ここはバークレー。自由な風の吹く場所なのだ。
今回は、昨年書いたGSPPの多様性に関する記事の続篇的位置づけとして、2013年入学組の特徴と、ひとりの日本人へのインタビューを紹介したい。
<第1部 ファクト篇>
・2013年の生徒数は81名。うち男性は32名、女性は49名。同年の応募者数は737名というから、単純倍率は約9.1倍ということになる。
・平均年齢は27.5歳で、平均勤務年数(Average years of work experience)は4年。私の代とあまり変わらないのは、たぶんそうなるように選考しているからだろう。
・留学生は16名。その内訳は、メキシコ(4名)、インド(3名)、中国(2名)、日本(2名)、オーストラリア、カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ。英語に苦戦しているのは日本人くらい・・・というパターンも、悲しきかな、今年も同じかもしれない(がんばってくれ!)。
・学部の出身は、UCバークレー(8名)、ハーバード大学(2名)、プリンストン大学(2名)、北京大学(2名)といった名門校も目立つけれど、全体としてはバラバラで、学歴はそこまで重要視されていないようだ・・・というのも昨年と同様。
・学部時代の専攻は、経済学(13名)、政治学(10名)、心理学(6名)、ビジネス(3名)、環境学(3名)、人類学(3名)、コンピューター・サイエンス(3名)、歴史学(2名)、国際関係論(2名)、社会学(2名)、アジアン・アメリカン学(2名)、中南米学(2名)、ジャーナリズム(2名)、動物学、演劇学、電気工学、化学工学、中東学、数学、倫理学・・・リストは続く。しかし世の中にはいろいろな学問がありますね。
・前職は、金融アナリスト、コンサルタント、シンクタンク、エンジニア、研究者、記者、政治家のスピーチライター、小学校教師、大学職員、NPO職員、地方公務員、国家公務員・・・リストは続く。
・生徒の関心領域は、農業、教育、環境、エネルギー、社会福祉、ジェンダー、貧困問題、刑事司法、地方自治、行政組織など。ひとつの傾向として、今年は開発分野に興味のある人が若干多いような気がする。
・GPAの平均点は3.69点。(レンジ:2.69~4.16点。満点=4点を超えているのは、おそらく、「A+」がたくさんあるということなのだろう。学部時代、学期内取得単位数が「0単位」だったこともある私から見ると、これはもう雲の上の世界である)
・TOEFLの平均点は110点。(レンジ:102~118点。すごすぎる。118点なんて、どうやったら取れるんだ?)
・GREの平均点は、Verbalが160点(レンジ:144~170点)、Quantitativeが159点(レンジ:148~170点)、Analytical Writing:が4.5点(レンジ:3.0~6.0点)。
<第2部 インタビュー篇>
今年GSPPに入学した日本人のひとり、Tomokazuさんをお招きして、インタビューを行った。
Tomokazuさんは、発酵食品にたとえると、「テンペ」のような人である。テンペとは、ゆでた大豆をテンペ菌で発酵させた、インドネシアの伝統食品だ。植物性たんぱく質、ビタミンB群、リノール酸、食物繊維、ミネラル、サポニン、イソフラボンなどが豊富に含まれているため、日本や欧米でも健康食品として最近とみに注目を浴びるテンペ。通常価格48万8,000円のところ、いまなら期間限定、40万円ポッキリでのご提供となっております。
Satoru(以下、S): Tomokazuさん、こんにちは。
Tomokazu(以下、T): こんにちは。
S: まあ、ビールでも飲みながら。一杯どうぞ。
T: あ、どうも。
S: うまい。
T: うまい。
S: まずは・・・そうですね、
平凡な質問で恐縮ですが、
話せる範囲で自己紹介をお願いできますか。
T: バークレーに来る前は弁護士をしていて、
自分で法律事務所を経営していました。
もともとは法律と全然関係のない
文化人類学という学問を専攻していたんですが、
2年近いイランでのフィールドワークを終えて帰国した翌年に
一期生として日本の法科大学院に入って、
それから10年ほど法律の世界にどっぷり浸かっていました。
S: 文化人類学、イラン、弁護士。
三題噺のお題になりそうな、
妙味のある組み合わせですね。
これは漠然とした質問になりますが、
Tomokazuさんの「人生の転機」は
どのようにして訪れたのでしょうか。
おもしろい人に出会ったからとか、
印象的な事件に接して天啓に導かれたとか、
あるいはただなんとなくとか、
これはいろいろなパターンがありそうですが。
T: イランでの経験を抜きには語れないテーマですね。
そもそも、なんでイランに2年も?
というのは気になるところなんじゃないかと思うんですが、
日本の外に出て、まとまった期間フィールドワークをするというのは、
プロの人類学者になるための通過儀礼みたいなもので、
これに挑戦するのは人類学者志望だった僕には自然ななりゆきでした。
学部生だった僕の準備は不十分で、無謀な挑戦でしたけど。
S: ほほう。
T: それで、僕の場合はイランをフィールドに選んだんですが、
その理由は大きく分けて2つあって、
ひとつは当時イランをフィールドにしている日本の人類学者が希少で、
その分野の第一人者になることを狙えそうだったこと、
もうひとつは僕がイスラーム文化を肌で感じてみたかったことでした。
イランで調査をやろうと決めたのは
2000年の秋頃だったんですが、
「西洋」対「イスラーム」という構図が
盛んに議論されるようになっていたころで、
その議論が意味しているところを自分の目で見て確かめたくて。
ちなみにイランを訪れて調査を始めたのはその1年後で、
実は911の同時多発テロ事件の直後でした。
時期を逸した感がありましたね。
S: なるほど。おもしろいですね。
私はその頃、あまり大学には行かずに、池袋の映画館の片隅で、
サイードの「オリエンタリズム」を読んでいた記憶があります。
アホだったので、まったく頭に入ってきませんでしたが。
T: 映画館の暗がりで読書とは酔狂ですねえ。
S: それはさておき、
911の直後からイランに住むというのは、
これはなかなかシビれる体験ですよね。
当時は、ブッシュ元大統領の「悪の枢軸」発言などを通じて、
西欧との対立構造がますます煽られていった時期に重なると思います。
現地在住者の立場から、何か特別な実感はありましたか。
T: 事件が起きてすぐ、
イランへの渡航は止めた方がいいというアドバイスも受けましたし、
そもそもビザは出るのかな、と心配になったりもしましたが、
ビザが出たと在日イラン大使館から電話があったのが事件の翌朝で、
大使館の窓口の人の対応も「やっとビザが出て良かったですね」と
911の影響を微塵も感じさせないものだったので、
拍子抜けしてイランに向かったのを覚えています。
S: 911の翌朝にビザが出るってのが、なんかすごい象徴的ですね。
でもそのままテヘランで2年間暮らしちゃうあたりに、
Tomokazuさんの凄みがあるような気もします。
T: よく、イランは危なかったでしょう?と質問されるんですが、
少なくとも僕が住んでいたテヘランはいたって平和でした。
とはいっても、お隣りのアフガニスタンとイラクで「戦争」が起こるたび、
在留邦人向けに退去の警告くらいは出ていたかもしれません。
現地のイラン人は「次はイランだなー」なんてよく笑っていましたね。
まあ、ある程度は腹をくくっていたんじゃないかと思います。
攻撃される理由があると信じていたわけじゃないでしょうけど。
S: それでは、Tomokazuさんが実際に留学するまでの
ミッシング・リンクを埋める質問に移りますね。
まず、人類学から法曹界というのは、私の目から見ると、
かなり飛び抜けたキャリア・チェンジのように思えます。
そこには何か、特別な理由のようなものがあったのでしょうか。
T: しつこいかと思いますけど、ちょっとイランの話に戻りますね。
現地では、生活のためにペルシャ語をゼロから勉強しつつ、
日本人妻といわれる方たちにインタビューをしていまして。
彼女たちは、イラン人の男性と出会い結婚して、
いろいろな経緯でテヘランで暮らすようになった方たちなんですが。
彼女たち一人ひとりのライフヒストリーに耳を傾けていく中で、
彼女たちの悩みや苦しみを目の当たりにする機会が出てきたわけです。
で、そのうちどうしても解決できない疑問が出てきてたんですよね。
人類学者が調査を進めるには誰かの力を借りないといけない、
でも人類学者はその誰かの力になることができるのか、という。
911の後でセンシティブになっていたのかもしれない。
そうして、日本に帰ってくるころには、
大学院に進んでプロの人類学者を目指すのは自分の道じゃないかなと。
かといって、大学4年の夏も終わりかけの時期に就職活動もないし、
当面はフリーのペルシャ語通訳でもやろうかと考えていたときに、
日本で法科大学院の一期生を募集しているという広告か何かをみて、
法律の知識があれば誰かの役に立てるかなと思って。
S: (ビールのお代わりを飲みながら)ええ。
T: 弁護士になろう!
と最初から思っていたわけじゃないんですよね。
ただ、法科大学院に入ってみると
周りはそういう動機をもった人ばかりで、
たしかに法律の知識を使って何をするか具体的に考えないとな、
と考えて、
それならひとつということで弁護士を目指すことにしました。
S: しかしまあ、「それならひとつ」で
弁護士になっちゃうってのがすごいですね。
そんなに簡単になれるものじゃないでしょうに。
それで、弁護士になってみて、どうでしたか。
傾聴のスキルが求められるという意味では
人類学とも共通する要素がありそうですが、
また違った世界が見えてきたのでしょうか。
T: 弁護士になってすぐ、
企業の知的財産を扱うようになりました。
この分野には未開拓な領域がたくさんあって、
知的好奇心をくすぐられる、「かっこいい」仕事だったんですが、
うーん、なんか違うぞ、と。
それで当時の所属事務所は半年ほどで辞めさせていただいて、
中型二輪の教習場に通ったりしつつ(笑)、数か月迷った末に、
依頼者の人生にコミットするような仕事をしていこうと考えて、
自分で法律事務所を開いて試行錯誤していこうと決めました。
普通の人が弁護士を必要とするのは一生に一度あるかないかです。
そこからは人生や人情の機微に触れるような仕事の連続でした。
依頼者の方々には話したいこと聞かせたいことがいくらでもあります。
少なくとも数時間では語り尽くせないぐらい。
一方で、弁護士からすると知っておきたい大事な話であっても、
依頼者の方々からするとあえて触れたくない話や、
どうでもいいと思われてなかなか出てこない話もあります。
依頼者の方々の訴えを正面から受け止めながら、
言葉の裏にあるもの、ありそうなものを探るスキルは、
この種のテーマを扱う弁護士に不可欠だと思いますよ。
依頼者の方々が納得して人生の次のステップに進めるかどうかは、
このプロセスをどう進めるかにも影響を受けますし。
法律の知識を得たり深めたりする方法はクリアなんですが、
このスキルを高める方法には答えが・・・。
課題を見つけては反省するのをひたすら繰り返していました。
人類学を続けていても似たような悩みはもったでしょうね。
ただ、下手を打てば依頼者を即傷つけてしまう弁護士の場合、
悩みに伴うプレッシャーはかなり厳しいです。
S: いい話ですね。
でも、Tomokazuさんのように、
依頼者の心情の機微をつかんで、
そこから真の答えを探ろうとする弁護士って、
わりに少数派のような気もします。
というのも、実務の都合を考えれば、
「弁護士は法律事務にこそ専念すべきで、
カウンセラー的な役割を果たす必要はない」
というスタンスを取る人の方が多そうですよね。
これは、法曹界についてよく知らずに言っているのですが。
Tomokazuさんの、その傾聴に重きを置く姿勢は、
幼少時に自然と培われたものなのでしょうか。
それとも、人類学のフィールドスタディなどの経験を通じて、
後天的に身につけられたものなのでしょうか。
T: どうなんでしょうねえ。
ほかの弁護士の仕事の進め方には僕も興味がありますが。
少なくとも自分に関していえば、
根っこの部分から問題を解決するのが仕事だと考えていたので、
じっくり話を聞いて問題を探すプロセスは実務上も必要でした。
実際にそれがどれだけできていたかはともかくとして。
まあ、そういう考え方をとらなかったとしても、
丹念に事情を聞き取ることは不可欠だとは思いますけどね。
対象の全容と詳細をつかんでおかないと、
死角から弾が飛んできて致命傷を負うことになりかねませんから。
単純に目の前の人のことをよく知りたいというのもあると思います。
自他ともに人間ってよくわからんなあという感覚が昔からあって、
よくわからない、だから知りたいという。
S: 人間、わからないですよね。
科学技術がいくら発展しても、
生活水準がいくら向上しても、
人間そのものに対する「わからなさ」の度合いは、
結局あまり変わらないんじゃないかという気がします。
しかし、弁護士が海外留学するとなると、
ロースクールに行くのが王道というか、
まあわりに一般的な選択肢ですよね。
にもかかわらず、Tomokazuさんが
あえて公共政策学を専攻された背景には、
どのようなものがあったのでしょうか。
その問いに対する答えが、
おそらくTomokazuさんの出願エッセイの
通奏低音にもなっているのだと思いますが。
(さあ、ようやく留学インタビューらしくなってきたぞ!)
T: 法律家としての引出しは増やしたいし、
この国の法律を勉強したいという意思はあるんですが、
ロースクールという選択肢はありませんでしたね。
1年政策を勉強して1年法律を勉強するのが可能ならアリかな、
とは思うけど。
S: なるほど。
T: 僕の理想の世の中は、争いのない平和な世の中なんですよね。
弁護士の要らない幸せな社会。
それが近い将来に実現するとは思えないのが悲しい現実だけど、
それでもそのうさん臭い理想にアプローチする方法はないのかなあ、と。
僕がこれまでやってきた個々の問題に対処する方法じゃなくて、
その問題の根本にある社会の病理そのものを根治する方法、というか。
それで自分の出した一応の答えが、
紛争を解決するためのツールをどう運用するかではなくて、
どうやったらダイナミックに社会を変えられるかを学ぶ、
というものだったということですね。
僕が公共政策を学ぼうと思い立ったのは。
あ、これって堯舜の伝説を追い求める昔の中国の思想家みたいな・・・。
S: なんだかスケールの大きい話になってきました。
T: 日本の法科大学院に在籍していたときのことですが、
発展途上国の法制度を整備するというプロジェクトに興味をもって、
ラオスの司法省内にあったプロジェクトチームで
インターンをさせていただいたことがあるんです。
こうした経験もどこかで自分の選択と結びついている気がします。
S: おもしろいですねえ。
先程おっしゃった「1年政策を勉強して1年法律を勉強する」
というのは、まさにうちの大学院のスタイルにあっていますよね。
GSPPの場合、1年目は政策関連の必修科目ばかりですが、
2年目は基本的にどの学部のどの科目を取ってもOKなので。
実際、私の代のクラスメートを見ても、
ロースクールやMBAのクラスを取りまくっている人もいれば、
哲学や歴史学など、また一味違う分野を開拓している人もいる。
この自由さは、やはり最高ですね。
さて、ここで急にプラクティカルな質問になりますが、
TOEFL iBTについては、どのように準備を進められましたか。
弁護士の仕事をしながら英語の勉強をするのは、
やはりそれなりの苦労はあっただろうと推察しますが。
いやいや、すでに日本語、英語、ペルシャ語の
トリリンガルであらせられたTomokazuさんは
そんなに苦労しなかったのかな(笑)?
T: 英語は昔から苦手ですよ。
高校のときなんか返却された英語の答案に
「Do your best」って毎回書かれてるのを見て、
「best」ってことはいい意味なのかな?
とずっと勘違いしていたほどです。
正答率10%以下の答案に
ほめ言葉が書かれているわけないんですけどね。
S: ははははは!
T: そんなわけで英語には当然苦労しましたが、
まず旺文社の「TOEFLテスト英単語3800」の
掲載単語をひととおり覚えました。
発音を意識して勉強したら少しずつ
英語が聞き取れるようになっていきました。
それから「Extensive Reading for Academic Success」
というシリーズでリーディングの勘をつかむのと並行して、
オンライン英会話を使って英語を話す練習をしました。
英語の雑誌記事をまとめたりもしたなあ、
すぐ飽きてやめたけど・・・。
そうして一発でTOEFLを仕留めにいったんですけど、
結果は99点、98点、99点、102点と、
4回受けてギリギリ出願に必要なラインを越えた程度でした。
越えてないところもあったかな?
S: いや、すごいなあ!
TOEFL iBTに臨む日本人は、
60点台あたりからはじまってひたすら受けまくるタイプ(例:私)と、
最初からサクっと100点近くを取るタイプの2種類に大別されると思うのですが、
Tomokazuさんは明らかに後者のタイプですね。
GREについては、いかがでしたか?
私の代から点数計算(っていうと麻雀みたいだけど)の方針が
変わったため、相場観がよくわかっていないのですが。
T: 公共政策大学院の場合は、
GREの代わりにGMATの結果を受け付けてくれる学校もありますよね?
で、GREよりも簡単だという噂のGMATを2回か3回受けたんですけど、
試験方式の関係で集中力が最後まで続かなくって。
それで、回数制限の関係もあってGREの方を試しに受けてみたら、
Verbalが156点、Quantが164点で。
これ以上試験にお金をかけるのもアホくさいし
最低限の水準は越えているだろうと判断して出願書類の作成に移りました。
GREのVerbalとライティングの勉強は特にしませんでしたが、
2ch等で評判の良かった「マスアカ」という教材で数学の記憶を喚起して、
ETSの「POWERPREP」を使って試験の流れは押さえました。
日本人はライティングが得意だといわれているようですが、
TOEFLで22点前後、GREで3.5と酷い結果でした。
中学高校で地道な勉強をさぼった影響が露骨に現れましたね。
なおライティングの苦しみは現在も進行中です。因果応報です。
出願を決心してから出願までにかかった期間は1年くらいですかね。
TOEFL等の準備と受験、奨学金の取得にかかった時間もコミコミで。
費用は多めに見積もって全部で20万円ちょっとかなあ・・・。
S: うーん、さすがですね。
期間も短いし、費用も安い。
私の場合、TOEFLの受験料だけでその2倍近くかかっているので、
まったく愚かなものです。
しかしこれも、「Do your best」の時代から
努力を切々と積み重ねられた結果ですね。
ここまでお話を聞いていて思ったのは、Tomokazuさんは
「ここではないどこか」を求める夢想家的な気質と、
目標に向かって着実に努力する実務家的な気質の、
両者のバランスがいい感じに取れているなあ、ということです。
立身出世にがっついてはいないけど、かといって
「おれは競争から降りるよ」と宣言した風でもない。
そうした心のありように、個人的には強く惹かれるものがあります。
T: まあ、どこでも誰からも変わり者だと言われます。
プラクティカルな話題ついでに触れておくと、
奨学金のプログラムや大学院に提出するエッセイには
ここでお話したようなことを書きました。
決して美しい内容ではありませんが、
それでバークレーで学ぶ機会と、
歴史あるフルブライト奨学金を与えられているわけです。
大学院にどう自分を売り込もうかと悩んでいる方たちには、
泥臭くてもなんでもいいから、
自分のやってきたことに誠実に向き合ったらいいことあるかもよ!
って言いたいです。結果に責任は持ちませんけどね(笑)。
S: うーん、格好いいなあ!
最後の一言を除いて(笑)。
さて、そのように受験地獄を乗り越え、
バークレーに実際に来てみて、
カルチャーショックとまではいかないでも、
何か驚いたことなどはありますか。
テヘランとはだいぶ違うと思いますが。
T: いまのところは、ほとんどの出来事が
当初の想像の範囲内に収まっています。
日本の外で暮らした経験があるせいか、
日本以外の国のシステムに対する期待が
そもそも低いんだと思います(笑)。
いくつか注目していることはありますが、
もうちょっと観察に時間が必要ですね。
S: 「システムに対する期待が低い」、いい言葉ですね。
相手に求める基準値がそもそも低ければ、
文句も(あまり)出ないし、腹も(あまり)立たない。
これは他の分野にも応用できそうですね。
それでは、これが最後の質問になります。
GSPPに来て早や3カ月が経とうとしていますが、
どうですか、これまでの印象というか、感想は。
我が身を振り返ってみれば、去年の今ごろは
日々の課題をこなすだけで精いっぱいだったわけですが。
T: 当初、経済学と統計学の必修2科目に加え、
法律と政治学の選択必修2科目を履修していました。
が、アメリカの国内政治に関する議論が飛び交う
政治学を早い段階でドロップしたので、
Satoruさんのときほど厳しい状況ではないでしょう(笑)。
それでも、課題に取り組んでいて
脳から汗が流れ落ちる感覚に襲われたのは
一度や二度じゃないですけどね。
基礎からきっちり教えてもらえるから、
授業についていけなくて苦しいということはないんだけど。
最低でも、学校側のカリキュラムに食らいついていきさえすれば、
最後には必ず「何か」ができるようになっているだろう
という実感が今の時点でもあります。
こういう感覚は、これまで得たことのないものかもしれません。
S: 「GSPPの単位は1.5掛け」という言葉があって、
これは4単位の授業は他学部の6単位ぶんの
ワークロードがあるという意味なのですが、
政治学には私もとりわけ苦労しましたね。
不如意な言語で不如意な内容を学ぶつらさ、というか。
でも真面目な話、GSPPのカリキュラムは本当によくできているので、
経済学や統計学の授業にしっかり食らいついていけば、
1年後に確かなTakeawaysがあることは保証できますよ!
T: 最後にひとつだけ。
僕がこうして大学院生活を送っていられるのは寛大な妻のおかげです。
これを言っておかないと妻にあとで怒られる(笑)。
S: すばらしい締めですね(笑)。
ここは、私も同意見ということで。
奥さんに、日々感謝ということで。
じゃあ、そろそろ次のレースなので、パドックに行きましょうか。
T: 行きましょう。
(おわり)
対談場所: ゴールデンゲートフィールズ競馬場 |
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