女神ペレに関する記事を書いてから、ひとつ気がかりなことがあった。あの記事が、ペレさんの逆鱗に触れたのではないか、ということだ。
私は女神ペレに敬意を表する者である。あの記事でも失礼なことは書いていないつもりだ。しかし、神話をひもとけば、まさに「失礼なことはしていないつもり」の人たちが、溶岩で殺されたり、灌木に変えられたりしている。
私がそうならないとも限らない。
そういえば、最近、残念なことが2つあった。
ひとつは、デジカメ(Canon IXY 90F)が壊れたこと。もうひとつは、自転車(Dahon Mariner D7)の前輪が盗まれたことだ。
しかし、よく考えてみれば、デジカメが壊れたのは、私が誤って洗濯機に入れたからだ。これは、明らかに私の過失である。さらによく考えてみれば、それはペレさんの記事を書く以前の出来事であった。
残る可能性は自転車だ。でも、前輪だけを盗むというのは、ペレさんの行動としてはいささか小粒にすぎる。ペレさんであれば、溶岩で自転車ごと灰燼に帰す、あるいはサドルをマグマに変えて私の臀部と自転車を瞬間的に溶接する、といったくらいのことはするだろう。
ということで、いまのところ災厄は我が身に降りかかっていないようだ。よかった、よかった。
でも、今後も大丈夫だという保証はどこにもない。やはりここは、ご挨拶に伺うのが筋というものではないか。
と、そのように妻を説得した私は(生後3か月の息子も「あうあー」と同意してくれた)、単身、ペレさんのご自宅まで足を運ぶことにした。ペレさんのご自宅、すなわち、キラウエア山のハレマウマウ火口である。
一面の溶岩。「世紀末」「世界の終わり」といった言葉が脳裏をよぎる
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火口そばのジャガー博物館ではペレさんグッズが充実
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溶岩で再起不能になった道路 |
ハワイ島の固有種、オヒアレフア。溶岩の微細な間隙に根を張って生きる。ハワイ神話によれば、ペレの魔法で灌木に変えられてしまったオヒア(木の部分)と、「せめて恋人のそばに」と別の神様の魔法で花に変えてもらったレフア(花の部分)が合わさったもの。レフアの花を摘むと悲しみの雨が降るといわれる |
キラウエア火山のすごいところは、その噴火が1日で終わるのか、100年間続くのか、誰にもまったくわからないということだ。
100年という歳月の重みを実感するのはむずかしい。
いまから100年後の世界は、どうなっているだろうか。
まず、私は、ほぼ100%の確率で、死ぬだろう。
これを読んでいるあなたも、ほぼ100%の確率で、死ぬだろう。
このブログは、どうだろうか。
あるいは、残っているかもしれない。質うんぬんではなく、単なるデータとして。
西暦2113年。国会図書館的な場所で、「バークレーと私」に偶然出会う読者。
この記事を読んで、「デジカメって何だ?」と首を傾げているかもしれない。
しかし、ほぼ間違いなく言えることがある。
100年後、いや1000年後も、ペレさんはご健在だろうということだ。
貧しい人たちが貧しいままでも、
虐げられた人たちが虐げられたままでも、
憎しみの連鎖を断ち切ることができずにいても。
誰かが友達を失っても、
誰かが恋人を失っても、
誰かが母親を失っても、
誰かが息子を失っても、
誰かが核ミサイルのスイッチを勢いで押して、
そのためにたくさんの誰かが死んでしまっても。
ペレさんは、構わず、
灼熱のかたまりを大地に送りだし、
そうして新たな島をつくり続けていることだろう。
気がつくと私は、ハレマウマウ火口に向かって両手を合わせていた。
なるほど、これが信仰のはじまりというやつか。