2012/01/14

向こう半年間の身の処し方を決めたこと

 出願を終えて、張り詰めた日々に、ようやく区切りがついた。
 それぞれの大学からも、「貴君の出願書類は電子空間を経由して受領した。まずは安心して宜しい。」といった内容のメールが届いたので、まずは安心することにした。

 さて、私は次に何をするべきだろうか。

 私の頭を占めたのは、「遊ぶ」という言葉である。
 この1年間、私はどちらかといえば禁欲的な生活を送ってきた。娯楽といえば、どじょうへの餌やり、ニンジンガジュマルへの水やり、漫画喫茶「自遊空間」の3時間パック、といったあたりが関の山であった。したいことはできなくて、とは色川武大の小説「怪しい来客簿」の章題のひとつであるが、そのように私は、したいことのできない日々を送ってきた。

 それでは、いま、私がしたいこととは何か。それはたとえば、全国の老人ホームを訪問して白装束で落語「死神」を演る、であったり、近隣の土地を五坪ほど購入して大規模なセルフ箱庭療法に興じる、であったりするのだが、残された半年間で本当にそれらを実施するべきなのか、と自問すると、率直なところ、芳しい答えは出てこない。そういうわけで私は、池袋の新文芸坐のオールナイト映画であるとか、川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムであるとか、スケールダウンの感は否めないものの、足を運べば一定程度の楽しみを確実に得られる類の娯楽に甘んじることとしたい。

 他方、この1年間にまがりなりにも培ってきた真摯な気持ちが、このままで良いのか、と静かに問うてくるのも事実である。

 このままで良いのか。もちろん、良いわけがない。私は、私に与えられたこの半年間を、代替不能な留学準備期間として、大いに活用せねばならぬと思う。とはいえ私は勤め人であって、想いのままにスケジュールを組める身分ではない。あれもこれも、と欲張った結果、どれもどれも中途半端に終わってしまった、というのは、これまでの私の29年余の障害、もとい生涯において、幾度となく繰り返してきた蹉跌であった。新しいところでは、つい先日の大学出願プロセスにおいても・・・(と、そこで私は考えるのをやめた)

 そんな按配で、私は、これから勉強する内容に優先順位をつけるべきだと思った。私にいま不足しているものは何か。すなわち英語力と基礎学力である。
 英語力と基礎学力。しかしそれは全部が駄目というわけであって、ジャック・ウェルチが言うところの「選択と集中」の概念からは程遠い。そこで私は、英語力のうち特にリーディング(単語含む)とリスニングの能力、基礎学力のうち特に体系的な経済学の知識を、それぞれ向上させることにした。具体的に、私の半年間のTo-Doリストを、以下に記すことにする。


<リーディング>
・「1100 Words you need to know」への再挑戦。(GRE対策で購入したが途中で挫折した)
・「A practical guide for policy analysis」の通読。(定番の教科書らしい。2012年に第4版が出た)

<リスニング>
・ BBC、VOA、Scientific American等のポッドキャストの聴取。(通勤やジョギングの時間を活用したい)
・ iTunes UでのEconomics関連講義の聴取。(UCバークレーの講義が無料で手に入る)

<経済学>
・ スティグリッツの「入門経済学」「ミクロ経済学」「マクロ経済学」日本語版の精読。(できればちゃんと机に向かって、学生のようにノートを取りたい)


 これは、私のStatement(声明)だ。半年後、この記事を密かに削除することのないよう、しっかりと自分を追いこんでいこうと思う。まあ、どじょうへの餌やりは続けるし、藤子・F・不二雄ミュージアムにも行くけれど。

0 件のコメント:

コメントを投稿