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2014/02/06

現実逃避の効用を称揚したいこと

 留学中に実感したことのひとつは、Resilienceの重要性だ。

 異国の地で勉強するというのは、なかなかどうしてストレスフルな行為である。文化の相違がもたらす混乱と不安。外国語で意思疎通することのもどかしさ。程度の差こそあれ、傷ついたり、落ち込んだりしない方がおかしいというものだ。

 ストレスを避け続けることはできない。大事なのは、そこから自発的に立ち直る力、すなわちResilienceである。




 Resilienceを身につけるにはどうすればよいか。アメリカ心理学会(American Psychological Association)によると、以下の方法が有用であるという。

1.  家族や友人と良好な関係をつくる。
2.  危機を克服可能なものとして捉える。
3.  変化を人生の一部として受け入れる。
4.  自分の目標に向かって進む。
5.  きっぱりと行動する。
6.  自己発見の機会を探す。
7.  自分を肯定的に受けとめる。
8.  長期的な展望を持つ。
9.  楽観的な姿勢を保つ。
10. 自分の内面に注意を払う。

 我が身を振り返ってみると、留学中のアベレージとして、7割程度はクリアできていたと思う。全体の相場観はよくわからないが、まあ、万事快調と言ってよいだろう(ヒント:自分を肯定的に受けとめる)。

 けれども私は、心のダークサイドと無縁に生きてきた人間ではない。「きっぱりと行動する?それができないから苦労しているんだよ・・・」という怨嗟の声があれば、共感してしまう部分は少なからずある。

 そこで私は、Resilienceを獲得するためのもうひとつの方法として、

11.  適度な現実逃避を行う。

を挙げたい。先述の「10の方法」を優等生サイドの提案とするなら、こちらはいわば劣等生サイドの提案だ。




 現実逃避と一口に言っても、いろいろなものがある。

 家族を捨てて失踪する。
 サイコロの出目に全財産を託す。
 食べると新しい世界が見えるキノコを食べる。
 自分で神様を創作し、その指示に従う。
 特殊な電波を受信し、その指示に従う。

 このような行為は、あなたの人生に深いコクを与えてくれることだろう。他方で、社会復帰がやや難しくなるという欠点もあるのもたしかだ。

 留学中の現実逃避は、やはり適度なものがよい。いじめられっ子の小学生が、来週の少年ジャンプを読むまではとりあえず生きていようという、そういうレベルの現実逃避だ。




 人生に「立ち向かっていく」のではなく、「凌いでいく」という発想。
 今回は、私がこれまで見聞した現実逃避のうち、特筆すべきものを紹介したい。




<現実逃避その1: どじょうを愛でる>
 苦難に満ちた留学準備を乗り切ることができたのは、私の場合、どじょうたちに負うところが大きい。彼らは、いまを遡ること6年前、私が「墨田区ちびっ子どじょうすくいまつり」(仮称。というか正式名称を失念)に参加したとき以来の愉快な同居者であった。

 どじょうの魅力は、第一に、そのとぼけた顔にある。なぁーんも考えてないような、いや実はハイゼンベルグの不確定性原理について深い洞察を巡らせているかもしれないが、少なくとも外見からはそうした知的気配をまるで感じさせない呆けた顔立ち。そこには何かしら見る者の緊張を緩和させるものがある。

 第二の魅力は、予測のつかない動きだ。彼らは、底砂に埋もれて頭だけちょこんと出していることもあれば、仲間と横一列に並んだまま、ずうぅぅぅぅっと沈黙していることもある。水草に沿って垂直の姿勢で数十分も固まっていたかと思うと、次の瞬間には発狂したように猛泳する。夜間に水槽から飛び出して、朝起きたら畳の隅っこで動かなくなっていた、なんてこともある(ダメモトで水の中に入れたら復活した。どじょうの生命力をなめてはいけない)。

 彼らはなぜ、そのような行動を取るのか。動機は何か。目的は何か。これがまったくわからない。奥さんの言葉を借りるなら、感情のやり取りを行う余地がないのだ。
 だが、それがいい。そんなどじょうの姿をぼおぉぉぉぉぉぉっと眺めていると、これがなかなか「効いてくる」んです。

 余談その1。留学が決まったとき、4匹のどじょうたちをバークレーに連れていくわけにもいかず、どうしたものかと思案していた折に、彼らは何かを悟ったように昇天してしまった。あのときは悲しかった。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、天国で元気でね。

 余談その2。どじょうは英語でLoachと言うのだが、「僕のペットはLoachなんだ」とアメリカ人に笑顔で伝えると、先方は頭のおかしげな人を見る目つきで私を見るのであった。
 「L」と「R」の発音は難しい。

在りし日の姿


<現実逃避その2: 絵を描く>
 どこで読んだか忘れたが、「芸術家の中で、最も長生きするのは画家である」らしい。ピカソもマティスもボナールも梅原も、そういえばみんな長命だ。私の好きなグランマ・モーゼスは、80歳でデビューし、101歳で天寿を全うした人である。

 心理学には詳しくないが、絵を描くという行為には、おそらく自己治療的な要素が含まれているのだろう。私にも思い当るフシがある。仕事や勉強に疲れたとき、何ともなしに絵を描いていると、時間が経つのを忘れてしまう。そしていつの間にか、風呂あがりのように爽快な気分になっている。

 バークレーに来てからは、京都に住む4歳の甥と文通をしている。私の絵が彼の感性にどう突き刺さるのか、それはまったく想像の埒外だが、ささやかな魂の交流をたのしんでいる。


甥 ⇒ 私 (1)


私 ⇒ 甥 (1)


甥 ⇒ 私 (2)


私 ⇒ 甥 (2)


甥 ⇒ 私 (3)


私 ⇒ 甥 (3)


<現実逃避その3: 散歩する>
 バークレーは散歩に適した土地である。と書くと、「散歩に適していない土地なんてあるのかよ」と反論する向きがあるかもしれない。しかしたとえば、サハラ砂漠や南極大陸で散歩をするのは難しい。ヨハネスブルグやサンペドロスーラで散歩をするのも、かなり命がけの行動だ。
 好きなときに散歩できること。それはやはり幸運なことなのだ。

 散歩にも流儀がある。私の好みは、まったくの無目的な散歩だ。何も持たず、何も考えず、次の角をどちらに曲がるかすら決めず、風の流れに気持ちを委ねるのがいい。

 散歩は、小さな発見に満ちている。

「道端に落ちてる犬のウンコが、日本のそれより黒くて固めのものが多い気がする。肉食のせいかな」

「路上駐車している車に『2,400ドル』とか値札を貼ってそのまま売ってるのって、ラディカルでいいよな」

「『スーパーマリオブラザーズ』とか、『ロックマン』とか、ファミコン系のTシャツを着た人をときどき見かけるけど、一周回ってここではお洒落なんだろうか。そしたら、『カラテカ』Tシャツとか、『ポートピア連続殺人事件』Tシャツとか、『頭脳戦艦ガル』Tシャツとか、『いっき』Tシャツとか、『たけしの挑戦状』Tシャツとかも、そのうち出てくるのかな」

「街中で奇声をあげたり奇矯なふるまいをする輩がいるけれど、周りに人がいなくなると途端に静かになる。つまりあれは狂人のふりをしているだけなんだな」

「迷子になった犬猫の『探しています』貼り紙をよく見るけど、たまに『見つかりました。ありがとう』貼り紙もあるのは、なんか律儀でいいな」

「チラシ配りの人はいるのに、ティッシュ配りの人って見かけないよな。これ、日本から輸出したらウケるかもな」

「『世界人類が平和になりますように』とか、『イエスは復活する』とか、ああいう類の宗教広告もこちらではあまり見かけないな。あれは日本独自の文化なのかな」

 こうして書き出してみると、私は花鳥風月よりも人間(あるいは人間の手によるもの)を観察しがちであるようだ。しかしそうした傾向も、いずれは変わることだろう。
 自身が変われば、見方も変わる。散歩の妙味がそこにある。




 余談その3。人間観察といえば、私の古い友人のNくんは、JR山手線に何周も、ときに一日中座り続け、乗客の様子を観察するのを趣味としていた。彼は帯広畜産大学と東京学芸大学と防衛大学校を受験し、すべてに合格したが、すべてを放り投げ、二浪の後に某私立大学に入学した。世の中にはいろいろな人がいるものである。


赤が「観光客」、青が「地元民」、黄色が「不明」というカテゴリで色分けされたベイエリアの地図。なるほどUCバークレー周辺ではスーツケースを引きずっている人をよく見る一方、オークランドでそういう人はまず見ない。ゴールデンゲートブリッジやアルカトラズ島が観光客だらけというのも納得である。そして私が以前紹介したエンジェル島は、地元民にも観光客にもまったく人気がないようだ・・・。
(出所:Eric Fischer 「Locals and Tourists」, 註釈は筆者加工)


<現実逃避その4: 食べる>
 工夫をすれば、めしを食べるのも、現実逃避のひとつになる。
 何も特別な料理を食べようというわけではない。吉野家の牛鮭定食だって、織田信長の時代には超豪華料理だったろう。そこで、信長の気まぐれで晩餐への同席を許された足軽になったつもりで食べれば、牛鮭定食は夢の御馳走に一変する。

 タイ料理店に出かけたときには、タイの国王(プミポン・アドゥンヤデート国王陛下)になったつもりで、厳かに味わう。カップラーメンだって、現代にタイムスリップした水呑み百姓の気持ちで食べれば、おいしさも倍増だ。「まんが道」風に表現すると、「ンマーイ!」となる。

 「空腹」は最大の調味料であると人は言う。まったくそのとおりである。
 そしてその次にくる調味料があるとしたら、それは「想像力」だと私は思う。


出所: 藤子不二雄A 「まんが道」


<現実逃避その5: 寝る>
 私が幼かった頃、母はよく「寝るのがたのしい。朝から晩までずっと寝ていたい」とうそぶいていた。子どもごころに、「こういう大人にはなりたくないな」と思ったのを覚えている。
 それがどうだろう。私はいま、往年の母と同じ信条を抱いている。どころか、日本にシエスタの文化を導入すべきと真剣に考えているし、帰国後にはテンピュール社の無重力睡眠ベッド「Zero-G 500」(294,000円)の購入を検討しているほどである。

 私は寝つきが良い方だ。眠れない日もたまにはあるが、それは大抵、次の日に愉快なイベントがあるときだ。要するに私の精神は小学生レベルなのである。
 入眠のコツは、何も考えないことだ。何も考えないのが難しいときは、日常から離れたものに心を傾ける。光がまったく射さない海の底に住む深海魚。宇宙に何億年も漂うヘリウム原子。目を閉じて穏やかな想像に身を任せば、重力を失うのは時間の問題だ。

 泥のように熟睡するのは最高だが、眠りの浅瀬で夢に浸かるのも捨てがたい。大学時代の一時期、私は夢を見ることに熱中していた。レム睡眠が終わるタイミングに合わせて目覚ましをかけ、一晩に5つも6つも夢をむさぼる。すると不思議なことに、最後の方はほとんどいつも悪夢(例: 学業不振、留年、退学)になるのであった。これは精神的に厳しいものがあり、しばらくしてこの趣味(?)はやめにした。やめてよかったといまでは思う。

 当時身につけた特技に、「小説を読みながら寝ると、その続きが夢の中で展開される」というものがある。成功率は約6割。夢の内容は小説の本筋とは違っていて、たとえば「アンナ・カレーニナ」が探偵小説になったり、「魔の山」が山岳小説になったりする。まあ無茶苦茶ですね。でも夢の中では整合性という概念は必要ない。これはこれでたのしかった。




 本稿の締めとして、「夢」つながりで、私の十余年来の座右の銘を紹介したい。

 うつし世はゆめ
 よるの夢こそまこと
 (江戸川 乱歩)

 乱歩文学の怪しい魅力を凝縮した名句であり、私の心に光を灯してくれた言葉だ。
 現世は夢、夜の夢こそ真。いま失意の底に沈んでいる人に、この言葉を贈りたい。



2013/05/01

すべての読者に「アイ・ラブ・ユー」と叫びたいこと

 このブログをはじめてからもう1年以上になる。
 大学院の専攻としては比較的マイナーな「公共政策」、しかも「バークレー」という限定された地域の話題であるにもかかわらず、さらにはその更新頻度の低さにもかかわらず、質量ともに当初の見込みを遥かに超える読者を得ている。これはまったく驚くべきことだし、同時にありがたいことでもある。

 読者からフィードバックをいただく機会も多い。その内訳は、およそ半分が知り合いからで(飲み会やfacebookなど)、もう半分が初対面の方から(コメント欄や「はげましのおたより」のメールなど。要望を受けて直接お会いした方も数名いる)である。
 面白いのは、その内容が多様性に富んでいることだ。たとえば、ある方から「軽妙な語り口」という感想を頂戴したかと思えば、別の方は「難解な表現」という意見を示される。「不真面目」「下品」というのもあるし、「真摯」「誠実」というのもある。そのほか、「赤裸々」、「自虐的」、「露悪的」、「衒学的」、「屈折している」、「笑える」、「屈折していて笑える」、「参考になる」、「感心する」、「呆れる」、「わくわくする」、「不安になる」、エトセトラ、エトセトラ。
 このような感想の振れ幅の大きさは、私にはとても嬉しいことである。少なくとも、十人が十人とも同じような感想を持つよりはずっといい(ですよね?)。これからもできるだけ、開かれたブログにしていきたいと思う。

 今回は、これまで頂戴した質問とそれに対する私の回答のうち、いくつかを抜粋して紹介したい。参考にしていただければ幸いである。あるいは、感心したり、呆れたり、わくわくしたり、不安になったりしていただければ。




Q.今夏からアメリカの公共政策大学院に入学することになったが、これまで留学経験がなく、英語が不安。TOEFL iBTは最終的に100点を獲得したものの(21回受験した)、リスニングは22~24点、スピーキングは18~20点という純ドメぶり。貴君が吾輩の立場なら、残り3カ月をどのように過ごされるか。ご所見を賜りたい。
A.私よりも多くTOEFL iBTを受験された方をはじめてお見かけしました。先輩、と呼ばせてください。
 GSPPに入学してもう8ヶ月が経ちますが(註:回答時)、飲み会やグループディスカッションなどでクラスメートが何を言ってるのかさっぱりわからん・・・という状況はいまだにあります。語学というのは無間地獄のようなものだと、最近つくづく思います。基本的に、果てしがない。
 先輩の英語力は私と同レベルのようですので、親しみを込めて率直に言いますが、日本で何をやったところで3カ月で英語力が劇的に伸びるということはありません。むしろ「授業がはじまって半年くらい経ったけど、英語力の向上があんまり実感できないんだよね」というのが、純ドメの日本人留学生からしばしば聞こえてくる声です。結局のところ、我々の前には舗装された道路はどこにもないのです。残念ながら。きわめて残念ながら。
 ですので、やれることをやれるだけ、泥のように愚直にやるしかないと思います。仕事をされているなら、たぶんもう時間のリソースはあまり(というかほとんど)ないでしょうから。
 私は、留学中にいちばん重要なのはリスニング能力だと思っています。授業中に茫然としないためにも、あるいは茫然とする時間を少しでも減らすためにも、TEDやiTune Uなどを素材として(できればスクリプトつきのやつで)、ディクテーションやシャドーイングを地道にやりまくってはいかがでしょう。知的負荷は高いですが、やる価値はあります。事実、私よりずっと英語のできる日本人のクラスメートも、「ディクテーションは骨が折れるけど聞き取りの力は確実に向上する」という趣旨のことを言ってました。
 ・・・といっても、私は仕事に追われて、結局ブログに書いたことの半分も実現できませんでした。情けないことです。自分でできないことを言うものではありませんね。


Q.GREは何点だったか。
A.ダイレクトな質問ですね。好感が持てます。
 Verbal:330点、Quantitative:780点、Analytical Writing:3.0点でした。まあウンコみたいな点数ですね。これでよく合格できたものです。我ながら。(※)
 2回受験しましたが、2回目の点数はこれよりも悪かったです。GREは試験直後に採点結果が判明するのですが、パソコンの前でしばし茫然となった記憶があります。この数ヶ月間の頑張りは一体何だったんだ、と。
 
(※ GSPPのパンフレットによれば、2012年入学組のGREの平均点はVerbal:620点、Quantitative:720点、Analytical Writing:4.5点で、Verbalのレンジは330~790点、Analytical Writingのレンジは3.0~6.0点とのことでした。比喩でも何でもなく、文字通りの最低点だったのですね、私は。Yeah!)


Q.GSPPに合格した。渡米前にやっておくべきことがあればご教示ありたい。
A.おめでとうございます。
 ひとたび入学すれば勉強に明け暮れるのは畢竟、ゆえに「日本にいるうちに英気を養っておけ」というのがGSPPの先輩方から代々伝わるアドバイスです。その助言のバトンを、いまあなたに手渡しますね。
 日本にいるうちに英気を養っておくことです。


Q.GSPPに入学する前に習熟しておいた方が良いツールやサイトなどはあるか?
A.Google Calender、Google Docs、Google DriveやDropboxは、グループワークなどで使用頻度が高いです。Google Handoutもたまに使います。
 また、クラスメートの全員がfacebookを使用しているので、まだはじめられていないようでしたら、アカウントだけでもお取りになることをお薦めします。「Class of 2014」などの非公開グループもあって、かなり頻繁にやり取りがなされます。私は留学するまでfacebookにはまったく興味がなかったのですが、いまではヘビーユーザーになってしまいました。これは良いことか、良くないことか。たぶん良くないことですね。


Q.経済学のバックグラウンドは皆無に等しいが、問題ないか?
A.まったく問題ありません。私もそうでした。


Q.留学中に心が折れそうになったときのために、あらかじめ訓話を賜りたい。
A.ずいぶん気が早いですね。わかりました。偉そうなことを言えた身分ではありませんが、何か申し上げるとすれば、「留学とは、できないことをできるようにするためのプロセスの集積である。もしあなたが英語も数学も経済学も政治学もできるのであれば、それは(極端に言えば)留学する意味が無いということだ。逆に言うと、苦手分野が多いということは、それだけ成長する機会も多いということであって、『これは重畳。ありがたや』という気持ちで困難に立ち向かうべし」といったあたりでしょうか。
 うーん、やっぱり立ち飲み屋のおっさんの説教みたいになってしまいました。すみません。


Q.日本で学んだ英語と現地の英語が異なっていて驚いたことははあるか。
A.それはもうたくさんあります。Awesomeという単語がこんなに頻繁に使われるとは知らなかったし、「Satoru, you're golden!」なんて言われた日には、自分がハムスターにでもなったのかと思いました。全体的に、褒め言葉とけなし言葉のバリエーションがすごく豊富です。
 メールでも口頭でもSorryがよく使われるのにも驚きました。昔読んだ本に「平均的なアメリカ人はSorryなんて滅多に言わない。そんなことを言えば自分の否を認めることになるからだ」的なことが書かれていて、なるほど、と思った記憶がありますが、実際には全然そんなことはなかった。まあバークレーにいる人たちが平均的なアメリカ人かと言われると答えに窮するところはありますが。
 それから、打ち解けてくると、Fuckもよく使われますね。男女を問わず、意外に気楽な感じで出てくる。しかしこれはTOEFL iBTにはちょっと登場しづらい単語ですね。

 問い: 第4パラグラフのFuckの意味に最も近い単語は次のうちどれか。
   A.  うんこ
   B.  ちんこ
   C.  こんちくしょう
   D.  衒学的


Q.日本に関するDifferent Viewpointsを得るための書籍を紹介ありたい。
A.以下の3冊をお薦めします。
高野誠鮮 「ローマ法王に米を食べさせた男」
都築響一 「夜露死苦現代詩」
石光真清 「城下の人」

「ローマ法王に米を食べさせた男」は、以前ブログでも紹介しましたが、改めて。日本国家の中枢にいるつもりの人って結構いるけど、でも実際にこの著者くらいリアルに世の中を動かした人って、はたしてどれだけいるのだろうか。公務員の方には特にお薦めです。

「夜露死苦現代詩」は、アウトサイダー・ポエムという未踏のジャンルに光をあてつつも、その光の照射エネルギーがあまりに強すぎて、結果的に「現代日本とは何か」という大テーマを悠々と射程圏内に収めてしまっている怪作。私は帰国したら6度目の再読を楽しむつもり。

「城下の人」をはじめとする石光真清の手記4部作は、この数年間に読んだ中で私的ベスト・ワン。職業とは何か。運命とは何か。戦争とは何か。家族とは何か。孤独とは何か。人生とは何か。国家とは何か。そういうのが全部詰まっている本です。でも私の周りに読んだことのある人が誰もいないんですよね。寂しいなあ。








 順調にいけば、私は来年の今ごろにはGSPPを卒業する。すなわち、このブログは1年後に最終回を迎えるわけだ。

 はじまってから1年と数カ月。終わるまでにあと1年。そのような、フルマラソンでいえば25km地点の給水所を過ぎたあたりのこの時期に、私は、読者の皆さんに向かって、声を大にして、あるいはフォントを大にして、ひとつ言いたいことがある。

 みんな、愛してるよ。

2012/05/31

向こう2カ月間の身の処し方を決めたこと


 月日の経つのは早いものである、とはいかにも凡庸な決まり文句だが、しかしその言葉に嘘は無い。気がつけば2ヶ月後には渡米を控えた身となってしまった。

 今年1月に、私は「向こう半年間の身の処し方」について表明した。今回は、その逐一について私がどれだけ達成できたかを確認するとともに、改めて「向こう2カ月間の身の処し方」について綴ってみようと思う。
 これから留学を志す方には、他山の石として笑覧いただければ幸いである。(もっともこのブログ自体が壮大なる他山の石と言えなくもないけど、まあそれはよしとして)


<リーディング>
 まず、「A practical guide for policy analysis」については、今年2月の記事で触れたように、何とか読み通すことができた(UCバークレーの先輩方が翻訳された「政策立案の技法」が、東洋経済新報社から今年6月に出版予定とのこと。私はすでに予約注文した)。
 次に、「1100 Words you need to know」は、かたつむりのペースでしか進んでいないものの、まだ完全に挫折したわけではない。向こう2カ月間は、もうちょっとだけペースアップして(なめくじのペースで)、切々と単語を覚えていきたいところだ。
 加えて、「ヤバイ経済学」という邦題で日本でもベストセラーになった「Freakonomics」と、アカデミック・ライティングで充実した成果を出すためのコツを軽妙な筆致で紹介してくれる「How To Write A Lot」と、北米の大学に留学する人の疑問点や悩みに対する回答がぎっしり詰まっている「Succeeding as an International Student in the United States and Canada」(※)を、それぞれ面白く読んだ。
 
※ 特に「Succeeding as an International Student in the United States and Canada」は、北米への留学を検討している人たちに広くお薦めしたい良書である。その理由は2つある。ひとつには、生活のセットアップ面において、例えば「住居が決まったら、すぐに自分の住所に自分で手紙を出しましょう。奇妙に思えるかもしれませんが、銀行口座開設などで住居証明として使えるので便利です」といった色気のあるアドバイスが満載であること。もうひとつは、北米の大学特有の価値観や文化的背景にも記述を割いており、「志望エッセイで何をアピールすべきか」といった観点からも参考となるからだ。私自身、もっと早く本書に出会っていればよかったと思っている。

 とはいえ、この程度の読書量ではとても足りないだろう。UCバークレーの先輩から聞いた話では、平均で1日100ページの本(もちろん洋書)を読み、1日10時間くらいは勉強しないと、授業についていくのは難しいとのことである。
 1日100ページ?1日10時間?
 いまの私に、その分量をこなす知的体力があるだろうか。これは間違いなく、無い。本によっては1ページ読むのに5分も10分もかかる私にとって、これは相当に危機的な状況といえる。
これを踏まえ、残すところ2ヵ月間で私が達成すべき目標を以下に挙げたい。

・「1100 Words you need to know」の継続。(なめくじのペースで)
・「表現のための実践ロイヤル英文法」の再読。(文法は私の深刻な弱点である)
・「速読速聴・英単語 Advanced 1000」の読破。(いま半分くらい読み終えたところだ)
・「Crossing the Energy Divide: Moving from Fossil Fuel Dependence to a Clean-Energy Future」の読破。(エネルギー・環境政策について勉強しようと購入したものの、ずうっと積ん読になっていた。落ち着いたら読もうなどと悠長なことを言っていると、そんな日はきっと永遠にやってこない)
・「The Quest: Energy, Security, and the Remaking of the Modern World」の読破。(「石油の世紀」でピュリッツァー賞に輝いたダニエル・ヤーギンがフクシマ後のエネルギー市場について論じた700ページ強の大著。すでに「探求」という題の翻訳書が出ているが、ここはストイックに原書に挑戦したい)
・「Berkeley: A City in History」の読破。(全米で最も先進的な街と評されるバークレーの歴史について書かれた本。これから2年間お世話になる土地について勉強しておけば、どこかで良いことがあるかもしれない)


<リスニング>
 数カ月前にiPod touchを購入したこともあって、ポッドキャストを聴く/観る時間はそれなりに確保できた。もっとも、それがリスニング能力の向上にどれだけ寄与したかについてはあまり自信がないけれど。
 いろいろ購読してみたが、特に気に入った番組を3つ、面白さ優先で以下に挙げる。もちろんすべて無料である。

・「Talk Asia」(CNNのインタビュアーがアジア各国の有名人に質問をぶつけまくる番組。ジュリア・ギラード(豪首相)、ゲイリー・ロック(米国駐中大使)から、オダギリジョー(俳優)、秋元康(作詞家)まで、バラエティに富むゲストの話が面白い)
・「60 Second Idea to Improve the World」(BBC系列。学者や社会活動家などのゲストが、1分以内に「世の中を良くするアイデア」をブリーフィングする番組。英語の勉強云々を超えて、公共政策を学ぼうとする身にはとても良い知的刺激になる)
・「Wild Oceans」(「地球大紀行」とか、「プラネット・アース」とか、ああいうタイプの自然ドキュメンタリー番組。深海から浅瀬まで、夢見るように美しい光景を堪能できる。仕事帰りの電車内で観るには最適だ)

 リスニングについては、引き続き、面白さ優先でポッドキャストを聴き込んでいくこととしたい。ちなみに最近よく聴いているのは、「TED Talks」「CNN Student News」「大杉正明のCross-Cultural Seminar」である。


<経済学>
 スティグリッツの「入門経済学」を読了し、いまはiTunes UでUCバークレーの学部生向けの「Economics」の授業を少しずつ視聴している。しかし、日本にいるうちは、それ以上の領域には手を出さないことにした。
 本当なら「ミクロ経済学」「マクロ経済学」もじっくり勉強できれば良いのだけれど、いま私が優先すべきことは、ひとえに英語能力の向上(特にリスニングとスピーキング)である。そうと決めたからには、あれもこれもと手を広げて沈没するという、私の人生でお馴染みの失敗パターンを再び繰り返すわけにはいかない。そういうわけで、経済学に本格的に親しむのは、渡米後の機会に譲ることとしたい。


<スピーキング>
 UCバークレーの先輩からは、「シャドーイングをしっかりやっておくと良い」とのアドバイスをいただいた。これに従い、押し入れに眠っていた岩村圭南先生のNHKラジオ番組「徹底トレーニング英会話」のCDとテキストを引っ張り出して復習することにした。いまやっているのは2007年放送分。5年も前となると、復習よりも追憶に近いものがあるが、これはこれで悪くない。

 このほかに、下記3つの英語学校に通うことにした。
・Business School International 「準上級クラス」(港区虎ノ門にあるビジネススクール風の英語学校で、講師陣もMBA卒のネイティブが多い。週1回、90分。毎回1~2時間くらいの予習が求められる)
・CICOM-GLP 「Finance」(千代田区秋葉原にあるビジネススクール風の英語学校で、講師陣の多くがMBA卒である点も上述の学校と同じ。週1回、150分。ハーバードをはじめとするビジネススクールで実際に使われているケースを用いた授業で、毎回3~10時間くらいの予習が求められる。英語「の」勉強というよりも、英語「で」勉強する要素が色濃い)
・A to Z 英語学校(文京区根津にある英会話スクールで、日本でも書籍を多く執筆されているデイヴィッド・セインさんが運営している。週1回、60分。予習は特に必要ない。私は奥さんと一緒にセミ・プライベートのレッスンを受けているので、実質的には「英語の勉強」と「夫婦間のコミュニケーション」を兼ねた時間となっている)

 もちろん、英語学校に行けば何でも解決などと強弁するつもりはない。欠点もいくつかある。その筆頭として挙げられるのが、私の銀行口座から結構な金額が流れ出ていくことだ。もうひとつは、(日本の英語学校に通う限りにおいては)生徒は基本的に日本人ばかりなので、どうしても多国籍の緊張感に欠けるというか、ある種の同質性に寄りかかってしまう部分があることだ。
 しかしながら、それを補って余りある長所もある。残業続きの職場を抜け出して(あるいは飲み会の誘惑に打ち勝って)わざわざ平日の夜に集まってくる社会人には意識の高い人たちが多いので、とても良い刺激になるということである。そういう種類の必要経費なのだ、と割り切れば、これは決して高くはない。そう自分(と奥さん)に言い聞かせる日々である。


<総括>
 正味な話、たった2ヶ月で英語力が劇的に向上するなんてうまい話はないだろうし、「2012年入学組でいちばん英語ができない人」のポジションからはどうあがいても抜け出せないんじゃないかという予感もある。しかしそれでもなお、あがけるうちにはあがいていたい。悪あがきこそは劣等生の最大の権利なのだ。


 苦しみは変わらない。変わるのは希望だけだ。(アンドレ・マルロー)

2012/04/08

自動車教習所に通いはじめたこと

 SF映画などにときどき出てくる、過去と現在を自由に行き来できる奇妙な穴が(時空間の歪みだか何だかによって)もし目の前に現れたとしたら、私は傍らの1.5リットルの飲料水用ペットボトルを手にして、大学時代の私の頭頂部に向けて思い切り振りおろしたに違いない。そして叫ぶだろう、「なぜお前は自動車免許を取っておかなかったんだ!」と。

 その理由は自分でもよく分かっている。およそ7年前の話だ。その頃の私は、地球環境の保全の観点から、自動車を目の敵にしていた。地球環境の保全なんていうとちょっと格好いいかもしれないけれど、実はそのほかにも理由があって、それは例えば「視力が悪くなっていたのに眼鏡をかけるのが何となく嫌だった」とか、「皆と同じことをするのが嫌だった」といったもので、まあ要するにアホだったのだ。1.5リットルの飲料水用ペットボトルを頭頂部に振りおろされておけば良かったのだ。本当に。

 そんな体たらくであったのだが、先々週から、自動車教習所に通いはじめている。今年の夏に日本を発つことを考えると、タイミング的には結構ぎりぎりである。
 もちろんアメリカでいきなり免許を取るという手もあるだろう。経験者は一様に「向こうで取る方が簡単だよ」と言う。確かにそうかもしれない。しかし、あまりに簡単に免許が取れてしまうというのも個人的には考えものである。運転には慣れてきたけどお婆ちゃんは3人ほど轢いちゃった、というのではうまくない。そんなわけで、初運転はたぶんアメリカになるのだが、その前に日本の教習所で修練を積むことにした。お婆ちゃんは大事にしていきたいと思うから。

 私はいま、アクセルとブレーキの違いを理解したところだ。そして、カーブも曲がれるようになった。右回りだって、左回りだって、どんとこいだ。
 坂道発進とか、バックとか、縦列駐車とか、そのあたりのことは、私にはまだお尋ねにならないよう、よろしくお願い申し上げたい。

2012/03/11

いまこうして生きていることの偶然性について再認識したこと

 今日は、妻と「自転車泥棒」(1948年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督)を観に行った。8年前に一度観たきりの作品だが、それ以来、主人公のお父さんと息子が、私の心の隅っこでひっそりと生き続けている。そんな映画だ。

 上映予定は14時30分だったが、時間になってもなかなか始まらない。首を傾げていると職員が現れ、「今日は3月11日。東日本大震災からちょうど1年が経った日だ。そこで、14時46分(地震発生時刻)に1分間の黙祷を行いたい。観客の皆さまには申し訳ないが、映画の上映開始は14時47分としたい」という説明があった。場内に不満の声は出なかった。

 また、昨日、NHK交響楽団と小曽根真さんのコンサートに行ったところ、指揮者の高関健さんから、「最初に演奏する「G線上のアリア」は、東日本大震災で亡くなられた方々に捧げたい。恐縮ながら拍手はご遠慮願いたい」との前口上があり、演奏後に黙祷を捧げられていた。

 人生は楽しいことばかりじゃないけれど、それでもしっかり生きていこう。
 そうしないと申し訳ない、と思った。

2012/02/07

TOEFL iBTにマゾヒズムの極致を感じたこと

 留学を志す人たちの多くがそうであるように、TOEFL iBTには私も大いに苦しめられた。

 TOEFL iBTとは何か。一言で表現するなら、210ドルの受験料を払い、その対価として、約4時間にわたる焦燥と、煩悶と、(多くの場合)落胆を味わえるという、ある種マゾヒズムの極致のような試験のことである。

 私はこれを17回ほど味わった。

 村上龍の著作に「あの金で何が買えたか」という作品がある。TOEFL iBTの受験料は、私にとってまさにそれである。ノートパソコン。ロードバイク。多機能冷蔵庫。高級炊飯器。あの金で何が買えたか? ・・・嘆息するほかない。

 私の主な受験歴及びその結果を、以下に示す。
 2010年 5月     63点 (R18 L16 S15 W14)
 2010年 7月     59点 (R18 L12 S15 W14) 
 2010年12月    79点 (R21 L18 S18 W22)
 2011年 1月     84点 (R23 L20 S17 W22)
 2011年 2月     89点 (R25 L23 S22 W24)
 2011年 4月     82点 (R27 L14 S19 W22)
 2011年 7月     86点 (R25 L17 S20 W24)
 2011年 8月     94点 (R25 L23 S22 W24)
 2011年 9月   100点 (R27 L23 S22 W28)

 最後に100点を獲得できたのは、正直なところ、運が良かっただけだ。私の実力はせいぜい80点台である。リスニングとスピーキングが低く、リーディングとライティングが相対的に高いという点数構成も、典型的な純ドメ(=海外経験の無い日本人)のそれである。

 TOEFL iBTの多様な受験生群をひと括りにする愚は避けたいが、この試験(あるいは苦行)で結果を出すために最も重要なことは、「意欲と時間の管理をいかにうまくやるか」だと思う。特に、「社会人」、「純ドメ」、「英語が苦手」の三重苦を抱える私のような人間にとっては。


1.意欲の管理(モチベーション・マネジメント)
 集中力の伴わない勉強は、不毛な自己満足に終わるだけのことが多い。そして集中力の持続には、まずもって強い意欲が必要とされる。

 と、そこまでは分かっていても、実際に勉強への意欲を保ち続けるというのは本当に本当に難しいことである。雨にも風にも負けない屈強な自律心を有するか、勉強自体が好きで好きで仕方ないという人でない限り(優秀なビジネスパーソンはどちらも兼ね備えていることが多いのだが)、意欲がピークに達するのは勉強を決意したまさにその瞬間であって、その後は逓減の一途を辿るというケースが大層ではなかろうか。

 かくいう私も該当者の一人である。私の意思は炎天下のソフトクリームのように柔らかく、また厳冬下の枯葉のように朽ちやすい。自分への言い訳も巧みであって(妻は私を自己弁護士と呼ぶ)、「今日できることは明日やる」「これを今日やらなかったからといって死ぬわけではない」などとうそぶく始末であった。そんな人間にとって肝要なのは、「意欲をいかに向上させるか」という試みではなく、むしろ「意欲の減衰をいかに最小に食い止めるか」という発想である。そのために私が取った具体的な手段を、2つほど以下に記す。

・ その日に勉強した参考書の分量(例:Delta p155-164, Kaplan p88-95, TOEFL英単語3800 p170-173, AGOS Basic Speaking p25 模範解答1~4の音読5回)をメモして、留学を志す同輩に毎日メールでシェア。何も勉強できなかった日には「何もなし」との報告を義務付けることで、虚栄心をくすぐる。

・ 仕事に関連する英語の情報(ニュースレターや専門誌など)を入手し、毎日、職場で少しずつでも読むよう心がける。ある程度既知の内容なら心理的抵抗も少ないし、「英語で情報収集しているオレってカッコいい」というナルシズムに浸ることもできる。

 要は、虚栄心とナルシズムをモチベーション向上に利用するということである。あまり褒められたものではないが、私にはとても有効な手段であった。特に前者の「メール報告作戦」は、報告対象を勉強時間ではなくページ分量としたのが成功要因であったと思う。仮に勉強時間のみを報告していたら、意志薄弱に定評のある私の場合、勉強したつもりだったけど本当は忘我の海を泳いでいた時間ばかりが積み重なっていた可能性が高いからだ。


2.時間の管理(タイム・マネジメント)
 モチベーション・マネジメントの次に重要なのは、タイム・マネジメントだと思う。TOEFL iBTの準備を本格的に行うとなれば、少なくとも1日2~3時間を英語に割り当てる必要がある(世の中には1日12時間以上を勉強に当てた猛者もいるようだが、私には無理だった)。その時間をいかに捻出し、いかに密度を上げていくか。口にするのは簡単だが、実行するのは簡単ではない。

 心理学者Neil Fioreの著書「The Now Habit」には、前向きな時間管理術として「自己啓発や遊びの予定をまず最初に入れて、これらを最優先事項とする」という興味深いアイデアが提示されている。私もこのアイデアを支持したい。例えば、朝に30分、昼に30分、夜に1~2時間、これらの予定をスケジュールに予め組み込んでしまうのだ。許される環境であれば、職場の共用スケジュールに書き込んでしまうというのも手である。例えば私は、21時から22時くらいまで喫茶店で勉強し、それから職場に戻ってきて残業を再開するということをした。勉強自体がある種の気分転換になって、仕事の効率も多少上がった気がする。

 しかしながら、2011年3月11日の東日本大震災を経て、業務量が増えると、こうした方法も通用しなくなってしまった。終電どころか始発の時間帯まで残業が続くことも多く、もはや優先順位付けなどと悠長なことは言えない。平日も休日も区別なく、睡眠と食事と仕事の合計時間が24時間に漸近するような日々が数か月続いたのだが、精神的にもこの時期がいちばんつらかったように思う。改めて受験歴を見ても、この時期に点数が伸び悩んでいるのが分かる。

 もうひとつ、私が心がけたのは、「与えられた環境に応じて最適な学習内容を選ぶ」ということである。例えば、自宅では大きな声を出してスピーキングの練習をすることができるが、図書館ではそれは難しい。また、図書館ではリーディングの問題を1セット20分で集中して解くことができるが、通勤電車では困難である。通勤電車では単語の暗記を・・・といった按配に、それぞれの学習環境に上位/下位の概念を取り入れて、それぞれの時間対効果を最適化するように努めた。

 この勉強法(というほど立派なものではないが)は、私にとって2つの意味で有用であった。

 1つ目は、慣れてくると「学習環境が学習内容を決める」(例:ジョギング中にはリスニングの復習をする)というだけではなく、「学習内容が学習環境を決める」(例:リスニングの復習をするためにジョギングをする)逆転現象が起こるようになり、気分転換と勉強がそれなりに両立するようになったことである。

 2つ目は、「何を勉強するか」といちいち迷わずに済んだので、勉強が良い意味でルーチン化したことである。おかげで、勉強に取りかかる前の心理的バリア(怠け者にとっては大きな要素である)を、かなり和らげることができたと思う。


 冒頭にも記したとおり、私の実力はせいぜい80点台である。そんなレベルの人間がこうして講釈を垂れるとは身の程知らずも甚だしいものがあるが、なかなか点数が伸びずに布団の上で転げ回っている人たち(たくさんいると思う)が、この拙文を読んで少しでも前向きな気持ちになっていただけたら嬉しい。
 

2012/01/14

向こう半年間の身の処し方を決めたこと

 出願を終えて、張り詰めた日々に、ようやく区切りがついた。
 それぞれの大学からも、「貴君の出願書類は電子空間を経由して受領した。まずは安心して宜しい。」といった内容のメールが届いたので、まずは安心することにした。

 さて、私は次に何をするべきだろうか。

 私の頭を占めたのは、「遊ぶ」という言葉である。
 この1年間、私はどちらかといえば禁欲的な生活を送ってきた。娯楽といえば、どじょうへの餌やり、ニンジンガジュマルへの水やり、漫画喫茶「自遊空間」の3時間パック、といったあたりが関の山であった。したいことはできなくて、とは色川武大の小説「怪しい来客簿」の章題のひとつであるが、そのように私は、したいことのできない日々を送ってきた。

 それでは、いま、私がしたいこととは何か。それはたとえば、全国の老人ホームを訪問して白装束で落語「死神」を演る、であったり、近隣の土地を五坪ほど購入して大規模なセルフ箱庭療法に興じる、であったりするのだが、残された半年間で本当にそれらを実施するべきなのか、と自問すると、率直なところ、芳しい答えは出てこない。そういうわけで私は、池袋の新文芸坐のオールナイト映画であるとか、川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムであるとか、スケールダウンの感は否めないものの、足を運べば一定程度の楽しみを確実に得られる類の娯楽に甘んじることとしたい。

 他方、この1年間にまがりなりにも培ってきた真摯な気持ちが、このままで良いのか、と静かに問うてくるのも事実である。

 このままで良いのか。もちろん、良いわけがない。私は、私に与えられたこの半年間を、代替不能な留学準備期間として、大いに活用せねばならぬと思う。とはいえ私は勤め人であって、想いのままにスケジュールを組める身分ではない。あれもこれも、と欲張った結果、どれもどれも中途半端に終わってしまった、というのは、これまでの私の29年余の障害、もとい生涯において、幾度となく繰り返してきた蹉跌であった。新しいところでは、つい先日の大学出願プロセスにおいても・・・(と、そこで私は考えるのをやめた)

 そんな按配で、私は、これから勉強する内容に優先順位をつけるべきだと思った。私にいま不足しているものは何か。すなわち英語力と基礎学力である。
 英語力と基礎学力。しかしそれは全部が駄目というわけであって、ジャック・ウェルチが言うところの「選択と集中」の概念からは程遠い。そこで私は、英語力のうち特にリーディング(単語含む)とリスニングの能力、基礎学力のうち特に体系的な経済学の知識を、それぞれ向上させることにした。具体的に、私の半年間のTo-Doリストを、以下に記すことにする。


<リーディング>
・「1100 Words you need to know」への再挑戦。(GRE対策で購入したが途中で挫折した)
・「A practical guide for policy analysis」の通読。(定番の教科書らしい。2012年に第4版が出た)

<リスニング>
・ BBC、VOA、Scientific American等のポッドキャストの聴取。(通勤やジョギングの時間を活用したい)
・ iTunes UでのEconomics関連講義の聴取。(UCバークレーの講義が無料で手に入る)

<経済学>
・ スティグリッツの「入門経済学」「ミクロ経済学」「マクロ経済学」日本語版の精読。(できればちゃんと机に向かって、学生のようにノートを取りたい)


 これは、私のStatement(声明)だ。半年後、この記事を密かに削除することのないよう、しっかりと自分を追いこんでいこうと思う。まあ、どじょうへの餌やりは続けるし、藤子・F・不二雄ミュージアムにも行くけれど。