店舗を郊外に展開し、広々としたスペースで豊富な選択肢の中から選べるのが特徴だ。店員の数は少なく、代わりにカタログが充実している。組み立て前の家具は平たくパックできるので、場所をとらず、運送費も保管料も少なくて済む。また店内に在庫品を置いておけるので、顧客はそこから選んで家まで持ち帰ることができ、配送されるのをイライラして待つ必要がない。家具のデザインはほとんどが自前だが、製造は外注である。しかし全世界に展開するロジスティクスは同社が管理している。
 こうしたさまざまなプロセスの効率的な組み合わせこそがIKEAの戦略と言える。だがこの戦略は、秘密でも何でもない。なぜ他社がこれをまねしたり、さらに良いシステムを考え出したりしないのだろうか。同社が世界最大の家具メーカーの地位と評判を守りつづけているのは、彼らの戦略が鎖構造を形成するものだからである。
 IKEAの方針はどれ一つとっても家具業界では異色であり、しかもそれらが緊密に一体化している。たとえば伝統的な家具店では大量の在庫は抱えない。伝統的な家具メーカーは自ら販売はしない。通常の家具店は自分でデザインはしないし、店員の代わりにカタログで済ませるなどということもしない。このようにIKEAのやり方はひどくユニークなうえに、それらが組み合わされて鎖構造を形成しているので、どれか一つをまねするだけでは効果が得られないのである。一つか二つをまねしても、コストが余計にかかるだけで、IKEAに対抗することはできない。既存の業者が本気でIKEAに対抗するにはゼロから事業を設計しなおす必要があり、そうなれば自分の店と共食いになってしまうだろう。だから、誰もやらない。IKEAが颯爽と登場してから55年になるが、いまだに第二のIKEAは現れていない。

 どうだろう。IKEAのビジネスモデルがいかに独創的で、かつ安易な模倣を許さないものであるか、すっと伝わってくる文章ではないだろうか。(本文ではこの後「IKEAが今後も競争優位を維持するための3つの条件」について述べているが、ここでは省略)

 本書のもうひとつの特徴は、好例も悪例も、等しく実名を挙げている点だ。たとえば、良い例として、エヌビディア、パッカー、トヨタ、セブンイレブン・ジャパンなどが紹介されている一方で、ダメな例として、アメリカ国防総省、コーネル大学、ロサンゼルス統合学区、GM、AT&T、NECなどが、どこがどのようにダメなのかを含めて、遠慮斟酌なく俎上に載せられている。
 「ここまで書いちゃって、将来の顧客との関係とか大丈夫なの?」と、読んでいてこちらが心配になるくらいだ。

 戦略とは、目標でも「あるべき論」でもスローガンでもない。それは、具体的な課題を前にして、現実的に取るべき行動を示すものでなければならない。

 これが、著者の主張のひとつである。きわめて明快なスタンスだ。しかし、それができていない事例のいかに多いことか(私はここでルメルト教授のように具体例を挙げる勇気を持たないけれど)。
 「無脊椎動物でもわかる戦略思考」的な本を山ほど読んだけど結局何も身につかなかったという人は必読。むやみに「戦略」という言葉を連呼する輩や組織に疑問を感じたことのある人も必読。私はどちらもあてはまっていたので、MBAの授業ひとコマぶんくらいの価値があった。




<翻訳者・村井章子さん>
 これは後になって気づいたことだが、上に挙げた二冊の本は、ともに村井章子さんの手による翻訳であった。そう思って読み返してみると、専門的な内容を多分に含みながら、日本語の流れがとても自然で、それでいて翻訳者のエゴが変に前に出てこない。かなりの手練の仕事である。この人の翻訳でなければ、二冊ともここまで感銘を受けたかどうか。
 村井章子さんの名前は、寡聞にしてこれまで知ることがなかったけれど、今回、「この人の翻訳なら読んでみようか」という気持ちになった。経済・ビジネスの分野でそうした翻訳者に出会うのは私にとって初めてのことで、とても嬉しい。
 ためしに村井さんの他の作品(つまり翻訳)を調べてみると、「ミル自伝」、「コンテナ物語」、「金融工学者フィッシャー・ブラック」、「マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー」、「収奪の星 天然資源と貧困削減の経済学」などとある。むむむ、どれも私の関心領域に引っかかってくるタイトルだ。帰国したらぜひ手にとってみよう。




<級友たちのおすすめ本>
 夏休みがはじまる直前、チーム・ブラザンビークの一員だったエヴァンの発案により、GSPPの有志による「たのしみのためのリーディングリスト」をつくることになった。
 その呼びかけの文章がなかなか奮っているので、ここに転載したい。

 I like to read, that is, I read for pleasure. But like you, I haven't had much chance to do so these past few months. Now that summer is upon us, and our less-than-pleasurable reading load is substantially diminished, I'm looking to get back into the habit. Since you are all such smart, charming, interesting people, I thought it'd be nice to have a place where we can share our favorite books with one another, so that we can maximize efficiency and address information asymmetries in our hunt for good summer reading.

 以下に示すのが、そのラインナップだ。本好きの方は唸られるのではないか。私もすべてを読んだわけではないが、「イマジナティブでありながら、現実と切り結ぶ覚悟を持った」作品が多い印象を受けた。みんな忙しいはずなのに、ちゃんと滋養ある本を読んでるんだ。
 「GSPPの学生ってどんな人たちなの?」と訊かれたら、このリストを差し出せば足りるかもしれない。あるいは。

Alvaro Mutis 「The Adventures and Misadventures of Maqroll」
ジョン・アーヴィング 「ガープの世界」
ジュノ・ディアス 「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」
コーマック・マッカーシー 「ブラッド・メリディアン」
ジョーゼフ・ヘラー 「キャッチ=22」
アルンダティ・ロイ 「小さきものたちの神」
村上春樹 「海辺のカフカ」
ディー・ブラウン 「わが魂を聖地に埋めよ」
フランス・ベングトソン 「赤毛のオルムの冒険」
David Jonas 「Amethyst Star」
マイケル・ポーラン 「欲望の植物誌 人をあやつる4つの植物」
Sena Jeter Naslund 「Ahab's Wife」
グレゴリー・ロバーツ 「シャンタラム」
Rachel Joyce 「The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry」
Helen Simonson 「Major Pettigrew's Last Stand」
ジェフリー・ユージェニデス 「ミドルセックス」
デイヴィッド・ミッチェル 「クラウド・アトラス」
マーク・ライスナー 「砂漠のキャデラック アメリカの水資源開発」
John Jeremiah Sullivan 「Pulphead」
デイヴィッド・ロブレスキー 「エドガー・ソーテル物語」

ちなみに、私が推薦した本は、

ガブリエル・ガルシア=マルケス 「百年の孤独」
カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

の2冊だ。文学好きの方からは「うーん、ちょっとオーソドックスすぎるんじゃない?」という声が聞こえてきそうだけど(まあたしかにそうなんだけど)、読了後、私の内面に大きな不可逆変化をもたらした作品として、ぱっと思いついたのがこの2冊であった。

 ところで、「海辺のカフカ」を推薦したのは、先日奥さんのブログにも登場したタイ人の女の子です。私も4回読みました。英語版のオーディオブックも聴いてみたんだけど、ナカタさんパートの人の声が味わい深いんですよ、これが。




<愛について>
 自分の愛する本について、その情熱をシェアできる人と静かに語り合う。これは、人生における最大の喜びのひとつだ。

 人種の違いとか、宗教の違いとか、世代の違いなんてのは、愛の大きさに比べれば、まったく取るに足らないものである。

 フョードル・ドストエフスキーが、かつて私に教えてくれた。
 地獄とは何か、それはもはや愛せないという苦しみだ。




<ほしいものリスト>
 最近になって、ひとつの法則を発見した。
 読みたい本の数は、読んだ本の数を常に上回る。
 この法則、たぶん私が死ぬまで通用するだろう。

 Amazonでいうところの「ほしいものリスト」を、試みに載せてみる(今後もひっそりと追記していくつもり)。あなたのリストと重なるものは、ありますか?

阿川弘之 「井上成美」
百田尚樹 「海賊とよばれた男」
高野秀行 「謎の独立国家ソマリランド」
服部正也 「ルワンダ中央銀行総裁日記」
青山潤 「アフリカにょろり旅」
岩本千綱 「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」
都築響一 「演歌よ今夜も有難う 知られざるインディーズ演歌の世界」
都築響一 「東京右半分」
都築響一 「独居老人スタイル」
米沢亜衣 「イタリア料理の本」
田岡一雄 「山口組三代目 田岡一雄自伝」
大川豊 「日本インディーズ候補列伝」
笠原和夫 「映画はやくざなり」
笠智衆 「小津安二郎先生の思い出」
山中俊治 「デザインの骨格」
原研哉 「デザインのデザイン」
有田泰而 「First Born」
平松剛 「光の教会 安藤忠雄の現場」
三木成夫 「内臓とこころ」
徳岡孝夫 「完本 紳士と淑女 1980‐2009」
山野良一 「子どもの最貧国・日本」
細川布久子 「わたしの開高健」
山口果林 「安部公房とわたし」
岩瀬大輔 「生命保険のカラクリ」
伊賀泰代 「採用基準」
ちきりん 「未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる」
南場智子 「不格好経営 チームDeNAの挑戦」
入山章栄 「世界の経営学者はいま何を考えているのか」
楠木建 「ストーリーとしての競争戦略」
琴坂将広 「領域を超える経営学 グローバル経営の本質を『知の系譜』で読み解く」
佐々木紀彦 「5年後、メディアは稼げるか MONETIZE OR DIE?」
佐藤優 「読書の技法」
伊集院光 「ファミ通と僕」
永田泰大 「魂の叫び」
梅原大吾 「勝ち続ける意志力」
高橋昌一郎 「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」
今日マチ子 「COCOON」
吉田秋生 「海街diary」
柘植文 「野田ともうします。」
伊図透 「エイス」
鳥飼茜 「おはようおかえり」
野村宗弘 「とろける鉄工所」
野村宗弘 「カタミグッズ」
小林賢太郎 「鼻兎」
吾妻ひでお 「失踪日記2 アル中病棟」
さそうあきら 「富士山」
さそうあきら 「ミュジコフィリア」
よしながふみ 「きのう何食べた?」
雨隠ギド 「甘々と稲妻」
関谷ひさし 「ストップ!にいちゃん」
グレゴリ青山 「ブンブン堂のグレちゃん」
カラスヤサトシ 「おのぼり物語」
藤子・F・不二雄 「藤子・F・不二雄大全集」(留学中に出版されたもの全部)
藤子不二雄A 「78歳 いまだまんが道を」
荒木飛呂彦 「荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟」
いとうせいこう 「想像ラジオ」
川上弘美 「パスタマシーンの幽霊」
沢木耕太郎 「凍」
筒井康隆 「ビアンカ・オーバースタディ」
筒井康隆 「創作の極意と掟」
石牟礼道子 「あやとりの記」
小川洋子 「原稿零枚日記」
小川洋子、クラフトエヴィング商會 「注文の多い注文書」
司馬遼太郎 「菜の花の沖」
岡本隆司 「近代中国史」
高坂正尭 「宰相 吉田茂」
猪木武徳 「戦後世界経済史 自由と平等の視点から」
上田信行、中原淳 「プレイフル・ラーニング」
金聖響、玉木正之 「ベートーヴェンの交響曲」
向井秀徳 「厚岸のおかず」
増田俊也 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
寄藤文平 「絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える」
今和泉隆行 「みんなの空想地図」
浜井信三 「原爆市長」
鈴木直道 「やらなきゃゼロ! 財政破綻した夕張を元気にする全国最年少市長の挑戦」
神谷美恵子 「こころの旅」
きだみのる 「気違い部落周遊紀行」
今野浩 「工学部ヒラノ教授」
長沼毅 「辺境生物探訪記 生命の本質を求めて」
河本薫 「会社を変える分析の力」
大江健三郎 「人生の親戚」
長嶋有 「問いのない答え」
吉村昭 「零式戦闘機」
佐貫亦男 「不安定からの発想」
ドナルド・キーン 「ドナルド・キーン自伝」
マーセル・セロー 「極北」
リシャルト・カプシチンスキ 「黒檀」
サイモン・シン 「暗号解読」
ベルナール・ウェルベル 「蟻」
イエ・グワンチン 「貴門胤裔」
莫言 「白檀の刑」
レオノーラ・キャリントン 「耳ラッパ」
マリオ・バルガス=リョサ 「チボの狂宴」
ガブリエル・ガルシア=マルケス 「誘拐の知らせ」
ガブリエル・ガルシア=マルケス 「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」
ディーノ・ブッツァーティ 「タタール人の砂漠」
ミハイル・ブルガーコフ 「巨匠とマルガリータ」
ニコール・クラウス 「ヒストリー・オブ・ラヴ」
ジョゼ・サラマーゴ 「白の闇」
イェジ・アンジェイェフスキ 「灰とダイヤモンド」
ラッタウット・ラープチャルーンサップ 「観光」
アントニオ・タブッキ 「供述によるとペレイラは・・・」
ミカエル・ニエミ 「世界の果てのビートルズ」
レイフェル・ラファティ 「九百人のお祖母さん」
ジェイムズ・ホーガン 「星を継ぐもの」
アルブレヒト・ヴァッカー 「最強の狙撃手」
ヘンリー・キッシンジャー 「キッシンジャー回想録 中国」
アルトゥール・ルービンシュタイン 「ルービンシュタイン自伝」
リー・アイアコッカ 「アイアコッカ わが闘魂の経営」
クラウディオ・マグリス 「ドナウ ある川の伝記」
シンシア・スミス 「世界を変えるデザイン ものづくりには夢がある」
ジャレド・ダイアモンド 「昨日までの世界 文明の源流と人類の未来」
ダニエル・マックス 「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」
セオドア・グレイ 「世界で一番美しい元素図鑑」
リチャード・ムラー 「サイエンス入門」
レドモンド・オハンロン 「コンゴ・ジャーニー」
ポール・セロー 「ダーク・スター・サファリ」
オノレ・ド・バルザック 「役人の生理学」
ブランコ・ミラノヴィッチ 「不平等について 経済学と統計が語る26の話」
ジョン・クイギン 「ゾンビ経済学 死に損ないの5つの経済思想」
ダロン・アセモグル 「国家はなぜ衰退するのか? 権力・繁栄・貧困の起源」
ショーン・ウィルシー 「ああ、なんて素晴らしい!」
マーヴィン・ハリス 「食と文化の謎」
エイモリー・ロビンス 「新しい火の創造」
ジョゼフ・キャンベル 「千の顔をもつ英雄」
アレン・ネルソン 「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」
マルクス・アウレーリウス 「自省録」
ポール・タフ 「成功する子 失敗する子 何が『その後の人生』を決めるのか」
ジョン・ケイ 「想定外 なぜ物事は思わぬところでうまくいくのか?」

(2013年10月20日追記:「不格好経営 チームDeNAの挑戦」は、バークレー漂流教室でNさんが貸してくれました。ありがとう、Nさん!)

(2013年11月2日追記:「デザインのデザイン」と「理性の限界」は、バークレーを訪問されたブログ読者のTさんから頂戴しました。Tさん、感謝です!)

(2013年11月20日追記:「内臓とこころ」と「子どもの最貧国・日本」は、バークレーを訪問されたブログ読者のOさん夫妻から頂戴しました。ありがとうございました!)

(2014年3月13日追記:「灰とダイヤモンド」は、バークレーに短期滞在されているブログ読者のKさんから頂戴しました。読ませていただきます!)
 

2013/07/31

「フェルマーの最終定理」を読んだこと

 サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読了した。

 ホノルルのブックオフの1ドル棚で見かけた古本を、同期のM君が以前推薦していたなあと手に取ったのだが、さすがは読書家のM君と言うべきか、これが大当たりも大当たりで、この1年に読んだ本のうち(つまり渡米後に読んだ本のうち)、リチャード・ルメルトの「良い戦略、悪い戦略」と並んで、ノンフィクション部門のベスト・ワンとなった。移動の寸暇を惜しんで歩き読みしてたら危うくトラックに轢かれそうになったし、トイレに行く寸暇を惜しんで我慢読みしてたら危うくウンコを漏らしそうにもなった。とにかく危ういんだ、この本は。


 数学界に聳えるフェルマーの最終定理という名の孤峰に対して、史上屈指の天才たちが、挑戦し、挫折し、挑戦し、挫折し、また挑戦し、また挫折し、そうして延々と続くかに思われた、知力の寄せ波、執念の引き波、その絶え間なき連続が、三百余年をかけて徐々に岩盤を突き崩し、その先に開けたものは、当初は予想だにしなかった「数学の大統一」への道であったという、まあ読んでいて鼻血が出そうになるほどの壮大なドラマを、英テレビ局BBCに勤務する著者は、門外漢ながら(といってもケンブリッジ大学で素粒子物理学の博士号を取っている人なので、いわば最強の門外漢なのだが)細密にして芯の太い筆致で捌き切っている。作家として見事としか言いようがない。

 優れた書籍が往々にしてそうであるように、本書の魅力はメインプロット(本筋)に留まらない。サブプロット(脇筋)として紹介される数学者たちのエピソードにも、読み手の臓腑に深く沁みてくるものがある。たとえば、「三日間ぶっ通しで問題を解いてたら疲労で片目が失明した」オイラーとか、「集中しすぎてローマ兵の誰何に気づかず槍で突かれて死んだ」アルキメデスとか、彼らはほとんど狂気の領域に足を踏み入れているとしか思えないのだが、しかし一方で、ひとつの対象にそこまで情熱を注げる人間という生き物の可能性には勇気づけられる部分もあって、その意味で本書は偉大な人間賛歌でもある。

 そしてもうひとつ、ケン・リベットとバリー・メーザーという2人の数学者が「ストラーダ」でカプチーノを飲みながら革新的なアイデアを発見する場面は、読みながら体温が2℃ほど上昇した。というのも、「Strada」はUCバークレーのキャンパス近くにある有名なカフェで、その店名が私の愛するフェリーニの映画「道」の原題と同じであることから(ザンパノが来たよ!)、個人的にもお気に入りの店だったのだ(ジェルソミーナ!)。
 この小さなコーヒー・ショップで数学の歴史が塗りかえられたのだ、と想像するだけで、妙に誇らしげな気持ちになってくるから不思議なものである。もちろん私は伝説に何の貢献もしていないんだけど。


「たとえこの論文しかもたずに無人島に流れ着いたとしても、頭脳のための食料は十分にあるといえるでしょう。数論の現代的概念はすべてこのなかにそろっている。あるページにはドリーニュの基本定理が出てくるし、ページをめくればエルグアルクの定理に出会います。そうしたいっさいが呼び出されては、次の概念が登場するまで、しばし与えられた役柄を演じるのです」


 プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ教授がフェルマーの最終定理の証明を発表したとき、私は中学生で、「高校への数学」を読んで鼻息をフンフンさせている生意気なガキだった。どのくらい生意気だったかというと、独自にワイルズの証明の欠陥を見つけ出そうとしていたくらい生意気だった(もちろんすぐに挫折した。証明の内容からして理解できなかった)。

 当時の日本でも、フェルマーの最終定理は各種メディアに大きく取り上げられた。私も特集記事をいろいろ読んだが、残念ながらあまり知的好奇心を抱かせるものは無かったと記憶している。それはひとえに私の頭脳の容量不足に因るのだが、もし、あの頃の私が本書に出会い(訳書が出版されたのは2000年なので、その仮定は実際には成立しないが)、深遠なる数学の魔力に魂を奪われていたら、いまの私はどうなっていただろうか。数学者になっていたか。乞食になっていたか。それともその両方になっていたか。歴史にifが無いように、人生にもifは無い。それはわかっているのだが。

 とはいえ、thirteenではなくthirtyで本書に出会った現在の私にも、ひとつ自信を持って言えることがある。血沸き肉踊る濃密な読書体験の尊さは、何歳になっても決して損なわれるものではない、ということだ。


2013/01/22

読書という行為がもたらす代替不能の喜びを満喫したこと

 UCバークレーの冬休みは長い。連続しておよそ4週間以上という、社会人経験者にとっては未踏の長さである。
 この休暇を利用して、故郷に帰ったり、内外を旅行したり、ホーム・パーティーを開いたり、インターンをしたり、そうしてそれらの活動をfacebookで自慢、もとい近況報告するというのが、学生たちにとってひとつのスタンダードとなっているようだ。まことに結構なことである。
 かくいう私も、昼寝をしたり、日なたぼっこをしたり、鼻毛を抜いたり、足の爪を切ったり、その切った爪をティッシュに包んでごみ箱に捨てたりと、大変に充実した休暇を過ごしたのだが、最も時間を費やしたのは読書であった。

 私の思うところ、読書には大きく2種類ある。「自分の能力を高めるための読書」と、「純粋な楽しみのための読書」だ。どちらが良い悪いという話ではない。両方にあてはまる幸福なケースだってあるだろう。ただ、どちらか一方にのみ重心を置きつづけていると、どこか心の安定性が失われてくるというか、然るべき栄養がうまく行き渡らないような部分が出てくる。本好きの方であれば、あるいは私の言わんとするところを酌んでいただけるかもしれない。
 振り返ってみれば、私はこの3年間ほど「自分の能力を高めるための読書」に偏りがちで(実際に能力が高まったか否かは別として)、そろそろ「純粋な楽しみのための読書」を取り戻す必要を感じていたのだ。漠然と、しかし切実に。


 以下は、私がこの冬休みに読んだ本である。

 色川武大 「無職無宿虫の息」
 内田百閒 「けぶりか浪か」
 江國香織 「赤い長靴」
 大岡昇平 「野火」
 開高健 「輝ける闇」
 開高健 「ロマネ・コンティ・一九三五年」
 開高健 「珠玉」
 開高健 「ずばり東京」
 開高健 「小説家のメニュー」
 川上未映子 「乳と卵」
 司馬遼太郎 「アメリカ素描」
 司馬遼太郎 「坂の上の雲」
 城山三郎 「アメリカ細密バス旅行」
 田辺聖子 「田辺写真館が見た“昭和”」
 谷崎潤一郎 「陰翳礼讃」
 谷崎潤一郎 「お艶殺し」
 中村紘子 「ピアニストという蛮族がいる」
 新渡戸稲造 「武士道」
 橋爪大三郎 「アメリカの行動原理」
 村上春樹 「海辺のカフカ」【再読】
 Haruki Murakami 「Kafka on the Shore」
 村上春樹 「スプートニクの恋人」【再読】
 村上春樹 「螢・納屋を焼く・その他の短編」【再読】
 村上春樹 「回転木馬のデッド・ヒート」【再読】
 村上春樹 「TVピープル」【再読】
 村上春樹 「レキシントンの幽霊」【再読】
 村上春樹 「象の消滅」【再読】
 村上春樹 「神の子どもたちはみな踊る」【再読】
 村上春樹 「東京奇譚集」【再読】
 村上春樹 「意味がなければスイングはない」【再読】
 村上春樹 「走ることについて語るときに僕の語ること」【再読】
 Haruki Murakami 「What I Talk about When I Talk about Running」【再読】
 山崎豊子 「暖簾」
 山田風太郎 「戦中派不戦日記」
 山本七平 「『派閥』の研究」
 楊逸 「ワンちゃん」
 ウィリアム・フォークナー 「響きと怒り」
 ヒラリー・クリントン 「リビング・ヒストリー」
 ドナルド・キーン 「明治天皇を語る」
 ジョン・クラカワー 「荒野へ」
 ロバート・スカラピーノ 「アジアの激動を見つめて」
 ルース・ベネディクト 「菊と刀」
 ジョン・ガルブレイス 「不確実性の時代」
 ジョセフ・スティグリッツ 「ミクロ経済学」
 ジョセフ・スティグリッツ 「マクロ経済学」
 Tim Harford 「The Undercover Economist」
 Max Depree 「Leadership is an Art」
 James Maas 「Power Sleep」
 William Rogal 「Guadalcanal, Tarawa and Beyond」
 Eleanor Coerr 「Sadako and the Thousand Paper Cranes」


 洋書が少ないのは反省点だが、まあ仕方がないという気持ちもある。英語の活字を追うのはどうしても時間がかかるし(日本語の5倍以上かかる)、文章の奥深くに潜り込んで遊泳するような高密度の読書体験を味わうには、私の英語力はまだまだ及ばない。「純粋な楽しみ」として洋書を読めるようになること、これは私の目標のひとつである。

 ところで、上記の書籍のほとんどはバークレーの市営図書館(Berkeley Public Library)から借りたものである。そう、ここには日本語の本がたくさんあるのだ。蔵書数を数えたことはないが、全部で1,000冊くらいあるのではないか。
 その多くの背表紙には、サンフランシスコの紀伊國屋書店のものと思しき値札シールが貼られている。バークレー周辺に住んでいた日本人たちが寄贈したものなのだろう。「のだめカンタービレ」や「君に届け」などのマンガまである。ありがたいことである。



 この図書館でもうひとつ感心したのは、延滞料金をしっかり徴収することだ。1日あたり25セント~1ドル(貸出品の種類により異なる)。同種の措置を講じる日本の公立図書館が、あるいは存在するのかもしれないが、少なくとも私は聞いたことがない。1週間、いや1ヶ月も延滞したところで、「今度は気をつけてくださいね」といった事務的な勧告に留まるのが通例ではないだろうか。これはよろしくない、と私は思う。
 図書館が儲けるためではなく、経済学でいう「負のインセンティブ」による効率化のために、延滞料金の制度を日本の図書館にも導入したら良いと思うのだが、いかがだろうか。その道のオーソリティがこのブログを閲覧されているのであれば(その可能性は低いけど)、ぜひとも積極的な検討をお願いしたい。
 と、なぜ私がこのように勢い込んで訴えているかというと、つい先日1.75ドルを徴収され、「負のインセンティブ」の効果を身をもって学んだからである。延滞、ダメ。ゼッタイ。
 (2013年2月5日追記: その後、さらに2.75ドルを徴収された)

2013/01/06

「Guadalcanal, Tarawa and Beyond」を読んだこと

 冬休みはガダルカナル島へ慰霊の旅に出るつもりだったが、諸事情により断念。その代償行為として、「Guadalcanal, Tarawa and Beyond」を読む。これは、1922年生まれのWilliam W. Rogal氏が、2010年(88歳)の時点で自らの海軍生活を振り返ったメモワールである。

 1942年11月3日。ガダルカナル島の茂みを歩いていた著者は、日本兵に遭遇し、職務として彼を銃殺する。齢17にも満たない(と観察される)青年の恐怖に竦んだ眼を、著者は生涯忘れられないという。

 世が世なら、その青年は私であったかもしれない。私はその可能性について考える。20歳の米兵にライフル銃で胸部を撃ち抜かれ、本土から6,000km以上離れた異国の地に斃れる人生と、その意味について。


 苦しき日日を耐えながら
 苦しきままに斃れたる
 (吉田嘉七「ガダルカナル戦詩集」/戦友斃る)
 

2012/07/30

「ローマ法王に米を食べさせた男」を読んだこと

高野誠鮮「ローマ法王に米を食べさせた男」は、石川県羽咋市役所に勤める一介の職員でありながら、その異能ぶりによってスーパー公務員として世に知られる著者による、痛快無比な仕事本である。

本書を読むと、高野さんがプランナーとして、プロデューサーとして、ファシリテーターとして、ネゴシエーターとして、いかに抜群のセンスを持っているかがよくわかる。個人的には、2012年「読んでいて体の芯が熱くなった本」部門、ベストワンだ。

次から次に面白いエピソードが繰り出される本書を要約するのは簡単ではないけれど、以下に箇条書きを試みる。

・NASAから本物のロケットを1000万円で買いつけたり、月の石を100年無料で借りるなど、宇宙科学博物館の立ち上げに向けて奔走するも、上司の嫉妬を買い、「クズ職員が行く」とされる農林水産課に左遷。

・神子原地区は65歳以上が人口の半数を超える「限界集落」で、平均所得はわずか87万円。高野さんのミッションは、60万円の予算(!)で、この地区を活性化させること。

・1年で成果を出すために、「会議はやらない」「稟議書は出さない」「決裁書は作らない」「上司には事後報告」という、「後出しじゃんけん法」を市長に提案。了承させる。

・都市住民に「棚田オーナー」になってもらい(米40kgで3万円)、田植えや刈り取りの作業をしてもらう制度を構築。CIAの「ロバートソン査問会」レポートの戦略に基づき、イギリスの領事館員に第1号オーナーになってもらうことで、内外のマスコミにアピール。

・都会の若者を農家に招いて農業体験をしてもらう制度を提案するも、県庁から旅館業法にひっかかるとクレームがつく。そこで、日本古来の伝統文化である「鳥帽子(よぼし)親」のアイデアを活用し、(仮とはいえ親子関係であり)商売ではないため法律違反にはならない、というアクロバティックな主張で許可を得る。

・神子原のコシヒカリをブランド化するため、天皇皇后両陛下への献上を試みるも、宮内庁に断られる。そこで今度は、(神子原を直訳すると「the highlands where the son of God dwells=イエス・キリストの住まう高原」ということで)ローマ法王ベネディクト16世に手紙を書く。ローマ法王がお米を食べるかどうかは知らないけれど。

・数ヵ月後、ローマ法王庁から連絡あり。市長には事後報告して、とりあえず大使館に同行してもらい、最終的に献上米の許可を得る。その2日後から、神子原米の売り上げが爆発的に伸びる。

・エルメスの書道家に米袋のデザインを直接お願いし、書いてもらう。

・県内の酒造メーカーと組んで、日本でいちばん高い酒を造ってもらう。

・ミシュランの三ツ星を獲得したアラン・デュカスに米のワインを造ってもらう。

・デジタル・グローブ社と交渉して、人工衛星を使った米の食味測定を無料でやる。

どうだろう、この行動力。この突破力。こうして書いているだけで、テンションが上がり、鼻息もふんふんしてくる。

可能性を無視するのが最大の悪策、と高野さんは主張する。本当に「役に立つ」のが「役人」です、という。いや本当にそのとおりだ。私もがんばらないと。


 

2012/06/03

「はじめてのアメリカ法」を読んだこと

UCバークレーの公共政策大学院では法律学が必修科目なので、予習を兼ねて樋口範雄「はじめてのアメリカ法」に挑戦してみた。私はアメリカ法についてほぼ無知に等しかったが、ケース(判例)を肴とした滋養ある語り口にゆるゆると惹きこまれながら読むことができた。

例えば、「マクドナルドのコーヒーをこぼしてやけどした81歳の女性に対して約300万ドルの賠償が認められた」という話を聞くと「なんだそりゃ」「狂っとる」などと思うけど、でもその判決に至るまでの経緯(過去10年間で同様の事故のクレームが700件あったのにマクドナルドは何ら措置を取らなかった)や、その背景(マクドナルドはコーヒーの香りを維持するために他店のコーヒーより敢えて高い温度設定にしていた。そして被害者のやけどは植皮しても一生傷跡が残るレベルだった)、あるいは賠償額の相対価値(マクドナルドの1日あたりのコーヒーによる収益は当時130万ドルあまり)を考慮すると、むしろきわめて妥当な判決のように思えてくる。そんな具合に、この本には読者に発見と知的興奮を促す仕掛けがたくさんあって、実に「本の読ませ方」を心得ていて面白い。

アメリカにとって法律というのはつまり、「正義」を具現化するための最も有力なツールなのだ。本書を読んで得た(浅いながらの)私の理解は、それである。

2012/04/05

スティグリッツ「入門経済学」を読んだこと

当初の計画よりも遅れてしまったが、ようやくスティグリッツの「入門経済学」(Introductory Economics)を読了した。お酒に弱い人が焼酎をちびちびとなめるように、少しずつ少しずつ読み進めていったので、達成感もひとしおであった。

私はこれまで経済学と名のつく学問に取り組んだことが無かった。しかし、まがりなりにも日本社会のサラリーマン、もといビジネスパーソンとして仕事をしていると、そのことを後悔する場面は少なくない。例えば、経済学の素養を積んだ人と意見交換をしていても、いまひとつ議論のトラックに乗り切れないというか、ある種の引け目を感じてしまうことがよくあった。
これを克服するためには、たぶん、断片的雑学的にではなく、しっかりと系統的に経済学を勉強する必要がある。そんなわけで私は一念発起して、経済学部の学生の教科書としても定評のある同書に挑戦することにしたのである。

この500ページを超える大著を(意外にも楽しく)読んだ私の感想は、主に以下の2点である。
ひとつには、経済学は、いまそこにある問題への解決策を対症療法的に与えてくれるものではないけれど、もう一歩下がったところで、問題に対する考え方の枠組みを授けてくれるものなんだな、ということだ。
もうひとつは、公共政策学という学問体系には思ってたよりも深く経済学が関わってくる、というか、むしろ経済学こそが公共政策学の基幹をなすものなのだ、ということである。
経済学を多少なりとも学んだ経験のある方にとっては、もしかしたらどちらも当たり前にすぎることかもしれない。しかし、私には重要な気づきであった。例えば、「失業とインフレーションはトレードオフ(交換)の関係にある」という経験則があって、これはすなわちインフレ率が上がると失業率は下がるけど逆もまた然りだよ、ということである。何でそんなことが言えるのか、あるいはその法則はいつどんなときにも正しいものなのかについて疑問を持たれた向きは、本書を読むと得心すること請け合いである(丁寧で滋養ある解説がこの本の素晴らしいところだ)。いずれにせよこのことを分かっているのと分かっていないのとでは、今後政府が何を為すべきか(何を為さざるべきか)について考える上で、相当な差が出てくるに違いない。

本書と併せて、岩田規久男「経済学を学ぶ」も読んだ。Amazonで評価が高かったので購入したのだが、評判どおりの素晴らしい本。無味乾燥な知識の羅列に堕すことなく、スティグリッツの本と同じように、物事の考え方、アプローチの仕方に力点が置かれているのが良かった。新書サイズで手軽に読めるのも良い。「入門経済学」を鞄に詰めて毎日通勤するのは、なにせ大変だったんだから。

2012/02/26

「政策立案の技法」を読んだこと

 先月、向こう半年間の身の処し方を決めた際に、「A practical guide for policy analysis」を通読するという目標を掲げたのであったが、1カ月以上を費やして、先日ようやくこの書籍を読了することができた。

 本書の著者であるEugene Bardach氏は、目録によれば1973年からカリフォルニア大学バークレー校公共政策大学院(Goldman School of Public Policy。私がダメモトで出願した大学院のひとつだ)で教鞭を取られている人で、公共政策学という比較的新しい学問分野において重鎮とも言えるポジションにあられるようだ。今年初旬に第4版が出たとのことで、私が読んだのはそれであった。

 「A practical guide for policy analysis」は、180ページ程度の薄い本だが、その密度はなかなかに濃厚だ。Introductionで著者自らが教え子の言葉を借りて評するように、「この本は、さっと楽しく読んで済ませるには適さない。むしろ繰り返しその機知を味わい参照すべき基本書として位置づけられるものである」。私もそう思う。

 タイトルには「Policy Analysis」とあるが、政策分析に留まることなく、政策立案の領域にも踏み込んでいる。本書の前半では政策分析/立案を行う上で有用な「8つのステップ(The Eightfold Path)」を紹介し、後半ではそれらをどう実践するかについて、いくつかの具体例(例えば、米国内のコカインの消費量を減らすためにどのような政策を実行するべきか)を用いて詳述している。

 ここで「8つのステップ」とは、
 ステップ1  問題を定義する (Define the Problem)
 ステップ2  証拠を集める (Assemble Some Evidence)
 ステップ3  政策の選択肢を用意する (Construct the Alternatives)
 ステップ4  評価基準を選ぶ (Select the Criteria)
 ステップ5  成果を予測する (Project the Outcomes)
 ステップ6  トレードオフに直面する (Confront the Trade-Offs)
 ステップ7  決断する (Decide!)
 ステップ8  ストーリーを語る (Tell Your Story)
のことである。こうして書くと何てことないようだが、掘り下げていくと現実の政策立案はそんなに簡単にはいかないし、大変なエネルギーを要するものであるということが、この本を読むとよくわかる。

 私がこの本を読んで得たいちばんの収穫は、公共政策大学院で何を勉強するのかというイメージを描けたことだ。読者各位は「えっ。9校も出願しておいて、そんな基本的なところも抑えていなかったの」と驚き呆れられるかもしれないが、正直申せば、そのとおりである。

 逆に言うと、これから公共政策大学院への出願を検討される方は、本書を読んでおいて間違いはないだろう。私の勉強机の引き出しの中に突如タイムマシンが出現して、1年前の自分に会いに行けるとしたら、「つべこべ言わずこれを読め」と本書を押し付けたいものだ。

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(2013年4月14日追記: 本記事の約3ヵ月後に、UCバークレー公共政策大学院の日本人卒業生による訳書「政策立案の技法」が出版された。以下は、私がAmazon.co.jpに寄せた書評である。各ステップの和訳が上の文章と微妙に異なっているが、あえてそのまま転載する)

<政策立案の技法>
UCバークレー発、政策分析の定番教科書。
あるいは、「世の中を良くする」ための手引書。


 ビジネスの分野では「マーケティングの4P」や「ポーターの5F分析」などのフレームワークが根強い人気を誇っているが、本書で紹介されている「8つのステップ」は、公共政策(Public Policy)版フレームワークと言えるかもしれない。著者はUCバークレー公共政策大学院で40年近く教鞭を取られた方とのことで、読み終えてみると、その経験の蓄積が200ページ弱の本書に濃縮還元果汁的に詰まっているような印象だ。

 「政策分析は科学(サイエンス)というよりは技術(アート)だ」と主張する本書によれば、8つのステップとは以下のとおりである。

 ステップ1  問題を定義する
 ステップ2  証拠を集める
 ステップ3  政策オプションを組み立てる
 ステップ4  評価基準を選ぶ
 ステップ5  成果を予測する
 ステップ6  トレードオフに立ち向かう
 ステップ7  決断!
 ステップ8  ストーリーを語る

 著者はこの8つのステップそれぞれにおいて、具体的に何をするべきか(あるいは何をするべきでないか)について、読者に寄り添うように丁寧な説明を展開する。例えばステップ2の「証拠を集める」では、「コンタクトの難しい情報源に接近する方法」「ヒアリング時に会話を盛り上げる方法」「身構えた情報提供者を動かす方法」「政治的な思惑からの批判を防ぐ方法」といった、どこまでも実践的なアドバイスが満載で、ひとつの読み物としても面白い。

 政策分析というと何となく難しい印象があるけど(私もそう思っていたけど)、それは要すれば「世の中を良くする」ための手段であって、本書はそのための絶好の手引書である。国家公務員、地方公務員、NPO職員、学生、その他「世の中を良くしたい」と考える向きには一読をお薦めしたい。

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(2013年6月27日追記: この教科書を使った政策立案の授業について関心のある方は、「32時間プロジェクトの苦しみを楽しんだこと」や「2013年の春学期を生き延びたこと」の記事も併せてご参照ください)

2012/01/21

放送大学で「現代日本の政治」の試験を受けたこと

 今日は、放送大学東京足立学習センターで「現代日本の政治」(久米 郁男、河野 勝)の単位認定試験を受けてきた。

 私がこの科目を選択した理由は2つある。
 1つ目は、大学で物理専攻だった私は政治学に類する分野の授業をこれまでほとんど受けておらず、留学する前に最低限の知識を身につける必要を感じたからだ。
 2つ目は、現代日本の馴染み深い事例を取っ掛かりとすれば、多少なりとも楽しく学べるのではないかと考えたからだ。

 結論から言うと、「現代日本の政治」は、上記2点を十分に満足するものであった。といっても私はテレビジョン受像機を所持していないため、肝心の通信授業を聴講できずに、勉強は専らテキストに頼るほかなかった。そんな境遇の人が他にもいるかどうかは分からないが(私だけかもしれない)、それはそれで腰を据えて読書に励むことができたので、悪くなかったと思う。
 テキストは簡潔かつ系統立てて整理されており(少なくとも初学者の私にはそう思えた)、全体を通して「新たな理論/概念の紹介 ⇒ 日本の戦後政治における実例」といった具合に記述が進む。これはとても分かりやすかった。

 例えば、政治学では「M+1法則」というものがあるらしい。これは要すれば「中選挙区制における選挙の当選者をM人とすると、その候補者は「M+1」人に収斂していく」という経験則なのだが(プラス1というのは次点の候補者であるが、それ以下の得票数の候補者たちは勝ち目が薄いため、選挙区から自然に淘汰されていくという理屈)、実際に中選挙区制にあった戦後日本において野党の多党化が進み、与党=自民党の派閥化が生じたのも、この法則から説明されるわけである。もちろん違った理屈もあるのかもしれないけれど、望むと望まざるにかかわらずプレーヤーの行動はルールに依るという説明が、私にはとても興味深く、また強い説得力を感じさせるものであった。

 私は戦後史の基礎教養に乏しい。歴代総理のイメージは、さいとうたかをの漫画「歴史劇画 大宰相」がせいぜいである。例えば、私が鳩山一郎と聞いて脳裏に浮かぶイメージは、本人のそれではなく、精神的に追い込まれるとすぐ泣いちゃうんだけど人の善さそうなおじさんの似顔絵(つげ義春の「無能の人」の主人公にちょっと似ている気がする)である。
 そんな体たらくであるから、私にとってこの本は、政治学というよりむしろ日本戦後史の文脈で鱗が落ちることもしばしばであった。白状すれば、私は「日本の福祉政策のレベルを先進国並みにしたのは、田中角栄内閣であった」(156ページ)という事実をまったく知らなかったし、「美濃部東京都知事が老人医療費無料化を先導したことは有名である」(114ページ)ことも知らなかった。思わず通勤電車内で、「へぇ~」と大きな声を出してしまった。その後すぐに隣の女子高生が席を立ったのは、次の大手町駅で降りるためであったと信じたい。