2013/07/13

遠き日の喪失について想ったこと

 先日、ハワイ電力の人に、「この近くで出かけるとしたらどこですか?」と尋ねたところ、「マノア滝(Manoa Falls)」という明解な答えが返ってきた。そこで私は、休日の朝、自宅からマノア滝まで歩いて行くことにした。





 ところが、私は途中で「マノア通り」と「東マノア通り」を勘違いしたようで、気がつくとまったく違う場所に出てしまっていた。
 三方を山に囲まれた、そこは静かな墓地であった。

 英語と中国語のお墓が多い。日系とおぼしき名前もある。他人のプライバシーをのぞき見するつもりはなかったが、墓標を横目にそぞろ歩いていると、ひとつの発見が私を捉えた。

 どのお墓も、生年月日と没年月日が近いのだ。

 「Beloved Son」と銘されたものがある。
 「Baby」とだけ銘されたものがある。
 「1954年3月23日」に産まれ「1954年3月24日」に亡くなった、と銘されたものがある。

 私は想像した。墓石を伝うとかげに小さな面影を偲ぶ、残された家族たちを。そのよるべなき後ろ姿を。



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