2014/06/22

GSPPの特徴に数えられる3つのこと

 どんなものにも終わりはやってくる。
 このブログにも終止符を打つときがきた。

 最終回を目前に控えた今回は、ブログの初心に立ち返り、山頂から麓を臨むような心境で「GSPPの3つの特徴」を紹介したい。

 愛すべき読者諸氏よ。文章というものは、どこまでも書き手の主観からは逃れ得ない。どうか健全なる懐疑心を抱きつつ、以下の記事をお読みいただきたい。


特徴1.堅牢かつバランスの取れたカリキュラム
 GSPPのカリキュラムは、実によく練られている。
 卒業証書を手にしたいま、改めてそう実感する。

 私の見聞する限り、公共政策学、開発学、MBAといった、いわゆる「学際的」な括りの大学院では、さまざまな分野をつまみ食いできる一方で、何かを体系的に学んだという実感が得られにくい傾向にあるようだ。
 ところがGSPPでは、そうした心配は無用である。
 我が身を振り返ってみても、2年前と比べ、いまの自分が違う地点に(おそらくは過去にそうありたいと願っていた地点に)辿りついたという手応えがたしかにある。

 具体的なTakeawayは、生徒の関心に応じて当然異なるものだが、ここでGSPPの必修科目にフォーカスするなら、

「いままで経済学を1ミリも習ったことのない人でも、2年後には独自の視点で政策分析ができるようになる」

ということになる。

 これは、1年目の必修科目(例:統計学、ミクロ経済学、計量経済学、政策分析入門)を通じて「政策立案の技法」の基礎についてがちがちに鍛えられた後、2年目からは一転して自由に選択科目を履修できるという、メリハリのついたカリキュラムの賜物だろう。
 在学中に経済学のおもしろさに目覚め、そのまま経済学部の博士課程に進む生徒もよく現れる。実際、GSPPの教授陣にも「GSPP修士号 ⇒ UCバークレー経済学部Ph.D」の道を歩まれた方が2名いる。

 日々の勉強は、楽ではない。宿題やテストに追われ、あごが上がってくることもしばしばだ。といっても、「相対評価下位10%は全員落第」というような、某ハーバードビジネススクール的な容赦なき世界が繰り広げられているわけではない。学期の途中にインド放浪の旅とかに出なければ、落第の心配はないだろう。何せこの私が卒業できたのだ。そこは安心してほしい。

 GSPPは、私にとって最高の大学院であった。でも別の見方をすると、かつて学部や大学院で経済学を専攻した人には、基礎中の基礎から丁寧に教えるGSPPのスタイルは、いささか退屈に感じられるかもしれない。あるいは、将来マクロ経済を駆使する分野に進みたい人には、必修科目をミクロ経済に絞ったカリキュラムは、少しく筋違いに思われるかもしれない。

 しかしまあ、このあたりは人間関係と同じで、最終的には「相性」の問題になってくる。疑問のある方は、入学担当者に問い合わせるとよいだろう。遠慮は無用だ。事務方のホスピタリティのレベルの高さは、疑いなくGSPPの美点のひとつなのだから。


特徴2.少人数で「いい奴」揃いのクラスメート
 しばしばマンモス校と称されるコロンビア大学SIPAやハーバード大学ケネディスクールとは対照的に、GSPPは昔から少人数主義(80名程度)に徹している。なので、クラスメートとはどうしたって仲良くなる。また「いい奴」揃いなんだな、これが。

 留学生の数は、たしかに少ない。私もはじめこそ肩身の狭さを感じたが、まあそのうちに慣れてくるものだ。英語から逃げられない環境に身を置けるという文脈では、むしろ大いにありがたいことかもしれない(って、卒業したいまだから言えるんだけど)。

 個人的な意見を述べるなら、GSPPの最大の長所は、スノッブ臭のしないところだ。
 アメリカ留学について語るとき、人は(というかメディアは)ともすれば「世界で戦うグローバルエリート!」的な煽り文句を冠せがちであるが、GSPPにそうした感じはまったくなく、それが私には心地よかった。

 だって毎年、学芸会(Talent Show)が開催されるんですよ。そんなイベント、日本だったら幼稚園でしかやらないんじゃないか。なんというか、スノッブの対極にある学校なのだ。

2年目の学芸会では、チーム・ブラザンビークのメンバーと一緒にBoyz II Menの「End of the Road」の替え歌(GSPPの「あるある」ネタ満載バージョン)を歌った。各自が手にしているのは、ユージン・バーダックの「政策立案の技法」。ちなみに1年目は、宇多田ヒカルの「Traveling」にあわせて、阿波踊りとタップダンスとアフリカンダンスと井手茂太をミックスさせた踊りを披露した。

特徴3.学びにも遊びにも最高のロケーション
 バークレーの暮らしやすさについては、これまで本ブログで繰り返し繰り返し述べてきたところだ。この祝福された土地は、しかし学問を志す上でも絶好の場所なのである。

 たとえば、エネルギー・環境政策を学びたい人にとって、世界に名高いLBNL(Lawrence Berkeley National Laboratory:ローレンスバークレー国立研究所)が大学の敷地内にあるのは強力なアドバンテージだし、州政府は全米で最も先進的な政策の打ち手として知られている(固定価格買取制度を最初に実施したのはカリフォルニア州だ)。太陽光発電のサンパワーや電気自動車のテスラモーターズなど、エッジの効いたおもしろ企業が多いのも特徴だ。

 情報系に感度の高い人にとって、BSD(Berkeley Software Distributionの略。Mac OS Xの始祖的存在)を生んだバークレーは、ある種の聖地のような場所だろう。私はそちらの方面には疎いのだが、それでもGoogleやfacebookが近くにあることで、心躍る体験をいろいろさせてもらった(UCバークレーはスタンフォード大学と並ぶシリコンバレーの人材供給源)。諸事情により詳細は書けないが、Google Glassを使った実験に参加したのもそのひとつだ。

 「学び」を提供する場所は、大学だけではない。
 世界各国からおもしろエキスを持った人たちが集まるこの土地では、生活すべてが「学び」である。「可処分時間」の豊かさも含め、バークレーは物事を考えるには最高の場所であった。

 人はなぜ生きるのか。
 人はいかにして生きるべきか。

 神は存在するのか。
 もし存在するなら、幼児虐待や民族紛争が世界から無くならないのはなぜなのか。

 現代に生きる者は、先人たちの犯した罪や呪いを、どの程度引き受けていくべきなのか。
 日本人であると同時に一個人であることについて、どう折り合いをつけていけばよいのか。

 こうした問いには、通常、簡単に答えは出ないものだ。それでも、気ままに散歩などしながらゆっくり思索(というと大げさだけど)にふけるのは、私にはとても贅沢な時間であった。またそうしているうちに、新たな考えを掘り当てることもあった。

 それはたとえば、

多様性を尊ぶ心と、自分の国を愛する心は、決して矛盾するものではない」

ということだ。

 これはたぶん、日本で生活していたら出てこなかった考えだ。いろんな人と会って、話して、刺激を受けて、穏やかな醸造過程を経て、そうしてはじめて言葉になった考えだ。
 その意味で私は、この美しい土地にもう一度感謝の意を表したい。

 ありがとう、バークレー。



 そして・・・・・さようなら。

2 件のコメント:

  1. さわやかな感動を、ありがとうございました。
    素晴らしい学生生活を締めくくる、素晴らしい文章です!!

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    1. Onoさん、うれしいコメントをありがとうございます。
      夢のような日々でした・・・!

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