2013/11/14

GSPP新入生の多様性に再び感銘を受けたこと

 GSPPに入学して1年と少し。私も無事進級して2年生となり(留年しなかった。よかった!)、後輩などというものが現れた。といっても、堅苦しい上下関係の類はまったくない。
 ここはバークレー。自由な風の吹く場所なのだ。
 
 今回は、昨年書いたGSPPの多様性に関する記事の続篇的位置づけとして、2013年入学組の特徴と、ひとりの日本人へのインタビューを紹介したい。



第1部 ファクト篇>
・2013年の生徒数は81名。うち男性は32名、女性は49名。同年の応募者数は737名というから、単純倍率は約9.1倍ということになる。

・平均年齢は27.5歳で、平均勤務年数(Average years of work experience)は4年。私の代とあまり変わらないのは、たぶんそうなるように選考しているからだろう。

・留学生は16名。その内訳は、メキシコ(4名)、インド(3名)、中国(2名)、日本(2名)、オーストラリア、カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ。英語に苦戦しているのは日本人くらい・・・というパターンも、悲しきかな、今年も同じかもしれない(がんばってくれ!)。

・学部の出身は、UCバークレー(8名)、ハーバード大学(2名)、プリンストン大学(2名)、北京大学(2名)といった名門校も目立つけれど、全体としてはバラバラで、学歴はそこまで重要視されていないようだ・・・というのも昨年と同様。

・学部時代の専攻は、経済学(13名)、政治学(10名)、心理学(6名)、ビジネス(3名)、環境学(3名)、人類学(3名)、コンピューター・サイエンス(3名)、歴史学(2名)、国際関係論(2名)、社会学(2名)、アジアン・アメリカン学(2名)、中南米学(2名)、ジャーナリズム(2名)、動物学、演劇学、電気工学、化学工学、中東学、数学、倫理学・・・リストは続く。しかし世の中にはいろいろな学問がありますね。

・前職は、金融アナリスト、コンサルタント、シンクタンク、エンジニア、研究者、記者、政治家のスピーチライター、小学校教師、大学職員、NPO職員、地方公務員、国家公務員・・・リストは続く。

・生徒の関心領域は、農業、教育、環境、エネルギー、社会福祉、ジェンダー、貧困問題、刑事司法、地方自治、行政組織など。ひとつの傾向として、今年は開発分野に興味のある人が若干多いような気がする。

・GPAの平均点は3.69点。(レンジ:2.69~4.16点。満点=4点を超えているのは、おそらく、「A+」がたくさんあるということなのだろう。学部時代、学期内取得単位数が「0単位」だったこともある私から見ると、これはもう雲の上の世界である)

・TOEFLの平均点は110点。(レンジ:102~118点。すごすぎる。118点なんて、どうやったら取れるんだ?)

・GREの平均点は、Verbalが160点(レンジ:144~170点)、Quantitativeが159点(レンジ:148~170点)、Analytical Writing:が4.5点(レンジ:3.0~6.0点)。



<第2部 インタビュー篇>
 今年GSPPに入学した日本人のひとり、Tomokazuさんをお招きして、インタビューを行った。
 Tomokazuさんは、発酵食品にたとえると、「テンペ」のような人である。テンペとは、ゆでた大豆をテンペ菌で発酵させた、インドネシアの伝統食品だ。植物性たんぱく質、ビタミンB群、リノール酸、食物繊維、ミネラル、サポニン、イソフラボンなどが豊富に含まれているため、日本や欧米でも健康食品として最近とみに注目を浴びるテンペ。通常価格48万8,000円のところ、いまなら期間限定、40万円ポッキリでのご提供となっております。

Satoru(以下、S): Tomokazuさん、こんにちは。

Tomokazu(以下、T): こんにちは。

S: まあ、ビールでも飲みながら。一杯どうぞ。

T: あ、どうも。

S: うまい。

T: うまい。

S: まずは・・・そうですね、
  平凡な質問で恐縮ですが、
  話せる範囲で自己紹介をお願いできますか。

T: バークレーに来る前は弁護士をしていて、
  自分で法律事務所を経営していました。

  もともとは法律と全然関係のない
  文化人類学という学問を専攻していたんですが、
  2年近いイランでのフィールドワークを終えて帰国した翌年に
  一期生として日本の法科大学院に入って、
  それから10年ほど法律の世界にどっぷり浸かっていました。

S: 文化人類学、イラン、弁護士。
  三題噺のお題になりそうな、
  妙味のある組み合わせですね。

  これは漠然とした質問になりますが、
  Tomokazuさんの「人生の転機」は
  どのようにして訪れたのでしょうか。

  おもしろい人に出会ったからとか、
  印象的な事件に接して天啓に導かれたとか、
  あるいはただなんとなくとか、
  これはいろいろなパターンがありそうですが。

T: イランでの経験を抜きには語れないテーマですね。
  そもそも、なんでイランに2年も?
  というのは気になるところなんじゃないかと思うんですが、
  日本の外に出て、まとまった期間フィールドワークをするというのは、
  プロの人類学者になるための通過儀礼みたいなもので、
  これに挑戦するのは人類学者志望だった僕には自然ななりゆきでした。
  学部生だった僕の準備は不十分で、無謀な挑戦でしたけど。

S: ほほう。

T: それで、僕の場合はイランをフィールドに選んだんですが、
  その理由は大きく分けて2つあって、
  ひとつは当時イランをフィールドにしている日本の人類学者が希少で、
  その分野の第一人者になることを狙えそうだったこと、
  もうひとつは僕がイスラーム文化を肌で感じてみたかったことでした。

  イランで調査をやろうと決めたのは
  2000年の秋頃だったんですが、
  「西洋」対「イスラーム」という構図が
  盛んに議論されるようになっていたころで、
  その議論が意味しているところを自分の目で見て確かめたくて。

  ちなみにイランを訪れて調査を始めたのはその1年後で、
  実は911の同時多発テロ事件の直後でした。
  時期を逸した感がありましたね。

S: なるほど。おもしろいですね。
  私はその頃、あまり大学には行かずに、池袋の映画館の片隅で、
  サイードの「オリエンタリズム」を読んでいた記憶があります。
  アホだったので、まったく頭に入ってきませんでしたが。

T: 映画館の暗がりで読書とは酔狂ですねえ。

S: それはさておき、
  911の直後からイランに住むというのは、
  これはなかなかシビれる体験ですよね。

  当時は、ブッシュ元大統領の「悪の枢軸」発言などを通じて、
  西欧との対立構造がますます煽られていった時期に重なると思います。
  現地在住者の立場から、何か特別な実感はありましたか。

T: 事件が起きてすぐ、
  イランへの渡航は止めた方がいいというアドバイスも受けましたし、
  そもそもビザは出るのかな、と心配になったりもしましたが、
  ビザが出たと在日イラン大使館から電話があったのが事件の翌朝で、
  大使館の窓口の人の対応も「やっとビザが出て良かったですね」と
  911の影響を微塵も感じさせないものだったので、
  拍子抜けしてイランに向かったのを覚えています。

S: 911の翌朝にビザが出るってのが、なんかすごい象徴的ですね。
  でもそのままテヘランで2年間暮らしちゃうあたりに、
  Tomokazuさんの凄みがあるような気もします。

T: よく、イランは危なかったでしょう?と質問されるんですが、
  少なくとも僕が住んでいたテヘランはいたって平和でした。
  とはいっても、お隣りのアフガニスタンとイラクで「戦争」が起こるたび、
  在留邦人向けに退去の警告くらいは出ていたかもしれません。

  現地のイラン人は「次はイランだなー」なんてよく笑っていましたね。
  まあ、ある程度は腹をくくっていたんじゃないかと思います。
  攻撃される理由があると信じていたわけじゃないでしょうけど。

S: それでは、Tomokazuさんが実際に留学するまでの
  ミッシング・リンクを埋める質問に移りますね。

  まず、人類学から法曹界というのは、私の目から見ると、
  かなり飛び抜けたキャリア・チェンジのように思えます。
  そこには何か、特別な理由のようなものがあったのでしょうか。

T: しつこいかと思いますけど、ちょっとイランの話に戻りますね。
  現地では、生活のためにペルシャ語をゼロから勉強しつつ、
  日本人妻といわれる方たちにインタビューをしていまして。
  彼女たちは、イラン人の男性と出会い結婚して、
  いろいろな経緯でテヘランで暮らすようになった方たちなんですが。

  彼女たち一人ひとりのライフヒストリーに耳を傾けていく中で、
  彼女たちの悩みや苦しみを目の当たりにする機会が出てきたわけです。

  で、そのうちどうしても解決できない疑問が出てきてたんですよね。
  人類学者が調査を進めるには誰かの力を借りないといけない、
  でも人類学者はその誰かの力になることができるのか、という。
  911の後でセンシティブになっていたのかもしれない。

  そうして、日本に帰ってくるころには、
  大学院に進んでプロの人類学者を目指すのは自分の道じゃないかなと。

  かといって、大学4年の夏も終わりかけの時期に就職活動もないし、
  当面はフリーのペルシャ語通訳でもやろうかと考えていたときに、
  日本で法科大学院の一期生を募集しているという広告か何かをみて、
  法律の知識があれば誰かの役に立てるかなと思って。

S: (ビールのお代わりを飲みながら)ええ。

T: 弁護士になろう!
  と最初から思っていたわけじゃないんですよね。

  ただ、法科大学院に入ってみると
  周りはそういう動機をもった人ばかりで、
  たしかに法律の知識を使って何をするか具体的に考えないとな、
  と考えて、
  それならひとつということで弁護士を目指すことにしました。

S: しかしまあ、「それならひとつ」で
  弁護士になっちゃうってのがすごいですね。
  そんなに簡単になれるものじゃないでしょうに。

  それで、弁護士になってみて、どうでしたか。
  傾聴のスキルが求められるという意味では
  人類学とも共通する要素がありそうですが、
  また違った世界が見えてきたのでしょうか。

T: 弁護士になってすぐ、
  企業の知的財産を扱うようになりました。
  この分野には未開拓な領域がたくさんあって、
  知的好奇心をくすぐられる、「かっこいい」仕事だったんですが、
  うーん、なんか違うぞ、と。

  それで当時の所属事務所は半年ほどで辞めさせていただいて、
  中型二輪の教習場に通ったりしつつ(笑)、数か月迷った末に、
  依頼者の人生にコミットするような仕事をしていこうと考えて、
  自分で法律事務所を開いて試行錯誤していこうと決めました。

  普通の人が弁護士を必要とするのは一生に一度あるかないかです。
  そこからは人生や人情の機微に触れるような仕事の連続でした。

  依頼者の方々には話したいこと聞かせたいことがいくらでもあります。
  少なくとも数時間では語り尽くせないぐらい。

  一方で、弁護士からすると知っておきたい大事な話であっても、
  依頼者の方々からするとあえて触れたくない話や、
  どうでもいいと思われてなかなか出てこない話もあります。

  依頼者の方々の訴えを正面から受け止めながら、
  言葉の裏にあるもの、ありそうなものを探るスキルは、
  この種のテーマを扱う弁護士に不可欠だと思いますよ。

  依頼者の方々が納得して人生の次のステップに進めるかどうかは、
  このプロセスをどう進めるかにも影響を受けますし。

  法律の知識を得たり深めたりする方法はクリアなんですが、
  このスキルを高める方法には答えが・・・。
  課題を見つけては反省するのをひたすら繰り返していました。

  人類学を続けていても似たような悩みはもったでしょうね。
  ただ、下手を打てば依頼者を即傷つけてしまう弁護士の場合、
  悩みに伴うプレッシャーはかなり厳しいです。

S: いい話ですね。
  
  でも、Tomokazuさんのように、
  依頼者の心情の機微をつかんで、
  そこから真の答えを探ろうとする弁護士って、
  わりに少数派のような気もします。

  というのも、実務の都合を考えれば、
  「弁護士は法律事務にこそ専念すべきで、
  カウンセラー的な役割を果たす必要はない」
  というスタンスを取る人の方が多そうですよね。
  これは、法曹界についてよく知らずに言っているのですが。

  Tomokazuさんの、その傾聴に重きを置く姿勢は、
  幼少時に自然と培われたものなのでしょうか。
  それとも、人類学のフィールドスタディなどの経験を通じて、
  後天的に身につけられたものなのでしょうか。

T: どうなんでしょうねえ。
  ほかの弁護士の仕事の進め方には僕も興味がありますが。

  少なくとも自分に関していえば、
  根っこの部分から問題を解決するのが仕事だと考えていたので、
  じっくり話を聞いて問題を探すプロセスは実務上も必要でした。
  実際にそれがどれだけできていたかはともかくとして。

  まあ、そういう考え方をとらなかったとしても、
  丹念に事情を聞き取ることは不可欠だとは思いますけどね。
  対象の全容と詳細をつかんでおかないと、
  死角から弾が飛んできて致命傷を負うことになりかねませんから。

  単純に目の前の人のことをよく知りたいというのもあると思います。
  自他ともに人間ってよくわからんなあという感覚が昔からあって、
  よくわからない、だから知りたいという。

S: 人間、わからないですよね。

  科学技術がいくら発展しても、
  生活水準がいくら向上しても、
  人間そのものに対する「わからなさ」の度合いは、
  結局あまり変わらないんじゃないかという気がします。

  しかし、弁護士が海外留学するとなると、
  ロースクールに行くのが王道というか、
  まあわりに一般的な選択肢ですよね。

  にもかかわらず、Tomokazuさんが
  あえて公共政策学を専攻された背景には、
  どのようなものがあったのでしょうか。

  その問いに対する答えが、
  おそらくTomokazuさんの出願エッセイの
  通奏低音にもなっているのだと思いますが。
  (さあ、ようやく留学インタビューらしくなってきたぞ!)

T: 法律家としての引出しは増やしたいし、
  この国の法律を勉強したいという意思はあるんですが、
  ロースクールという選択肢はありませんでしたね。

  1年政策を勉強して1年法律を勉強するのが可能ならアリかな、
  とは思うけど。

S: なるほど。

T: 僕の理想の世の中は、争いのない平和な世の中なんですよね。
  弁護士の要らない幸せな社会。

  それが近い将来に実現するとは思えないのが悲しい現実だけど、
  それでもそのうさん臭い理想にアプローチする方法はないのかなあ、と。
  僕がこれまでやってきた個々の問題に対処する方法じゃなくて、
  その問題の根本にある社会の病理そのものを根治する方法、というか。

  それで自分の出した一応の答えが、
  紛争を解決するためのツールをどう運用するかではなくて、
  どうやったらダイナミックに社会を変えられるかを学ぶ、
  というものだったということですね。
  僕が公共政策を学ぼうと思い立ったのは。
  あ、これって堯舜の伝説を追い求める昔の中国の思想家みたいな・・・。

S: なんだかスケールの大きい話になってきました。

T: 日本の法科大学院に在籍していたときのことですが、
  発展途上国の法制度を整備するというプロジェクトに興味をもって、
  ラオスの司法省内にあったプロジェクトチームで
  インターンをさせていただいたことがあるんです。
  こうした経験もどこかで自分の選択と結びついている気がします。

S: おもしろいですねえ。

  先程おっしゃった「1年政策を勉強して1年法律を勉強する」
  というのは、まさにうちの大学院のスタイルにあっていますよね。
  GSPPの場合、1年目は政策関連の必修科目ばかりですが、
  2年目は基本的にどの学部のどの科目を取ってもOKなので。

  実際、私の代のクラスメートを見ても、
  ロースクールやMBAのクラスを取りまくっている人もいれば、
  哲学や歴史学など、また一味違う分野を開拓している人もいる。
  この自由さは、やはり最高ですね。

  さて、ここで急にプラクティカルな質問になりますが、
  TOEFL iBTについては、どのように準備を進められましたか。
  弁護士の仕事をしながら英語の勉強をするのは、
  やはりそれなりの苦労はあっただろうと推察しますが。

  いやいや、すでに日本語、英語、ペルシャ語の
  トリリンガルであらせられたTomokazuさんは
  そんなに苦労しなかったのかな(笑)?

T: 英語は昔から苦手ですよ。
  高校のときなんか返却された英語の答案に
  「Do your best」って毎回書かれてるのを見て、
  「best」ってことはいい意味なのかな?
  とずっと勘違いしていたほどです。

  正答率10%以下の答案に
  ほめ言葉が書かれているわけないんですけどね。

S: ははははは!

T: そんなわけで英語には当然苦労しましたが、
  まず旺文社の「TOEFLテスト英単語3800」の
  掲載単語をひととおり覚えました。
  発音を意識して勉強したら少しずつ
  英語が聞き取れるようになっていきました。

  それから「Extensive Reading for Academic Success」
  というシリーズでリーディングの勘をつかむのと並行して、
  オンライン英会話を使って英語を話す練習をしました。

  英語の雑誌記事をまとめたりもしたなあ、
  すぐ飽きてやめたけど・・・。

  そうして一発でTOEFLを仕留めにいったんですけど、
  結果は99点、98点、99点、102点と、
  4回受けてギリギリ出願に必要なラインを越えた程度でした。
  越えてないところもあったかな?

S: いや、すごいなあ!
  TOEFL iBTに臨む日本人は、
  60点台あたりからはじまってひたすら受けまくるタイプ(例:私)と、
  最初からサクっと100点近くを取るタイプの2種類に大別されると思うのですが、
  Tomokazuさんは明らかに後者のタイプですね。

  GREについては、いかがでしたか?
  私の代から点数計算(っていうと麻雀みたいだけど)の方針が
  変わったため、相場観がよくわかっていないのですが。

T: 公共政策大学院の場合は、
  GREの代わりにGMATの結果を受け付けてくれる学校もありますよね?
  で、GREよりも簡単だという噂のGMATを2回か3回受けたんですけど、
  試験方式の関係で集中力が最後まで続かなくって。

  それで、回数制限の関係もあってGREの方を試しに受けてみたら、
  Verbalが156点、Quantが164点で。
  これ以上試験にお金をかけるのもアホくさいし
  最低限の水準は越えているだろうと判断して出願書類の作成に移りました。

  GREのVerbalとライティングの勉強は特にしませんでしたが、
  2ch等で評判の良かった「マスアカ」という教材で数学の記憶を喚起して、
  ETSの「POWERPREP」を使って試験の流れは押さえました。

  日本人はライティングが得意だといわれているようですが、
  TOEFLで22点前後、GREで3.5と酷い結果でした。
  中学高校で地道な勉強をさぼった影響が露骨に現れましたね。
  なおライティングの苦しみは現在も進行中です。因果応報です。

  出願を決心してから出願までにかかった期間は1年くらいですかね。
  TOEFL等の準備と受験、奨学金の取得にかかった時間もコミコミで。
  費用は多めに見積もって全部で20万円ちょっとかなあ・・・。

S: うーん、さすがですね。
  期間も短いし、費用も安い。
  私の場合、TOEFLの受験料だけでその2倍近くかかっているので、
  まったく愚かなものです。

  しかしこれも、「Do your best」の時代から
  努力を切々と積み重ねられた結果ですね。

  ここまでお話を聞いていて思ったのは、Tomokazuさんは
  「ここではないどこか」を求める夢想家的な気質と、
  目標に向かって着実に努力する実務家的な気質の、
  両者のバランスがいい感じに取れているなあ、ということです。

  立身出世にがっついてはいないけど、かといって
  「おれは競争から降りるよ」と宣言した風でもない。
  そうした心のありように、個人的には強く惹かれるものがあります。

T:  まあ、どこでも誰からも変わり者だと言われます。

  プラクティカルな話題ついでに触れておくと、
  奨学金のプログラムや大学院に提出するエッセイには
  ここでお話したようなことを書きました。

  決して美しい内容ではありませんが、
  それでバークレーで学ぶ機会と、
  歴史あるフルブライト奨学金を与えられているわけです。

  大学院にどう自分を売り込もうかと悩んでいる方たちには、
  泥臭くてもなんでもいいから、
  自分のやってきたことに誠実に向き合ったらいいことあるかもよ!
  って言いたいです。結果に責任は持ちませんけどね(笑)。

S:  うーん、格好いいなあ!
  最後の一言を除いて(笑)。

  さて、そのように受験地獄を乗り越え、
  バークレーに実際に来てみて、
  カルチャーショックとまではいかないでも、
  何か驚いたことなどはありますか。
  テヘランとはだいぶ違うと思いますが。

T:  いまのところは、ほとんどの出来事が
  当初の想像の範囲内に収まっています。

  日本の外で暮らした経験があるせいか、
  日本以外の国のシステムに対する期待が
  そもそも低いんだと思います(笑)。

  いくつか注目していることはありますが、
  もうちょっと観察に時間が必要ですね。

S: 「システムに対する期待が低い」、いい言葉ですね。
  相手に求める基準値がそもそも低ければ、
  文句も(あまり)出ないし、腹も(あまり)立たない。
  これは他の分野にも応用できそうですね。

  それでは、これが最後の質問になります。

  GSPPに来て早や3カ月が経とうとしていますが、
  どうですか、これまでの印象というか、感想は。
  我が身を振り返ってみれば、去年の今ごろは
  日々の課題をこなすだけで精いっぱいだったわけですが。

T: 当初、経済学と統計学の必修2科目に加え、
  法律と政治学の選択必修2科目を履修していました。
  が、アメリカの国内政治に関する議論が飛び交う
  政治学を早い段階でドロップしたので、
  Satoruさんのときほど厳しい状況ではないでしょう(笑)。

  それでも、課題に取り組んでいて
  脳から汗が流れ落ちる感覚に襲われたのは
  一度や二度じゃないですけどね。

  基礎からきっちり教えてもらえるから、
  授業についていけなくて苦しいということはないんだけど。

  最低でも、学校側のカリキュラムに食らいついていきさえすれば、
  最後には必ず「何か」ができるようになっているだろう
  という実感が今の時点でもあります。
  こういう感覚は、これまで得たことのないものかもしれません。

S: 「GSPPの単位は1.5掛け」という言葉があって、
  これは4単位の授業は他学部の6単位ぶんの
  ワークロードがあるという意味なのですが、
  政治学には私もとりわけ苦労しましたね。
  不如意な言語で不如意な内容を学ぶつらさ、というか。

  でも真面目な話、GSPPのカリキュラムは本当によくできているので、
  経済学や統計学の授業にしっかり食らいついていけば、
  1年後に確かなTakeawaysがあることは保証できますよ!

T:  最後にひとつだけ。
  僕がこうして大学院生活を送っていられるのは寛大な妻のおかげです。
  これを言っておかないと妻にあとで怒られる(笑)。

S:  すばらしい締めですね(笑)。
  ここは、私も同意見ということで。
  奥さんに、日々感謝ということで。

  じゃあ、そろそろ次のレースなので、パドックに行きましょうか。

T: 行きましょう。

(おわり)

対談場所: ゴールデンゲートフィールズ競馬場

2013/11/03

UCバークレーで中国語を勉強していること

A different language is a different vision of life.
(フェデリコ・フェリーニ)


 UCバークレーで、学部生向けの中国語のクラス(Elementary Chinese)を受講している。
 5単位の授業だが、GSPPの卒業に必要な単位数にはカウントされない。にもかかわらず、その負荷は今学期の少なからぬ割合を占めている。ニュアンスとしては、趣味の苦行といったところだ。

 31歳にもなって、英語すら満足に話せないのに、なぜここにきて新たな外国語を学ぼうとするのか。お前はアホなのか。と問われれば、「Yes, I'm stupid.」と答えてうつむくほかはないのだが、あえて理由を挙げるなら、それは次の2点ということになる。

1. 中国が好きだから。
2. 仕事を再開したら、新たな言語を学ぶための時間はもう取れないだろうから。

 「1.」について、私は日本を愛しているし、この国を守ってきた先人たちに深い敬意を表する者である。バークレーにも日の丸の国旗をしっかり持参してきた。
 しかし同時に、私は中国のことも憎からず思っている。とんでもない料理、とんでもない人物、とんでもない政策、とんでもない拷問、とんでもない爆発。歴史をひもとけば、そういうのは大抵中国から出てきている。その発想のスケールのでかさが好きなのだ。いや拷問も爆発も経験したくはないけど。
 でも真面目な話、地政学的に「仲良くなれない運命にある」とされがちな日本と中国だけど、文化的に一脈通じるのはやはり中国なのだなあ、とはアメリカに来てしみじみ思うことである。好(ハオ)。

 「2.」については、私も人生の残り時間を徐々に意識するようになったということだ。もちろん、語学と年齢は無関係という主張はある。考古学者のシュリーマンは、68歳で亡くなるまでに18ヶ国語をマスターしたという。素晴らしいことである。好(ハオ)。
 だが私は、自身の語学力の希少性(scarcity)を意識せずにはいられない。限られたリソースを、いつ、どのように振り向けるか。何事によらず、人生の要諦はそこにある(大げさ)。
 中国語学習をはじめるなら、留学中のいましかない。私はそう考えたのだった。


 上記2点のほか、中国語を学ぶことにした補足的な理由として、

3. バークレーには中国人がやたらと多いから。
4. 英語で中国語を学べば一石二鳥かもしれないから。

というのもあった。

 「3.」について、これはバークレーを訪れたほとんどの日本人が実感することだが、この街には実にたくさんの中国人が住んでいる。UCバークレーのUCは「University of California」じゃなくて「University of China」だ、というのはこちらでは有名なジョークだ。
 UCバークレーのサイトによれば、2012年の新入生のうち実に21.2%が中国人という。白人の24.3%に迫る勢いだ。しかもこの数字には12.7%の留学生は含まれていないため、実質的には中国人の方が白人よりも多いのかもしれない。チャイナ・パワー、おそるべし。
 でもそれは、中国語の練習相手に決して不足しないことを意味する。他の授業で中国人のクラスメートと会話したり(我不憧!)、私を同胞と勘違いして中国語で話しかけてくる中国人にも応対することができる(认识你很高兴!)。実のところ、これはかなり愉快である。

 しかし、「4.」について、このもくろみは大いに外れた。どの言語で学ぼうと、その対象が中国語である点は変わらない。むしろ、部首の意味を問うテストで「『瓦』の意味はわかるけど、それを英語で何というのかわからない」といった類の苦しみが付加されるだけであった。まあ、これはこれでコクがあっていいんだけど。

夏休みの間に夫婦で中国語を学ぶため、大学寮の掲示板に「個人教師募集」の案内紙を貼り出すつもりだった。ハワイでインターンをすることになったので、結局は貼らずじまいだったけど。

 以下、授業がはじまって9週間が経過した現時点の随想を記してみたい。

<生活のリズム>
 UCバークレーの外国語の授業は、週5回(月火水木金)×1時間のスタイルである。私は朝8時開始のコマを取っているため、必然的に朝型生活になる。どんなに眠かろうと、大学寮から自転車を漕いで(約30分)、クラスで漢字を書いたり音読したりするうちに、自然と意識も覚醒してくるというものだ。
 授業が終わり、教室を出て、まだ静かなキャンパスに漂う朝靄を吸い込む。手近なカフェに入って、ふかふかのバナナマフィンを一口齧り、熱めのエスプレッソを啜る。これはどうしたって気分が良くなる。


<クラスメートの若さ>
 これは学部生向け授業なので特に驚くこともないんだろうけど、クラスメートがとても若い。会話の練習で隣の兄チャンに「你今年多大?」と尋ねると、「十九岁」という答えが返ってくる。「おいおい、19歳かよ!」である。まあ、向こうにしてみれば「おいおい、31歳かよ!」なんだろうけど。
 こんなこと言うとおっさんぽくなるけど、でも若いってのはいいことだ。みんな元気で、自由で、よく笑い、よく学ぶ。時間にはルーズで、しばしば約束をすっぽかす。オーケー、オーケー。若さはすべての免罪符になり得るのだ。
 学部生以外の生徒も、少数ながら存在する。たとえば、私のコマの受講人数は約15名だが、そのうち1人はMPH(Master of Public Health)の大学院生で、もう1人はローレンスバークレー国立研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)の研究者だ。ちなみに後者の彼はインド人で、最近中国人の彼女ができたという。うん、それって語学学習における最高のモチベーションだよな。

漢字書き取りの宿題。文字通り、「一」からのスタートだ。

<日本人であることのアドバンテージ>
 皆さんご存じのように、中国語と日本語には、漢字という偉大な共通項がある。4年前の中国出張のとき、私は「ニーハオ」と「シェイシェイ」しか喋れなかったが、それでも紙と鉛筆さえあれば最低限の意思の疎通は図れたものだった(我・紹興酒・大好!)。これはやはり強力なアドバンテージだ。ちなみに韓国人も義務教育で漢字を習うとのことで(政府の教育方針に紆余曲折はあるみたいだけど)、私のクラスの約3割は韓国人または韓国系アメリカ人である。
 それに比べると、インド人や白人たちは読み書きのところで見るからに苦戦している。私は一時期アダルトスクールの中国語のクラスに通っていたのだが、そこで先生が黒板に「入口」と大書して「これはどういう意味でしょう?」と問うたとき、みんな悲しい顔で「No idea.」だったのが何だかシュールでおかしかった(正解はもちろん「Entrance」)。

授業で習った新単語の例。日本語から類推できる単語もあれば、まったく違っているのもある。

<千本ノック感>
 UCバークレーはもともと授業の厳しいことで有名であるが(気違いじみているという意味合いの「Berserkeley」なる言葉があるくらいだ)、このクラスも例外ではない。
 具体例を挙げると、

・ 語彙の宿題 (Webベース)
・ 文法の宿題 (紙ベース)
・ 漢字書き取りの宿題 (紙ベース)
・ 発音レッスン (30分。週5回の授業とは別枠。3~5名のセミプライベートで、発音だけをひたすら特訓する
・ Writingのテスト (約10分。紙ベース)
・ Listeningのテスト (約20分。Webベース。TOEFL iBTのような設問に答えていく)
・ Speakingのテスト (約10分。Webベース。これもTOEFL iBTと同様、マイクに吹き込んだ録音をネイティブが採点する。発音が少しでもマズいと容赦なく減点されていく)
・ 中国語劇のテスト (2,3名のチームを組み、自ら書いたスクリプトを暗記して皆の前で発表する。発音を間違えるたびに減点。暗記できなかったら大幅減点)
・ 総合テスト  (約50分。Reading/Listening/Writingが問われる)

などが、それぞれ週1~2回の頻度で課せられる。この「千本ノック感」はただごとではない。

 苦労したぶん、上達の実感もひとしおだ。私がこの9週間で学んだ語彙は300程度、文法は「Yes-No疑問文/5W1H疑問文/if/but/助動詞/過去(完了)形/未来形」といったあたりだ。日本の英語教育でいえば、中学2年生相当になるだろうか。
 特に大きいのは、「これである程度なら中国人とコミュニケーションが取れるぞ」という自信が得られたことだ。まあ、それはあくまで限定的な自信であって、実際のところは錯覚に近いかもしれない。でもそういうポジティブな感情があるだけで、外国語を学ぶ苦労も吹き飛んでしまうというものだ(しばしば吹き戻ってくるけど)。

UCバークレー東アジア図書館で借りた「日本休闲漫画 滑稽人 1」(中国民族摄影艺术出版社)より抜粋。麻雀という共通文化があってこそ伝わる笑いですね。「フリテンくん」 ⇒ 「滑稽人」という翻訳もなかなか味わい深い。でもこの本、翻訳者(周炜)や日本の出版元(竹书房)は明記されているのに、肝心の植田まさし先生の名前が見当たらないのはなぜだろう・・・?

<3つの要素>
 中国語を学びはじめて、改めて実感したことがある。それは、語学学習には

い. 毎日やる
ろ. たのしくやる
は. 声に出してやる

の3つが肝要ということだ。語学学習について一家言を持つ人は多く、何とかラーニングとか、何とかメソッドとか、見渡してみれば実にいろいろな商売・・・もとい学習法があるけれど、突き詰めれば結局これなんだ、と私は思う。
 「声に出してやる」については、息子によく中国語で話しかけることにしている。それなりに反応があって、おもしろい。彼がはじめて話す言葉は、もしかしたら「ママ」じゃなくて「妈妈」かもしれない。