2012/04/28

UCバークレーの芝生を初めて踏んだこと

 UCバークレーのキャンパスに足を踏み入れたのは、GSPP(Goldman School of Public Policy)のオリエンテーションの前日だった。噂に違わず、楽園のような天気。キャンパスはどこまでも広く、どこまでも美しい。


 それにひきかえ、私の出身大学といえば、ハムスターの小屋のように狭く、美しさという概念からは解放され、おまけに臭かった(実験室の塩酸の臭いが建物の外まで漏れてきていて、食欲の減退に役立った)。そんな環境において、私は、物理数学の単位を落とし、解析力学の単位を落とし、統計力学の単位を落とし、量子力学の単位を落とし、留年が決まり、ぼんやりとした不安を抱え、現実から逃避するようにロシア文学に傾倒し、そして、そして・・・。
おっと、脱線した。ここは私の失意の大学生活について語る場ではない。ともかく私は、UCバークレーの芝生を初めて踏むことになったのである。

 この祝福に満ちたキャンパスを、どのように表現したらよいだろう。再び東京ローカルの話題で恐縮だが、あの緑豊かな新宿御苑の敷地内に瀟洒な建物が散在していて、そのひとつひとつが大学の校舎になっている、そんなイメージに近いだろうか。

UCバークレーの象徴、セイザータワー。
パンフレットの類には必ずと言っていいほど登場する。

絵はがきのようなキャンパスの一風景。

ここもキャンパスの一部。

 キャンパス内ではリスをよく見かけた。これまで動物園以外でリスを見かける機会なんてほとんどなかったから、じっと座り込んで観察してしまった。リスくん(リスさん)にとってはさぞ迷惑だったに違いない。この場を借りてお詫び申し上げたい。
 ところが、道行く若者たちはまるで無関心である。それはたぶん、我々日本人にとっての「JR新宿駅ホーム内を徘徊する灰色の鳩たちに対する無関心さ」と同種のものだろう。リスに対する関心の有無、どうやらこれが、UCバークレーの学生か否かを見分ける試金石であるようだ。


思わず動画まで撮ってしまった。


キャンパス内の博物館にて。


スタンフォード大学とは仲が悪いと聞いていたけど、どうやら本当にそうみたいだ。

ロー・スクールの近くに無造作に置かれていた制作者不明のrecycled art。

GSPPの校舎。景勝地のペンションと言われてもおかしくない外観だ。

GSPP校舎内のリビング・ルーム。ここでよくグループ・ワークなどを行うという。


 GSPPのオリエンテーションは、大人物の学部長のスピーチにはじまり、溌溂とした事務員の説明に支えられ、そして激烈に忙しい日々を送っているはずなのにまったくそのように見えない/見せない優秀なオーラを漂わせている先輩たちの主導で、万事滞りなく進行した。
 具体的には、在校生リードのキャンパス・ツアーがあり、中庭の芝生で食べるランチがあり、卒業生たちのパネル・セッションがあった。全体に共通するのは、教員も生徒も事務員もフラットな関係で、何でも楽しんでやっていこうという雰囲気である。

 初めて顔合わせをする同級生候補たちは全部で50名ほど。学生よりは社会人の方が多いようだった。その職業も教師、市役所職員から金融マン、軍人というレンジの広さである。
 英語圏の非ネイティブは見渡す限り私だけで(註:このオリエンテーションは任意参加なので、本当はもう少し留学生もいるはずだが)、この「アウェイ感」は実際なかなかのものだった。しかし考えてみれば、アウェイどころじゃない、これからここがホームになるわけだ。そう思うと、下腹部がぎゅんぎゅん締まっていく感じになった。

 オリエンテーションには1時間半の体験授業も含まれる。Lee Friedman教授の「The Economics of Public Policy Analysis」である。
 授業では「市場の失敗」と「政府の失敗」が扱われ、その考え方をいかに公共政策に活かすべきか、といった観点から論じられた。体験授業とはいえ、なかなか重めのテーマである。数式もたくさん出てきて、偏微分を意味する「∂記号」が現れたとき、クラスの空気がちょっとだけ沈滞した感じがした。これはたぶん、8月初旬からはじまるMath Review(GSPPの新入生向けに経済学などで使う数学を"おさらい"する授業)の必要性をアピールする狙いがあるのだろう。
 Friedman教授はゆっくりと丁寧に説明される方だったが、それでも私は(甘く見積もっても)説明内容の半分くらいしか聞き取ることができなかった。ペンを握る手が汗ばんで、授業中に20回くらいハンカチで拭くことになった。

 そのとき思い出したのは、以前お世話になった上司の言葉だ。曰く、「英語で一番大事なのはリスニングである。スピーキングなんぞ、I have a penさえ言えれば、あとは気合でどうにでもなる。リーディングも然り、ライティングも然り。けれどもリスニングだけはいくら気合があっても、能力が不足していればどうにもならない。だからリスニングの勉強を最優先とすべきだ」。その方は実際に国際交渉の場面で「I am angry!」と叫んで逞しく主張を通したと聞く。
 再び手のひらをハンカチで拭きながら、なるほどそうかもしれない、と思った。何はともあれ、努力しなければ道は開けないということだ。

東アジア図書館からの眺め。

 気がつけば、オリエンテーションからもう2週間が経つ。結果的に私の心にいちばん深く刻まれたのは、学部長がウェルカム・スピーチで発した、「いまここにいる人たち全員に共通する点がひとつある。世の中を良くしたい(make the world better)という志を持っているということだ。その志を大事にしてほしい。そして、その夢を叶えるための、世界で最高の場所が、このGSPPなのだ」というセリフだった。

 これから私は何度も挫けそうになるだろうし、また実際に挫ける場面もたくさんあるだろう。しかしそのときは、このシンプルで揺るぎない「世の中を良くする」精神に立ち返ってやろうじゃないかと、ちょっと真面目にそう思った。

ビリー・ワイルダー監督の「ねぇ、キスしてよ!(Kiss me stupid)」の主人公が、確かこんな感じのTシャツを着ていたような気がする。欲しかったけど、残念ながら在庫切れ。



正門前の自動車屋台。「どじょう(泥鰌)DOG」って何だ?と思ったが、これはたぶん「どうじょう(道場)DOG」のことだろう。ベジタリアンと銘打っているのに全然そんな風に見えないのが、いい。


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