2013/04/09

日本の漫画喫茶と銭湯と立ち飲み屋とカプセルホテルにノスタルジーを覚えたこと

 バークレーは、つくづく住みやすいところである。友人夫婦が以前、「老後はバークレーに住みたいねぇ」と言っていたが、むべなるかな。食べ物はおいしいし、自然は豊かだし、人々は優しい。天気は良いし、交通の便も良いし、スポーツも芸術も楽しめる。こんな町は、好きになるしかないではないか。
 事実、こちらに来てもう8カ月になるが、バークレーを嫌いになったことは一度もない・・・よしおを盗まれた時を除いては。

 とはいえ、この世に生まれ落ちてから29年間、ひたすらに日本の空気を吸ってきた身としては、我が国本土にいささかの郷愁も感じないといえば嘘になる。あるいは強がりになる。
 そして奇妙なことに、私がいま懐かしく思うのは、これまでに暮らしてきた特定の町々というよりはむしろ、都市生活者の匿名性に塗り潰された不特定の空間なのである。

<漫画喫茶>
Q.生きる希望を失った若者を見るには、どこに行けばいい?
A.漫画喫茶に行けばいい。
・・・というのはまったくの嘘っぱちだが、しかし漫画喫茶にはどこか前向きな気持ちを萎らせるものがある。漫画を読む、あるいはインターネットを閲覧するという、ひたすらに受動的な、退嬰的な、現実逃避的な行為の提供に特化した場所なのだから、これはどうにもしようがない。(だが、それがいい。前向きな気持ちなんてのは、いつでも入用なわけじゃない)
 さらにはあの料金体系。6時間パックだとか、12時間パックだとか、長時間滞在すればするほど時間単価が安くなっていく、と同時に大切な何かがどんどん失われていくという、あの仕組みが心憎い。
 欧米のギーク(オタク)たちにも、この漫画喫茶の魅力を、すなわち清潔な退廃の魅力を、どうにかして伝えたいものである。たとえば、成田空港の出発ロビーに漫画喫茶を設けるというのはどうか。搭乗待ちの暇つぶしとしては最高だし、外国語版の漫画を置けば日本文化の紹介にもなる。結構ウケるんじゃないかな。
 しかし、そんなことはどうでもいい。とにかく私は、「ジョジョリオン」の、「ハンターハンター」の、「暗殺教室」の、「べしゃり暮らし」の、「進撃の巨人」の、「ワンパンマン」の、「電波の城」の、「ヤミの乱破」の、「3月のライオン」の、「坂道のアポロン」の、「姉の結婚」の、「アイアムアヒーロー」の、「闇金ウシジマくん」の、「ハイスコアガール」の、「ミュジコフィリア」の、「おやすみプンプン」の続きを、読みたくて読みたくて仕方がないのだ。そうして退店時には、ぐじぐじとした後悔に全身を蝕まれながら、延長料金を精算したくて精算したくて仕方がないのだ。

<銭湯>
 かつて私は文京区千駄木というところに住んでいた。ここは風情のある住みよい町で、特によかったのは徒歩圏内に銭湯が4軒もあったことだ。そのうち1軒は昨年潰れてしまったが。
 私はもとより風呂が好きで、日に三度も湯あみをして家内に呆れられるほどである。しかし、銭湯となるとその愉しみは別格だ。まずあの下足札のちょっとした非日常感にわくわくするし、何万人もの裸を見て明鏡止水の心境に至ったであろう番台のお婆ちゃんとのちょっとした会話にも味わい深いものがある。黄土色に濁った「本日の湯」に入り、「肩こり、冷え症、神経痛、筋肉痛、関節痛、腰痛、四十肩、五十肩、うちみ、くじき、ねんざ、リウマチ、痔疾、胃腸病・・・」という効能の羅列を読んでいるだけで何やらありがたい気持ちになってくるし、普段はほとんど飲まないのにここでは買ってしまう瓶入りのコーヒー牛乳のおいしさといったらない。
 ところが、そんな銭湯の魅力についてアダルトスクールで切々と語ったところ、これが予想外の拒否反応を招くことになった。
「公衆の面前で局部を露出するんだって?オーマイガッ!」
「信じられナーイ!」
「ありえナーイ!」
「キモーイ!」
の連発で、私は思わず「この・・・想像力の枯渇した白人どもがッ!」(差別発言)と激昂しそうになったが、そこに意外な援軍が現れた。韓国人と中国人である。聞けば、彼の国々にも銭湯やサウナがあり、全裸で沐浴する習慣があるという。素晴らしい。竹島や尖閣諸島のことはひとまず棚に上げておくとして、日中韓はここに大いなる文化的団結を築いたのである。

<立ち飲み屋>
 バークレーの学生たちが愛する飲み屋は、たとえば「アルバトロス」や「トリプルロック」といったところで、どちらも気の置けない素敵なバーである。ただし、それらはあくまでバーであって、心温まる赤ちょうちんの影はそこになく、肩を組んで昭和の歌謡曲を口ずさむ赤ら顔のおじさんたちの姿もない。
 油まみれのバッファローチキンをむさぼり食いながらサミュエル・アダムズを咽喉に流し込むのも悪くはない、決して悪くはないんだけど、やはり私としては、塩キャベツ、もろきゅう、砂肝、ハツ、ぽんじり、焼きとん、湯豆腐、うずらの卵、もつ煮込み、軟骨の唐揚げ、このあたりをテーブルに所狭しと並べて、黒ホッピーをぐびぐび飲み干したい。そうして理想論と屁理屈と与太話と人生相談を同次元に配置し、どこまでも非生産的な会話に埋没していきたい。
 アイ・キャント・ストップ・ラヴィン・立ち飲み屋。
 あの幸福な空間を、私は愛さずにはいられないのだ。

<カプセルホテル>
 結婚して所帯を持つ前、つまり7年以上前のことだが、私はよくカプセルホテルに泊まっていた。ご存じない方がいらっしゃるかもしれないので説明すると、カプセルホテルというのは、1畳ほどの大きさの簡易ベッドを提供する宿泊施設のことである。料金は格安で、2,000円台からある。利用客の多くは、終電を逃すなどして行き場のなくなった人たち、懐事情に苦しいものを抱えている人たち、あるいはその両方の条件を満たしている人たちだ。
 であるからして、カプセルホテルの投宿には「やむなく」「不本意にして」といった枕詞が冠せられがちなのだが、往時の私は、もっぱら「カプセルホテルに泊まるために」カプセルホテルに泊まっていた。すべての世界遺産を訪れんとする旅人のように、関東圏内のすべてのカプセルホテルに泊まらんとしていたのである。
 私はなぜ、大学を留年してまで、そのような不毛な行為に熱中していたのだろうか。理由を言語化するのは難しい。ひとつの仮説として、狭隘で閉鎖的な空間に身を置くことで、私の精神の薄暗い部分に潜む胎内回帰願望を満たしていたのかもしれない。
 とにかく私は、カプセルホテルに惹きつけられていた。そしていま、胸の内に、あのどうしようもなく理不尽な熱量の回復を感じている。これは一体どうしたことか。留学してこのような内的変化が生じるとは、まったく思いもよらなかったことである。

 ということで、近く留学を予定される方は、ぜひとも日本にいるうちに、漫画喫茶に12時間ほど滞在し、生ぬるい虚構の世界にたっぷりと身を浸し、銭湯の暖簾をくぐり、ケロリンの黄色い洗面器で垢まみれの屈託をざばっと洗い流し、立ち飲み屋で悪友とくだを巻き、酔いつぶれ、終電を乗り過ごし、人生の虚無に向かって何事かを絶叫し、カプセルホテルに投宿して意識を暗転させ、朝焼けを背にローソンの105円のおにぎりを握りしめ、駅の改札口から吐き出される無表情の表情をした通勤者たちを眺めながら、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と独り呟かれることをお薦めしたい。そんなあなたには、きっと明るく晴れやかな留学生活が待っていることだろう。

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