2012/10/31

GSPPに来て驚いた2つのこと

<バークレー時間>
 UCバークレー、少なくともこのGSPPでは、8時の授業は8時にはじまらない。8時に教室に着いても、そもそも教授が来ていなかったりする。ここでは、授業でもセミナーでも、およそ10分~15分遅れでスタートするのだ。
 これが、「バークレー時間(Berkeley Time)」である。
 噂によると、あるMBAの教授は「私の授業ではバークレー時間は適用されません!」とシラバスに宣言したという。さすがはMBA。でも結局、自身も含めてそれを遵守できる人があまりに少なかったため、なし崩し的にバークレー時間に戻ってしまったという。悲劇なのか喜劇なのか、解釈に困る話ではある。
 しかしこのバークレー時間、どうして適用されたのだろうか。私の推測は、
 【理由1】キャンパスが広く、移動時間を考慮する必要があるから。
 【理由2】西海岸だから。おひさまが、ぽかぽか、あたたかいから。
の2つである。
 まともに考えると「移動時間」説に理がありそうだが、級友との待ち合わせなどでも「バークレー時間」がもれなく適用されていることを考慮すると、「おひさま」説も捨てがたい。
 結論としては、まあどちらでもよい。

<テストの自由さ>
 「バークレー時間」の適用は、テストといえど例外ではない。8時30分にテスト開始という連絡があっても、実際にはじまるのは8時40分だ。
 飲食物の持ち込みもオッケーである。コーヒー、サンドイッチ、バナナを机上に置き、盤石の構えでテストに臨む輩も少なくない。日本の大学でこれをやったら「モラル崩壊」「大学の幼稚園化」みたいな連想が浮かびがちだけど、バークレーではむしろ、長丁場のテストだと途中で腹も減るだろうし、まあいいんじゃないっスか?というノリである。
 留学生の場合は、電子辞書を持ち込んでも構わない(先生にお願いしたら、あっさり了承された)。これは私にはありがたい。実際、先日の経済学のテストでは「mother formula」の価格弾力性に関する問題が出たのだが、私はこの単語の意味(乳児用調合乳)を知らず、電子辞書がなければ危うく失点するところであった。
 でも実は、電子辞書がなくても大丈夫。試験監督のGSI(Graduate Student Instructorの略。教授のアシスタントを行う大学院生)には、テスト中いつでも質問をしてよいのだ。もちろん「この答えは何ですか」みたいなダイレクトすぎる質問は駄目だろうけど(したことないけど)、「この問題文の意味がわかりません」といった質問は、十分に許容範囲である。試験中に生徒がどんどん席を立ってGSIに質問をする様子は、はじめこそ異様に感じたが、慣れてくると合理的でフェアな仕組みにも思えてくる。なるほど、不明点があればその場で解決すればよいのだ。
 平方根などの計算を必要とする試験では、電卓を持ち込んでも構わない。電卓を持ってない人は、iPhoneを持ち込んでも構わない。えっ?ちょっと待って、それじゃあ簡単にカンニングできちゃうんじゃないの?と思ったあなた。私もそう思いました。でもそのあたりは生徒のモラルに思いきり委ねられている。というか、ここまでオープンだと、逆にカンニングをする気も起こらないのかもしれない。「北風と太陽」でいえば、太陽的アプローチである。
 試験前には、ひょうきん者の生徒が、士気を上げるために(ちょうど小学校の運動会とかでやるように)教室中でウェーブをやったりする。また別のひょうきん者は、バナナのコスプレをして試験を受けたりする。前段の「おひさま」説を支持したくなるゆえんである。私も忍者のコスプレをして、試験中に変わり身の術とかを披露したらウケるかもしれない。あっ、でもそれってただの替え玉受験か。

(2013年5月3日追記: いまのところ替え玉受験はしていないが(当たり前だ)、Grizzly Peakで開催されたトレイルラン・レース(30km)に忍者の格好をして参加した。かなり過酷なレースで、コスプレをしていたのは私だけだったが、応援の子どもたちには大人気だった)
 

2012/10/08

バークレーに来て予想外に嬉しかった2つのこと

<GSPP(公共政策大学院)を知る人が多かったこと>
 公共政策学は、大学の専攻の中でもマイナーな方だと思う。でもここバークレーでは、それなりの知名度を有しているようだ。例えば、1週間ほど間借り(sublet)させてもらった初老の建築家夫妻にしても、私がGSPPの学生と知ると、「公共政策といえばバークレーの目玉学部よね」などと仰せられる。多分にお世辞が入っているんだろうけど、でも嬉しいことは嬉しい。
 GSPPのワークロードの重さも、学内外に知られているようだ。実際、こちらに来てから、「そうか、君はGoldman Schoolの学生なんだ。それは大変だね」といった言葉をかけられることが幾度かあった。そのニュアンスは、「そうか、君は犬のウンコを踏んじゃったんだ。それは大変だね」のそれに近い。

<日本に親しみを感じる人が多かったこと>
 私が日本人と知ると、ほとんどの人は明るい表情を見せてくれる。まあこれは西海岸だからかもしれないけれど、日本に旅行したことのある人も多くて、札幌、京都、大阪、博多、東京なら六本木のバーから葛西の地下鉄博物館(マニアックな!)まで、皆さん実にいろいろ足を運んでいる。またGSPPには、日本語を話せる(非日本人の)学生が、私の知るだけで3人いる。人数比で考えると、これはなかなかのものである。
 「日本はいい国だ」「日本が大好き」「また行きたい」。この好感度の高さを、どう受けとめたらよいのだろう。そう遠くない昔、カリフォルニアで押し潰されるような暮らしを強いられた日系人たちのことを思うと、どこか静かな暗がりに向かってひとり合掌したい気持ちにもなる。
 非効率的なまでに効率的でも、部分最適が全体最適につながらなくても、合理主義のようでいて精神主義であっても、私はやっぱり日本が好きである。おはよう、ごめんね、ありがとう。さよなら、おやすみ、またいつか。


2012/10/02

バークレーの植物園でモダンアートを見たこと

 UCバークレーの裏山にある大学付属の植物園に行ってきた。広大な敷地に世界中の植物が集まっているとの触れ込みに惹かれたから、というのがひとつめの理由。もうひとつは、期間限定の奇妙なモダンアートを展示していると聞いたからである。
 
このアートの最大の特色は、政府から多大なる補助金を受けながらも昨年破綻した太陽電池メーカー、ソリンドラ(Solyndra)社のガラス製品をそのまま使っていることだ。「ビジネスからアートへの意外な転身」という見方もあるし、「オバマ政権への痛烈な批判」という見方もある。地元の新聞などでは、後者の見方がマジョリティを占めているようだ。

 しかしまた、リベラルで鳴らすバークレーがリベラル派の政権を批判してしまうというのは、一体どういうことなのだろう。しかも大統領選の白熱するこの時期に。そういうことは分かっていて、敢えてそうしているのだろうか。リベラルのリベラル。反骨の反骨。
 まあそれは私の考え過ぎかもしれないけれど、バークレーってやっぱり変なところだあ、と改めて感心した次第である。

草木生い茂る中で、いきなりアートに出くわす。(瀬戸内海の)直島に通じるセンスだ