2013/07/31

「フェルマーの最終定理」を読んだこと

 サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読了した。

 ホノルルのブックオフの1ドル棚で見かけた古本を、同期のM君が以前推薦していたなあと手に取ったのだが、さすがは読書家のM君と言うべきか、これが大当たりも大当たりで、この1年に読んだ本のうち(つまり渡米後に読んだ本のうち)、リチャード・ルメルトの「良い戦略、悪い戦略」と並んで、ノンフィクション部門のベスト・ワンとなった。移動の寸暇を惜しんで歩き読みしてたら危うくトラックに轢かれそうになったし、トイレに行く寸暇を惜しんで我慢読みしてたら危うくウンコを漏らしそうにもなった。とにかく危ういんだ、この本は。


 数学界に聳えるフェルマーの最終定理という名の孤峰に対して、史上屈指の天才たちが、挑戦し、挫折し、挑戦し、挫折し、また挑戦し、また挫折し、そうして延々と続くかに思われた、知力の寄せ波、執念の引き波、その絶え間なき連続が、三百余年をかけて徐々に岩盤を突き崩し、その先に開けたものは、当初は予想だにしなかった「数学の大統一」への道であったという、まあ読んでいて鼻血が出そうになるほどの壮大なドラマを、英テレビ局BBCに勤務する著者は、門外漢ながら(といってもケンブリッジ大学で素粒子物理学の博士号を取っている人なので、いわば最強の門外漢なのだが)細密にして芯の太い筆致で捌き切っている。作家として見事としか言いようがない。

 優れた書籍が往々にしてそうであるように、本書の魅力はメインプロット(本筋)に留まらない。サブプロット(脇筋)として紹介される数学者たちのエピソードにも、読み手の臓腑に深く沁みてくるものがある。たとえば、「三日間ぶっ通しで問題を解いてたら疲労で片目が失明した」オイラーとか、「集中しすぎてローマ兵の誰何に気づかず槍で突かれて死んだ」アルキメデスとか、彼らはほとんど狂気の領域に足を踏み入れているとしか思えないのだが、しかし一方で、ひとつの対象にそこまで情熱を注げる人間という生き物の可能性には勇気づけられる部分もあって、その意味で本書は偉大な人間賛歌でもある。

 そしてもうひとつ、ケン・リベットとバリー・メーザーという2人の数学者が「ストラーダ」でカプチーノを飲みながら革新的なアイデアを発見する場面は、読みながら体温が2℃ほど上昇した。というのも、「Strada」はUCバークレーのキャンパス近くにある有名なカフェで、その店名が私の愛するフェリーニの映画「道」の原題と同じであることから(ザンパノが来たよ!)、個人的にもお気に入りの店だったのだ(ジェルソミーナ!)。
 この小さなコーヒー・ショップで数学の歴史が塗りかえられたのだ、と想像するだけで、妙に誇らしげな気持ちになってくるから不思議なものである。もちろん私は伝説に何の貢献もしていないんだけど。


「たとえこの論文しかもたずに無人島に流れ着いたとしても、頭脳のための食料は十分にあるといえるでしょう。数論の現代的概念はすべてこのなかにそろっている。あるページにはドリーニュの基本定理が出てくるし、ページをめくればエルグアルクの定理に出会います。そうしたいっさいが呼び出されては、次の概念が登場するまで、しばし与えられた役柄を演じるのです」


 プリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ教授がフェルマーの最終定理の証明を発表したとき、私は中学生で、「高校への数学」を読んで鼻息をフンフンさせている生意気なガキだった。どのくらい生意気だったかというと、独自にワイルズの証明の欠陥を見つけ出そうとしていたくらい生意気だった(もちろんすぐに挫折した。証明の内容からして理解できなかった)。

 当時の日本でも、フェルマーの最終定理は各種メディアに大きく取り上げられた。私も特集記事をいろいろ読んだが、残念ながらあまり知的好奇心を抱かせるものは無かったと記憶している。それはひとえに私の頭脳の容量不足に因るのだが、もし、あの頃の私が本書に出会い(訳書が出版されたのは2000年なので、その仮定は実際には成立しないが)、深遠なる数学の魔力に魂を奪われていたら、いまの私はどうなっていただろうか。数学者になっていたか。乞食になっていたか。それともその両方になっていたか。歴史にifが無いように、人生にもifは無い。それはわかっているのだが。

 とはいえ、thirteenではなくthirtyで本書に出会った現在の私にも、ひとつ自信を持って言えることがある。血沸き肉踊る濃密な読書体験の尊さは、何歳になっても決して損なわれるものではない、ということだ。


2013/07/23

バークレーとホノルルを比較考量したこと

 ハワイに暮らしはじめて早や1ヶ月になる。幼少の頃を小笠原諸島の母島で過ごした私にとって、生命力の過剰なうねうねした巨木とか、透明度が良すぎて水深を測りかねる磯辺とか、世の中をついでに生きてるような半裸の兄チャンとか、何をするでもなくただ座っているだけの半裸の爺チャンとか、そうした要素のひとつひとつに、私の原始記憶の柔らかい部分に触れてくるものがあり、土地の空気に馴染むまでにはさほど時間を要しなかった。

 インターンは週5日なのだが、その勤務時間は午前8時から午後4時までと、まあ控え目に言って最高の環境であり、がために、土日も宿題に追われていたバークレーの日々や、月150時間くらい残業していた東京の日々などは、もはや遠い遠い昔の出来事のように思えてならず、これまでいろいろに苦労したこと、いろいろに失敗したこと、いろいろに屈折したこと、すべては曖昧な追憶の沼に溶け合ってひとつとなり、ハワイの陽だまりとなり、なるほど私はいまこの瞬間のために生きてきたのか、という根拠なき得心が無形の温もりとなって身の内に広がった。これが昔の日本映画であれば、夕暮れの浜辺に佇む私の姿を、引きのカメラで、画面中央に大きく「終」の文字が出て暗転となるところだろう。終。私の人生。終。

 しかし、そんな風に綺麗に幕が下りるわけはもちろんなくて、ライフ・ゴーズ・オン、私の愚かな人生は続いていく。太陽が海の向こうに沈んでいく。半裸の爺チャンが何をするでもなくただ座っている。
 



 転地の効用というのはいろいろあって、それはたとえば、日々の屈託にまみれて柔軟性を失いがちな精神の風通しが良くなることだ。「精神」とはいかにも多義的な言葉であるが、ここでは、ものの見方であるとか、好き嫌いであるとか、対象との距離の取り方といった意味合いで使っている。
 私の場合、今回の転地は、音楽の好みに変化をもたらした。たとえば、バークレーにいた頃には、ZAZEN BOYS、Aphex Twin、Red Hot Chili Peppersなどに傾倒していたのだが、ホノルルに来てからは、小曽根真、Small Circle of Friends、José Gonzálezといったあたりを頻繁に聴くようになった。
 おわかりの方はおわかりと思うが、これは音楽の傾向としてはずいぶん異なる。それだけ土地の力はすごいと言うべきか、私が単純に感化されやすい(軽薄な)だけと言うべきか、それはまあどっちでもいいけれど、でもハワイでブラームスの交響曲を聴くのはちょっとしんどいものがありますね。
(ところで、iTunes Storeの設定をアメリカに変えるだけで、多くの邦楽アルバムが9.99ドルで購入できるというのを知ってましたか。同じ商品なのに地域によって約2倍の価格差があるなんて、これは不完全競争市場の好例だと思う)




 転地の効用として、もうひとつ、これまで持っていた自分の視点が相対化されるというものがある。
 私は思うのだけれど、「他の誰とも違うオンリーワンな私」というのは、現代人が魔女(またの名を広告代理店)にかけられた呪縛のようなもので、そんなのはどこにも存在しない。それは直線的に求めようとして得られるものではない。むしろ、追えば追うほど遠ざかっていく逃げ水のようなものである。
 だから、いま我々の目指すべき道は、「絶対的にオリジナルな視点を獲得すること」ではなく(それは無理なので)、「相対化された多様な視点を育んで、その差分の総和を高めていくこと」なのだと思う。
 つまりそれは、漫然と生きていたらAという視点しか得られなかったところを、読書や映画や仕事や芸事や交際などを通じて、BやCやDやEやFという異なる座標の視点を獲得することで、「A-B」、「A-C」、「A-D」・・・「E-F」といった落差(差分)を生みだすというアプローチである。そうしてその落差の集積(総和)が大きくなるほど、一般に思考の振れ幅も大きくなる。物事の捉え方が豊かになる。
 「いろんなジャンルの本を読め」とか、「いろんなバックグラウンドの人と付き合え」といった類の箴言は、突き詰めればそういうことなのだろう。その意味で、転地や留学は、相対化された視点を得るための絶好の機会なのだ。

 とまあ、理屈はともかく、こちらに来てからバークレーに対する印象が多少なりとも変わったのは確かだ。そこで今回は、いくつかの項目について、バークレーとホノルルを比較した際の優劣を(100%の冗談として)評価してみようと思う。
 バークレーとホノルルと私。なんだか「部屋とYシャツと私」みたいだな。




<第一対決:天気>
 以前、このブログで、バークレーの天気の素晴らしさについて書いた。しかし、私の見識は浅かったようだ。上には上があったのだ。
 ホノルルは海と山に挟まれた場所にあり、雲は厚く、太陽は暑い。考えなしに日なたにいるとひどい日焼けに苛まされることになるが(例:折り畳み自転車でオアフ島を一周)、日陰に腰掛けていれば、頬を撫ぜる風は意外にも涼しい。

 天気雨が多いのも特徴だ。でもそれは温かく穏やかな雨で、ジョギングをするにはむしろ心地よい。ハワイの原住民にとって、雨は「祝福のしるし」であるらしいが、私もその信仰に身を委ねたいもlのだ。雨上がりにはよく虹が出て、祝福に彩りを与えてくれる。
 また、夜半は寒くなりがちなバークレーに比べ、ホノルルの夜は半袖&短パン&サンダルでも問題ない。「暑くて汗べったりになるのは嫌ッ!」という向きには申し訳ないが、南国育ちの私としては、ホノルルに一票を投じることとしたい。よって、第一対決は【ホノルルの勝ち】




<第二対決:GKB>
 バークレーでは久しく見ることのなかったあいつに再会した。陰を好み陽を避け、雨にも負けず風にも負けず、毒物にも負けず放射能にも負けない(らしい)、黒光りの気になるあいつ。その名前を明記するのは憚られるので、ここでは「GKB」という仮名を使いたい。1匹いたら48匹いると思え。GKB48でございます。
 ホノルルのGKB先生(何しろ数億年前から生きておられるというのだから、これは字義通り「先生」と呼ばざるを得まい)は、全体に筋骨隆々で、いや実際には虫なので筋肉も骨もないのだけれど、そうした表現が似つかわしい大きさと逞しさを発揮されており、あちこちでその禍々しいお姿を拝謁することになった。

 正直に申し上げて、私はGKB先生が大の苦手であり、そのお姿を拝謁する機会もできるだけこれを避けたいのであるが、何しろご家族やお仲間の多い方で、随時随所に出没されるので仕様がない。具体的には、大衆食堂の厠を滑走なさっているお姿を拝謁したこともあれば、ハワイ大学マノア校の歩道で潰れて死んでおられるお姿を拝謁したこともあった。
 また、大学寮の共同キッチンにおいて、「コンロを使い終わったら清潔にしましょう」といった貼り紙を見かけたこともあった。まあそれ自体は大いに結構なのだが、よく見ると、「清潔にしないとこうなります」という注意書きとともに、残飯の前でぐんぐんになった巨大なGKBの写真が添えられていたのには驚愕した。思わず食べていた蕎麦を鼻から噴き出しそうになった。
 これが日本であれば、何らかの配慮があるというもので、たとえば、GKBをデフォルメしたキャラクターのイラストに、「ボクが来ないように、ちゃんと片付けようネ!」といった無害なセリフを付すのが妥当な線であろう。ところが、ここハワイでは、そんなまどろっこしいことはせず、いきなりのリアルGKBである。生写真である。インパクトとしてこれに勝るものはなく、読む者に行動を喚起するという観点からも抜群の効果を上げるに違いない。その趣旨はわかる、それはわかるのだが、食卓の隣に掲げるポスターとしてはどうだろうか。
 すっかり慣れ親しんだと思っていたハワイだが、どうやらまだまだ奥が深そうである。
 というわけで、これはもう圧倒的に【バークレーの勝ち】




<第三対決:日本語率>
 ホノルル、特にワイキキ周辺では、異様なほど「日本語率」が高い。方々を日本語が飛び交っているし、書き文字にも単語や文法の誤りがない。ここは日本の領土かと錯覚したほどだ。
 英語の不得手な者にとって、これはもちろん心安い環境ではある。しかし個人的には困った点でもある。
 というのも、私は散歩中に「エー、商売というものは、実にいろいろなものがございますナ」とか、「びっくりして座りションベンして馬鹿ンなっちまったらしょうがねえからナ」といった按配に、古今亭志ん生の口真似をする癖があり、周りに人がいなければ特に問題はないのだが、うっかり日本語を解する輩が近くにいたりすると「春先に現れがちな人」という誤解を招くおそれがある。そうなると決まりが悪いので、ここは日本語話者の少ない【バークレーの勝ち】




<第四対決:日系店舗>
 前項で「日本の領土かと錯覚した」と書いたが、ホノルルの往来の店舗を眺めても同種の感想を抱くことになる。蕎麦屋、ラーメン屋、とんかつ屋の類はともあれ、たこ焼き屋、たい焼き屋、回転寿し屋などというのは、少なくともバークレーにはなかったものだ。リンガーハット、天下一品、えぞ菊、丸亀製麺といったチェーン店まである(しかしジャンクフードばっかりだな)。
 バークレーではついぞ見かけなかったゲームセンターもあった。なんと、「beatmania IIDX tricoro」の筐台まであるのだ。嗚呼、beatmania! 私の無数の百円玉と未来の可能性を吸い込んでいったbeatmania! よもやこんなところで邂逅しようとは。(2013年8月3日追記: シリーズ13作目あたりからプレイしなくなっていたので、今回数週間かけて一気にフォローしました。Hiroshi Watanabeの「LIFE SCROLLING」という曲が良かったですね)

 しかし、私の鼻息をいちばん荒くさせたのは、セブンイレブンのレベルの高さであった。たぶんこれ、日本から直行便でハワイにいらっしゃった方には通じないと思うので、少し解説させてください。実はバークレーにもセブンイレブンがあるのだが、これは名前とロゴを借りただけの別物で、言うなれば、偉大なる前作のエッセンスを汲み取るのに失敗したリメイク映画のようなものである。「セブンイレブンを発見、喜び勇んで入店した途端にしょんぼり」というのは、もはやバークレーを訪れた日本人の通過儀礼と言ってよい。
 翻って、ホノルルのセブンイレブンは光り輝いている。日本のセブンイレブンを100点、バークレーのセブンレブンを0点とすると、ホノルルのセブンイレブンは85点、いや90点あたりをマークしている。美しく、清潔で、サービスが良い。コナコーヒーがおいしい。ハワイ産のミネラルウォーターもおいしい。どちらも1ドルちょっとで買える。私はほぼ毎日これを飲んでいる。
 驚くべきことに、店先に中学生男子が群がってウンコ座りをしているところまで我が国のセブンイレブンと同じである。この芸の細やかさはどうだ。日本政府が推進するパッケージ型インフラ輸出の原型がここにあった。って、ちょっと褒めすぎか。でもこれ、[日本] ⇒ [バークレー] ⇒ [ホノルル] というルートを経ると、ホントに感動するんですよ。
 この勝負、独断と偏見をもって【ホノルルの勝ち】



(2013年8月26日追記: 最近、アラモアナセンターの近隣にローソンの新店舗がオープンした。内装も取扱商品も、日本のローソンにかなり近い。これは明らかに、セブンイレブンという先駆者の成功に影響されたものだろう。「市場競争が消費者の生活を豊かにする」ってのは本当なんだ、と思いました)




<第五対決:レジ袋>
 ホノルルに来て新鮮だったのは、レジ袋が無料であることだ。というのも、バークレー(正確に言うとアラメダ郡)では、1袋につき10セント(約10円)が課金されていたのである。
 そのせいか、ホノルルではバークレーに比べてエコバッグの持参者がやや少ないように観察された。オーガニック系の店舗数や環境保護の気運はバークレーに優るとも劣らないので、これはやはり「レジ袋課金制度」の有無が両者を分けているのだと思う。
 そう考えると、いままで当たり前のように接していたレジ袋課金制度の優れた点が見えてくる。知ったかぶった言葉を使えば、これは「環境政策における行動経済学の応用」である。つまり、10セントというのは多くの人にとって取るに足らない金額なのだが、これを会計時に明示的に上乗せされると、何だか値段以上に損した気分になる(10セントの価値よりも大きな心理的抵抗を感じる)ので、結果として、エコバッグを持参するインセンティブが湧きやすい。人間の不合理な心理パターンをうまく活用しているのだ。
 なんて、ちょっと考え過ぎかもしれないけれど、環境政策を勉強する者として、ここは【バークレーの勝ち】





<最終対決:犬と猫>
 ホノルルには日本文化がよく浸透していて、それは犬の趣味についても例外ではない。表通りを散歩するのは概して小型犬で、中・大型犬も優しい眼をしたのが多い。この犬ころたちが就職活動をすることになったら、履歴書の趣味欄には、「自分の尻尾を追いかけること」「お友だちのお尻をくんかくんかすること」などと書かれていることだろう。そして不採用となることだろう。
 これに対して、バークレーでは情状酌量を許さない眼をした大型犬が目立つ。履歴書の趣味欄には、「殺戮」とある。いかにも即戦力の人材、いや犬材である。たぶんこれがアメリカ人のスタンダードな好みなのだろう。
 もちろん、バークレーで出会う犬すべてが「殺戮」系というわけではない。焼きたてのパンみたいな色の柴犬を見かけて愛国心をくすぐられることもあるけど(おまえ、知ってるか。おまえは、おれと同じ、海の向こうの国からきたんだぞ)、しかしその確率はわりに低い。
 言うまでもなく、これはどこまでも趣味の話であって、どちらが優れているかなどと主張するつもりはまったくないのだが、私個人としては、無邪気で無防備なホノルルの犬ころたちにより多くの愛情を注ぎたいので、ここは申し訳ないけど(誰に?)【ホノルルの勝ち】

 猫については、犬ほど顕著な差はないようだ。ホノルルでもバークレーでも猫を見かける機会は多く、いずれも地域住民から適度に愛されている気配がある。
 まあ、敢えて言えば、ホノルルの猫の方が若干痩せぎみではある。そういえば、クウェートで見かけた猫も痩せていた。マレーシアの猫も、ベトナムの猫も、インドネシアの猫も、等しく痩せていた。「暑い地域の猫は痩せぎみ」という法則があるのかもしれない。サンプル数が少なすぎるので明言はできないけれど。

 上記を要約すると、犬は【ホノルルの勝ち】で、猫は【両者引き分け】。よって、判定は【ホノルルの勝ち】








<結論>
 というわけで、バークレーとホノルルの対決は、両雄譲らず、【3勝3敗】となった。これを偶然というべきか、予定調和というべきか、そのあたりは読者諸氏の判断に委ねたい。
 しかし、ここで仮に「女の子の露出度の高さ」という項目を新たに設けるとすれば、これは豊富な実例とともに【ホノルルの勝ち】となるのだが、そんなことをブログに書いたりすると、奥さんとの関係がヤバイことになるので、そんなことは決してブログに書かないことにする。

 結論。この勝負、【私の負け】

2013/07/13

遠き日の喪失について想ったこと

 先日、ハワイ電力の人に、「この近くで出かけるとしたらどこですか?」と尋ねたところ、「マノア滝(Manoa Falls)」という明解な答えが返ってきた。そこで私は、休日の朝、自宅からマノア滝まで歩いて行くことにした。





 ところが、私は途中で「マノア通り」と「東マノア通り」を勘違いしたようで、気がつくとまったく違う場所に出てしまっていた。
 三方を山に囲まれた、そこは静かな墓地であった。

 英語と中国語のお墓が多い。日系とおぼしき名前もある。他人のプライバシーをのぞき見するつもりはなかったが、墓標を横目にそぞろ歩いていると、ひとつの発見が私を捉えた。

 どのお墓も、生年月日と没年月日が近いのだ。

 「Beloved Son」と銘されたものがある。
 「Baby」とだけ銘されたものがある。
 「1954年3月23日」に産まれ「1954年3月24日」に亡くなった、と銘されたものがある。

 私は想像した。墓石を伝うとかげに小さな面影を偲ぶ、残された家族たちを。そのよるべなき後ろ姿を。



2013/07/08

ホノルルに来て興味深く思った2つのこと

<ハワイアン航空が面白い>
 サンフランシスコ国際空港からホノルル国際空港まで、ハワイアン航空(Hawaiian Airlines)のフライトに搭乗した。特に深い考えもなく選んだのだが、結果的にはこれがよかった。
 まず、客室乗務員が男女とも全員アロハシャツを着ているのがよかった。乗降時のお客さんへの応対も座りながらである。客室乗務員は心労の激しい仕事と聞くが、ハワイアン航空の場合はどうだろう。少なくとも私にはそう見えない。いい意味で緊張感がないのだ。
 機内放送も気さくである。まもなくオアフ島に到着というところでアナウンスが入ったので、「これより着陸態勢に入ります。皆さまシートベルトをお締めください」的なアレかと思ったら、「明日は客室乗務員のジェームズの誕生日なんだ。みんなでお祝いしよう」というもので、機内全員で「ハッピバースデー・トゥー・ユー」を合唱することになった。ノリとしては完全に小学校の遠足バスのそれである。ジェームズは推定40代のおっさん。照れながらもすごく嬉しそう。いまの彼に、心労は、たぶんない。

 しかし、別の角度から眺めてみれば、格安路線か豪華路線かの二元論で凌ぎを削る航空業界において、悠々と「第三の道」を切り開いているかに見えるハワイアン航空は結構すごい、と思う。実際、全米航空会社の品質ランキングでも堂々の第1位に選ばれている。このブランド価値は、たぶん、島の気風に依存する部分が大きいので、品質維持にはさほどの資本投下を必要としないだろう(強いて言えばアロハシャツに資本投下が必要だが、これはかえって普通の制服より安上がりな気がする)。
 それに極端な話、仮に従業員全員をハワイ州民にしたところでロジスティクスに大きな支障は生じないと思う。全線がハワイ諸島につながるハワイアン航空ならではの強みである。これを他社が安易に模倣するのは難しい。なるほど、よくできたビジネスモデルではないか。
 これは従業員の気風として自然にそうなったのか、それとも経営戦略として意図的にそうしているのか。私は後者の比重が高いと踏んでいる。どこかのMBAでハワイアン航空のケースを扱っていたら、ぜひとも読んでみたいなあ。



<オアフ島の高速道路が面白い>
 私はホノルル到着2日目に自転車を購入し(Dahonの「Mariner D7」。クレイグスリストを通じて、下腹部に脂肪と善意を詰め込んだ東南アジア系のおっさんから250ドルで買った。アメリカに来て自転車を買うのはこれで3度目だ)、オアフ島一周、約180kmを15時間かけて走った。おかげでこの島にぐっと親しくなれた気がする。全身の日焼けと筋肉痛という相応の代償を払いつつも。
 オアフ島の高速道路には、自転車用のレーンもしっかりと確保されている。基本的にはこれに沿って行くだけで島を一周できるので、サイクリングの条件としては最高である。事実、ロードバイクに乗った同好の士を随所で見かけた(折り畳み自転車は私だけだったけど)。

 面白かったのは、山中においてガードレールの無い箇所が散見されたことだ。これぞアメリカという広大なとうもろこし畑の中心を、カミソリで切ったような一筋の道路が続く。これならハンドルを切り間違えて畑に突っ込んでも大事には至らない。畑の持ち主にとってはたまったものではないが。
 道中では、さまざまな鳥たちに遭遇した。小柄で南国的な色調の鳥が多い。ひよこを連れて闊歩する雌鶏もいた。野良の鶏なんて、わたくし、生まれて初めて見ましたわよ。

 もうひとつ印象深かったのは、軽トラックの荷台に乗っているポリネシア風の兄チャンをあちこちで見かけたことだ。軽トラ&半裸の兄チャン。この組み合わせが異様に多かった。
 これを目撃したとき、私の頭にまず浮かんだのは「人身売買」という単語であった。そしてその次に浮かんだのは、童謡「ドナドナ」であった。

 かわいい子牛 売られてゆくよ
 悲しそうなひとみで 見ているよ

 しかし、兄チャンたちの表情は、奴隷にしては少し爽やかすぎる。すれ違いざま、「ハイ!」「アロハ!」とか言って笑顔で挨拶してくれる。そんな奴隷はいるのか。いるわけがない。
 きっと彼らは、軽トラをオープンカーの延長みたいに捉えているのだろう。何人も乗ればそれだけ経済的ということなのだろう。
 でもこれ、少なくとも日本では道交法違反になると思うんだけど、いいんだろうか。まあいいんだろうな。これもアロハ精神ということで。


(2013年8月26日追記: 現地の人から聞いた話では、ハワイ州では荷台に複数の人を載せても法律上問題はみたいです。さらにいえば、バイク運転中にヘルメットを付けなくても合法とのこと。すごいぞ、ハワイ。)