インターンは週5日なのだが、その勤務時間は午前8時から午後4時までと、まあ控え目に言って最高の環境であり、がために、土日も宿題に追われていたバークレーの日々や、月150時間くらい残業していた東京の日々などは、もはや遠い遠い昔の出来事のように思えてならず、これまでいろいろに苦労したこと、いろいろに失敗したこと、いろいろに屈折したこと、すべては曖昧な追憶の沼に溶け合ってひとつとなり、ハワイの陽だまりとなり、なるほど私はいまこの瞬間のために生きてきたのか、という根拠なき得心が無形の温もりとなって身の内に広がった。これが昔の日本映画であれば、夕暮れの浜辺に佇む私の姿を、引きのカメラで、画面中央に大きく「終」の文字が出て暗転となるところだろう。終。私の人生。終。
しかし、そんな風に綺麗に幕が下りるわけはもちろんなくて、ライフ・ゴーズ・オン、私の愚かな人生は続いていく。太陽が海の向こうに沈んでいく。半裸の爺チャンが何をするでもなくただ座っている。
転地の効用というのはいろいろあって、それはたとえば、日々の屈託にまみれて柔軟性を失いがちな精神の風通しが良くなることだ。「精神」とはいかにも多義的な言葉であるが、ここでは、ものの見方であるとか、好き嫌いであるとか、対象との距離の取り方といった意味合いで使っている。
私の場合、今回の転地は、音楽の好みに変化をもたらした。たとえば、バークレーにいた頃には、ZAZEN BOYS、Aphex Twin、Red Hot Chili Peppersなどに傾倒していたのだが、ホノルルに来てからは、小曽根真、Small Circle of Friends、José Gonzálezといったあたりを頻繁に聴くようになった。
おわかりの方はおわかりと思うが、これは音楽の傾向としてはずいぶん異なる。それだけ土地の力はすごいと言うべきか、私が単純に感化されやすい(軽薄な)だけと言うべきか、それはまあどっちでもいいけれど、でもハワイでブラームスの交響曲を聴くのはちょっとしんどいものがありますね。
(ところで、iTunes Storeの設定をアメリカに変えるだけで、多くの邦楽アルバムが9.99ドルで購入できるというのを知ってましたか。同じ商品なのに地域によって約2倍の価格差があるなんて、これは不完全競争市場の好例だと思う)
転地の効用として、もうひとつ、これまで持っていた自分の視点が相対化されるというものがある。
私は思うのだけれど、「他の誰とも違うオンリーワンな私」というのは、現代人が魔女(またの名を広告代理店)にかけられた呪縛のようなもので、そんなのはどこにも存在しない。それは直線的に求めようとして得られるものではない。むしろ、追えば追うほど遠ざかっていく逃げ水のようなものである。
だから、いま我々の目指すべき道は、「絶対的にオリジナルな視点を獲得すること」ではなく(それは無理なので)、「相対化された多様な視点を育んで、その差分の総和を高めていくこと」なのだと思う。
つまりそれは、漫然と生きていたらAという視点しか得られなかったところを、読書や映画や仕事や芸事や交際などを通じて、BやCやDやEやFという異なる座標の視点を獲得することで、「A-B」、「A-C」、「A-D」・・・「E-F」といった落差(差分)を生みだすというアプローチである。そうしてその落差の集積(総和)が大きくなるほど、一般に思考の振れ幅も大きくなる。物事の捉え方が豊かになる。
「いろんなジャンルの本を読め」とか、「いろんなバックグラウンドの人と付き合え」といった類の箴言は、突き詰めればそういうことなのだろう。その意味で、転地や留学は、相対化された視点を得るための絶好の機会なのだ。
とまあ、理屈はともかく、こちらに来てからバークレーに対する印象が多少なりとも変わったのは確かだ。そこで今回は、いくつかの項目について、バークレーとホノルルを比較した際の優劣を(100%の冗談として)評価してみようと思う。
バークレーとホノルルと私。なんだか「部屋とYシャツと私」みたいだな。
<第一対決:天気>
以前、このブログで、バークレーの天気の素晴らしさについて書いた。しかし、私の見識は浅かったようだ。上には上があったのだ。
ホノルルは海と山に挟まれた場所にあり、雲は厚く、太陽は暑い。考えなしに日なたにいるとひどい日焼けに苛まされることになるが(例:折り畳み自転車でオアフ島を一周)、日陰に腰掛けていれば、頬を撫ぜる風は意外にも涼しい。
天気雨が多いのも特徴だ。でもそれは温かく穏やかな雨で、ジョギングをするにはむしろ心地よい。ハワイの原住民にとって、雨は「祝福のしるし」であるらしいが、私もその信仰に身を委ねたいもlのだ。雨上がりにはよく虹が出て、祝福に彩りを与えてくれる。
また、夜半は寒くなりがちなバークレーに比べ、ホノルルの夜は半袖&短パン&サンダルでも問題ない。「暑くて汗べったりになるのは嫌ッ!」という向きには申し訳ないが、南国育ちの私としては、ホノルルに一票を投じることとしたい。よって、第一対決は【ホノルルの勝ち】。
<第二対決:GKB>
バークレーでは久しく見ることのなかったあいつに再会した。陰を好み陽を避け、雨にも負けず風にも負けず、毒物にも負けず放射能にも負けない(らしい)、黒光りの気になるあいつ。その名前を明記するのは憚られるので、ここでは「GKB」という仮名を使いたい。1匹いたら48匹いると思え。GKB48でございます。
ホノルルのGKB先生(何しろ数億年前から生きておられるというのだから、これは字義通り「先生」と呼ばざるを得まい)は、全体に筋骨隆々で、いや実際には虫なので筋肉も骨もないのだけれど、そうした表現が似つかわしい大きさと逞しさを発揮されており、あちこちでその禍々しいお姿を拝謁することになった。
正直に申し上げて、私はGKB先生が大の苦手であり、そのお姿を拝謁する機会もできるだけこれを避けたいのであるが、何しろご家族やお仲間の多い方で、随時随所に出没されるので仕様がない。具体的には、大衆食堂の厠を滑走なさっているお姿を拝謁したこともあれば、ハワイ大学マノア校の歩道で潰れて死んでおられるお姿を拝謁したこともあった。
また、大学寮の共同キッチンにおいて、「コンロを使い終わったら清潔にしましょう」といった貼り紙を見かけたこともあった。まあそれ自体は大いに結構なのだが、よく見ると、「清潔にしないとこうなります」という注意書きとともに、残飯の前でぐんぐんになった巨大なGKBの写真が添えられていたのには驚愕した。思わず食べていた蕎麦を鼻から噴き出しそうになった。
これが日本であれば、何らかの配慮があるというもので、たとえば、GKBをデフォルメしたキャラクターのイラストに、「ボクが来ないように、ちゃんと片付けようネ!」といった無害なセリフを付すのが妥当な線であろう。ところが、ここハワイでは、そんなまどろっこしいことはせず、いきなりのリアルGKBである。生写真である。インパクトとしてこれに勝るものはなく、読む者に行動を喚起するという観点からも抜群の効果を上げるに違いない。その趣旨はわかる、それはわかるのだが、食卓の隣に掲げるポスターとしてはどうだろうか。
すっかり慣れ親しんだと思っていたハワイだが、どうやらまだまだ奥が深そうである。
というわけで、これはもう圧倒的に【バークレーの勝ち】。
<第三対決:日本語率>
ホノルル、特にワイキキ周辺では、異様なほど「日本語率」が高い。方々を日本語が飛び交っているし、書き文字にも単語や文法の誤りがない。ここは日本の領土かと錯覚したほどだ。
英語の不得手な者にとって、これはもちろん心安い環境ではある。しかし個人的には困った点でもある。
というのも、私は散歩中に「エー、商売というものは、実にいろいろなものがございますナ」とか、「びっくりして座りションベンして馬鹿ンなっちまったらしょうがねえからナ」といった按配に、古今亭志ん生の口真似をする癖があり、周りに人がいなければ特に問題はないのだが、うっかり日本語を解する輩が近くにいたりすると「春先に現れがちな人」という誤解を招くおそれがある。そうなると決まりが悪いので、ここは日本語話者の少ない【バークレーの勝ち】。
<第四対決:日系店舗>
前項で「日本の領土かと錯覚した」と書いたが、ホノルルの往来の店舗を眺めても同種の感想を抱くことになる。蕎麦屋、ラーメン屋、とんかつ屋の類はともあれ、たこ焼き屋、たい焼き屋、回転寿し屋などというのは、少なくともバークレーにはなかったものだ。リンガーハット、天下一品、えぞ菊、丸亀製麺といったチェーン店まである(しかしジャンクフードばっかりだな)。
バークレーではついぞ見かけなかったゲームセンターもあった。なんと、「beatmania IIDX tricoro」の筐台まであるのだ。嗚呼、beatmania! 私の無数の百円玉と未来の可能性を吸い込んでいったbeatmania! よもやこんなところで邂逅しようとは。(2013年8月3日追記: シリーズ13作目あたりからプレイしなくなっていたので、今回数週間かけて一気にフォローしました。Hiroshi Watanabeの「LIFE SCROLLING」という曲が良かったですね)
しかし、私の鼻息をいちばん荒くさせたのは、セブンイレブンのレベルの高さであった。たぶんこれ、日本から直行便でハワイにいらっしゃった方には通じないと思うので、少し解説させてください。実はバークレーにもセブンイレブンがあるのだが、これは名前とロゴを借りただけの別物で、言うなれば、偉大なる前作のエッセンスを汲み取るのに失敗したリメイク映画のようなものである。「セブンイレブンを発見、喜び勇んで入店した途端にしょんぼり」というのは、もはやバークレーを訪れた日本人の通過儀礼と言ってよい。
翻って、ホノルルのセブンイレブンは光り輝いている。日本のセブンイレブンを100点、バークレーのセブンレブンを0点とすると、ホノルルのセブンイレブンは85点、いや90点あたりをマークしている。美しく、清潔で、サービスが良い。コナコーヒーがおいしい。ハワイ産のミネラルウォーターもおいしい。どちらも1ドルちょっとで買える。私はほぼ毎日これを飲んでいる。
驚くべきことに、店先に中学生男子が群がってウンコ座りをしているところまで我が国のセブンイレブンと同じである。この芸の細やかさはどうだ。日本政府が推進するパッケージ型インフラ輸出の原型がここにあった。って、ちょっと褒めすぎか。でもこれ、[日本] ⇒ [バークレー] ⇒ [ホノルル] というルートを経ると、ホントに感動するんですよ。
この勝負、独断と偏見をもって【ホノルルの勝ち】。
(2013年8月26日追記: 最近、アラモアナセンターの近隣にローソンの新店舗がオープンした。内装も取扱商品も、日本のローソンにかなり近い。これは明らかに、セブンイレブンという先駆者の成功に影響されたものだろう。「市場競争が消費者の生活を豊かにする」ってのは本当なんだ、と思いました)
<第五対決:レジ袋>
ホノルルに来て新鮮だったのは、レジ袋が無料であることだ。というのも、バークレー(正確に言うとアラメダ郡)では、1袋につき10セント(約10円)が課金されていたのである。
そのせいか、ホノルルではバークレーに比べてエコバッグの持参者がやや少ないように観察された。オーガニック系の店舗数や環境保護の気運はバークレーに優るとも劣らないので、これはやはり「レジ袋課金制度」の有無が両者を分けているのだと思う。
そう考えると、いままで当たり前のように接していたレジ袋課金制度の優れた点が見えてくる。知ったかぶった言葉を使えば、これは「環境政策における行動経済学の応用」である。つまり、10セントというのは多くの人にとって取るに足らない金額なのだが、これを会計時に明示的に上乗せされると、何だか値段以上に損した気分になる(10セントの価値よりも大きな心理的抵抗を感じる)ので、結果として、エコバッグを持参するインセンティブが湧きやすい。人間の不合理な心理パターンをうまく活用しているのだ。
なんて、ちょっと考え過ぎかもしれないけれど、環境政策を勉強する者として、ここは【バークレーの勝ち】。
<最終対決:犬と猫>
ホノルルには日本文化がよく浸透していて、それは犬の趣味についても例外ではない。表通りを散歩するのは概して小型犬で、中・大型犬も優しい眼をしたのが多い。この犬ころたちが就職活動をすることになったら、履歴書の趣味欄には、「自分の尻尾を追いかけること」「お友だちのお尻をくんかくんかすること」などと書かれていることだろう。そして不採用となることだろう。
これに対して、バークレーでは情状酌量を許さない眼をした大型犬が目立つ。履歴書の趣味欄には、「殺戮」とある。いかにも即戦力の人材、いや犬材である。たぶんこれがアメリカ人のスタンダードな好みなのだろう。
もちろん、バークレーで出会う犬すべてが「殺戮」系というわけではない。焼きたてのパンみたいな色の柴犬を見かけて愛国心をくすぐられることもあるけど(おまえ、知ってるか。おまえは、おれと同じ、海の向こうの国からきたんだぞ)、しかしその確率はわりに低い。
言うまでもなく、これはどこまでも趣味の話であって、どちらが優れているかなどと主張するつもりはまったくないのだが、私個人としては、無邪気で無防備なホノルルの犬ころたちにより多くの愛情を注ぎたいので、ここは申し訳ないけど(誰に?)【ホノルルの勝ち】。
猫については、犬ほど顕著な差はないようだ。ホノルルでもバークレーでも猫を見かける機会は多く、いずれも地域住民から適度に愛されている気配がある。
まあ、敢えて言えば、ホノルルの猫の方が若干痩せぎみではある。そういえば、クウェートで見かけた猫も痩せていた。マレーシアの猫も、ベトナムの猫も、インドネシアの猫も、等しく痩せていた。「暑い地域の猫は痩せぎみ」という法則があるのかもしれない。サンプル数が少なすぎるので明言はできないけれど。
上記を要約すると、犬は【ホノルルの勝ち】で、猫は【両者引き分け】。よって、判定は【ホノルルの勝ち】。
<結論>
というわけで、バークレーとホノルルの対決は、両雄譲らず、【3勝3敗】となった。これを偶然というべきか、予定調和というべきか、そのあたりは読者諸氏の判断に委ねたい。
しかし、ここで仮に「女の子の露出度の高さ」という項目を新たに設けるとすれば、これは豊富な実例とともに【ホノルルの勝ち】となるのだが、そんなことをブログに書いたりすると、奥さんとの関係がヤバイことになるので、そんなことは決してブログに書かないことにする。
結論。この勝負、【私の負け】。
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