2014/03/30

バークレーでタップダンス教室に通っていること

 今年の1月から、タップダンスを習っている。
 初期投資は、通販で買ったタップシューズに30ドル、近所の公民館の生涯学習講座「タップダンス入門」に144ドル。新たな趣味に投じる額としては、わりに安い方だろう。


 タップダンスをはじめた理由は、主に2つある。

 1つ目は、「可処分時間」に恵まれたこの時期に、新しい芸事を何かひとつ身につけておきたかったからだ。およそ10年前、私はアマチュアの落語家だったことがあり、仕事でも留学でも、この経験がしばしば役立った。
 とはいえ、もはや追憶の領域に入りつつある落語のネタを今後も使い回していくのは、なんだか過去の遺産で食いつないでいる没落貴族のようで、あまり気持ちのいいものではない。そう思っていた矢先に、このタップダンス教室を見つけたのだった。

 2つ目は、これはシンプルに、タップダンスが好きだったからだ。私はミュージカル映画を愛する者で、そうなるとフレッド・アステアやジーン・ケリーに憧れないわけにはいかない。
 MGM黄金時代の傑作群は別格として、個人的にいちばん好きな作品はジャック・ドゥミ監督の「ロシュフォールの恋人たち」だ。単純に見えてよく練られた脚本(ドゥミ監督の処女作「ローラ」の後日譚が織り込まれている)、キャッチーで品のあるミシェル・ルグランの音楽、パステルカラーが青空に映えるベルナール・エヴァンの美術、そして何より、カトリーヌ・ドヌーヴ&フランソワーズ・ドルレアックの実姉妹コンビを筆頭に、ダニエル・ダリュー、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、ジャック・ペランという、米仏を代表するスターたちの奇跡のような輝き・・・!
 いや、話が脱線した。ともあれ、私にとってタップダンスは、「いつかやってみたいこと」リストの上位にランクしていたのである。


 当初は、学部生向けの授業を履修するつもりだった。そう、UCバークレーには、タップダンスの授業だってあるのだ(※)。週2時間、0.5単位。ところが調べてみると、春学期のクラスはAPA(修士論文)のゼミの時間と重なっている。さすがに私も、修士論文を捨てて踊るわけにはいかない。うーん、残念。もう少し早く知っていれば・・・と嘆いたところで仕方がない。
(※ タップダンスのほか、ジャズダンス、モダンダンス、バレエ、柔道、合気道、テコンドー、ヨガ、エアロビクス、サーキット・トレーニング、水泳、スキューバ・ダイビングなんてのもある)

 そういうわけで、いわば次善の策として選んだ生涯学習講座だったが、初回のクラスで私はひっくり返りそうになった。講師を含め、私を除く全員が40~70代の白人女性だったのだ。これまで数々のアウェイ戦を経験してきたつもりであったが、人種/性別/世代のすべての面でマイノリティというのは初めてのことである。
 先生の英語が全然聞き取れなかったり、生徒たちの雑談についていけなかったり(更年期障害とか)、はじめのうちは挫けそうになったが(何しろSatoruという名前すらなかなか覚えてくれないのだ)、しかし私は休まずがんばった。そうすると、「休まずがんばるアジア人」として徐々にインプットされ、みんなとも打ち解けるようになった。更年期障害のことはよくわからないけど、天気がいい日には気分がいいとか、おいしいご飯を食べると幸せになるという点では、何も変わるところはないのである。
 

 習いはじめて3カ月。
 最近気がついたのは、いつの間にか私がクラスでいちばん上手くなっていたことだ。家族寮のランドリールームで、待ち時間に一人でステップを踏んでいたのが功を奏したようである。

 まだ人前で見せられるレベルには達していないが、帰国後もどこかのスクールに通って、細々と鍛錬を続けていきたい。


2014/03/21

バークレーで音楽をたくさん聴いたこと

 バークレーに来てから、音楽に親しむ時間が長くなった。ジョギングしながら、ジムで運動しながら、自転車を漕ぎながら(ホントはいけないんだけど)、本を読みながら、政策分析のメモを書きながら。もちろん、虚心坦懐に音楽と向き合うこともある。
 平均すると、たぶん1日5時間くらいは聴いている。西海岸の気持ちのいい天気は、音楽との相性も良好みたいだ。



 情操教育というわけではないが、0歳の赤ン坊と一緒に聴くことも多い。ところが彼は、モーツァルト、シューベルト、マイルス・デイヴィス、スタン・ゲッツ、ビートルズ、エリック・クラプトン、シガー・ロス、DJ OKAWARI、ポート・オブ・ノーツなどにはあまり関心を示さない代わりに、ZAZEN BOYS、group_inou、ゆらゆら帝国、在日ファンク、ザ・タイマーズ、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、ハナ肇とクレージーキャッツ、岡晴夫といったあたりには、目に見えて喜色を浮かべるのであった。
 我が子ながら、いささか将来が心配である。

バークレーには、ジャズの聴けるカフェがたくさんある。ほとんどの店では予約は要らないし、テーブルチャージも取られない。子連れの家族や、独り身の婆チャンなど、客層もいろいろだ。すごく気楽で、すごくいい。

路上のアーティストも多い。ギター、ヴァイオリン、フルートから、ジャンベ、ディジリドゥ、テルミンまで、楽器もまた多様性に富んでいる。

赤ン坊の生まれる前は、コンサートに足繁く通った。トータルで30回以上は行っただろうか。何しろ安いのだ。大向こうの席なら15ドルくらいで買えてしまう。まさしく学生の特権である。
 これだけ安いと、チケットを購入するのも抵抗がない。演目すら確認せずに入場し、「へえ、今日はテノールのソロなんだ」などと気がつくこともしばしばだ。まあいい加減なものだが、こういうのは前知識ゼロの方がかえってたのしかったりもする。
 たとえば、ハイドンの「冗談」(弦楽四重奏曲第38番)は、タイトルのとおり冗談のようなメロディの曲で、場内爆笑となっていたのが新鮮だったし、ヨルグ・ヴィトマンの「狩」(弦楽四重奏曲第3番)は、奏者たちが弓を空中でぶんぶん振ったり、「アーイッッ!」とか「ホイッッッ!!」とか絶叫する狂気じみた曲で、がんがん攻めている感じがすごくよかった。クラシックと一口に言っても、実にいろいろな曲があるんですね。

UCバークレーにあるHertz Hall(写真右の建物)。カルテットやソロのコンサートは大体ここで開かれる。小ぶりでインティメートな建物で、後述するZellerbach Hallよりも私はこちらの方が好きである。

 バークレーで聴いた中で最も印象に残っているのは、エサ=ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管弦楽団による演奏だ。サロネン自身が作曲した「ヘリックス」、ベートーヴェン「交響曲第7番」、休憩を挟んでベルリオーズ「幻想交響曲」、アンコールにワーグナー「ローエングリン 第3幕への前奏曲」という、ステーキ・とんかつ・牛カルビ特盛定食みたいな演目だったが(デザートはさしずめ天ぷらアイス)、これがひっくり返るほど素晴らしかった。

 打ちのめされたのは、ベートーヴェン交響曲第7番。この曲について、私はカルロス・クライバー指揮(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)の鍛え抜かれた日本刀のような演奏をこよなく愛する者であるが、この日のサロネンは、それに勝るとも劣らない凄みを有していた。
 この運命的なコンサートに私が足を運んだのは、2012年11月9日のこと。当時は苛烈な宿題に追われ、鬱々とした日々を過ごしていたが、「なあに、この演奏に出会えただけでバークレーに来た価値があったじゃないか」と、一転してポジティブな気持ちになった。
 「倒れてもいい。せめて前向きに倒れよう」
 事実、この日を境に生活は上り調子になっていったし、そのときの興奮の「残り熱」は、いまでも私の身体の芯を温めてくれている。

UCバークレーにあるZellerbach Hall。写真のとおり大きな建物で、交響曲やオペラなどはここで上演される。ちなみに、最上階Balconyのせり出した部分にある席(AA列)は、最安値でありながら半個室みたいになっていておすすめです。

 アンドリス・ネルソンス指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も絶品だった。こちらは2014年3月8日、最近の公演だ。
 別の指揮者による前日の演奏が(大きな声では言えないけど)正直ちょっと残念な出来だったので、あまり期待せずに行ったのだが、最初の一振りで電撃に打たれた。特にブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」では、危うく魂を持っていかれそうになったほどだ。

 一体に私は、偉大な映画や音楽に接したとき、病膏肓に入って注意力が著しく低下する傾向にある。そういうときの私は、奥さんの話を聞いていなかったり、鞄を置き忘れたり、財布を置き忘れたり、階段を踏み外したり、壁に激突したり、赤信号に気づかず車道に入ったり、エレベーターの「閉」ボタンと間違えて「非常」ボタンを押したり、ズボンのチャックを上げ忘れたり、大小便を漏らしたりと、ほとんど生活無能力者になるのだが、この演奏は、私をそうさせるレベルの演奏であった。

 アンドリス・ネルソンス。ラトビア出身。1978年生まれ、35歳。
 不勉強にして名前を知らなかったが、この人をちょっと追いかけてみようと思う。
 
出所: Andris Nelsons 公式ウェブサイト

 音楽がなくても、人は死なない。
 しかしときに、音楽があるから人は生きていけるのだ。

2014/03/11

【JGRB】 第2回「バークレー漂流教室」のお知らせ

「あの日」から3年。

私たちは、これまで、何をしてきただろうか。
私たちは、これから、何ができるのだろうか。

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バークレー漂流教室:  第2回 人々の暮らしと災害

今回は、被災地の人々の声を聞き続けてこられた京都大学の落合先生からお話を伺います。
講演後は、落合先生を交え、参加者の皆さんでインフォーマルな意見交換をする予定です。

講師: 落合 知帆 (おちあい ちほ)
京都大学大学院地球環境学堂助教、UCバークレー IURD (International Urban and Rural Development) 客員研究員

大学で社会学・国際開発学を専攻後、開発コンサルタントで防災・社会配慮を担当。その後、京都大学大学院地球環境学堂にて、「日本の伝統的な地域防災」、「インド洋津波後の住民参加型住宅再建」の研究を行う。バークレーでは、「1991年に発生したイーストベイ火災後の住宅再建における住民組織の役割と変遷」を調査・研究している。

<落合先生のコメント>
東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市沿岸部に位置する漁師町における人々の暮らしと住宅形態をご紹介します。また、その他の被災地における日常生活と災害との関わりについてお話したいと思います。異なる分野の専門家がどのように災害(研究)に関わっているのか/いけるのかについて、皆様と議論できれば幸いです。

日時: 4月19日(土) 13時~15時頃
場所: Goldman School Public Policy, Room 105 (地図はこちら)

参加費: 無料(飲み物とお菓子を用意します)
登録方法: JGRBからメールが届いている方は、そちらにご返信ください。そうでない方は、私までご連絡ください。

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できることのひとつは、忘れないでいることです。
 

2014/03/10

UCバークレーで引き続き中国語を勉強していること

If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head.
If you talk to him in his own language, that goes to his heart.
(ネルソン・マンデラ)


 前学期に続いて、中国語の授業を履修している。週5.5時間。相変わらずの千本ノックだが、たのしい毎日だ。特に修士論文で根を詰めることの多い今学期では、この授業がうまい具合に脳の筋肉をほぐす役割を担っている。
 水風呂と熱湯風呂というか、柿の種とピーナッツというか、サイモンとガーファンクルというか、まあ何にせよバランスというのは大事である。




 前回の記事から5ヶ月が経ち、ネタもいろいろとたまってきた。
 ブログが終わる前に、ここでひとつ放出することにしたい。

伯克利:Berkeley / 和:and / 我:me


<簡体字と繁体字>
 ご存知の方も多いだろうが、中国語には、簡体字(Simplified Chinese)繁体字(Traditional Chinese)の2種類の表記がある。私の授業ではSimplifiedの文字を使うので、さぞ覚えやすいだろうと思っていたら、これが意外にも逆だった。日本語に近いのは、Traditionalの方なのだ。


 とはいえ、街中でTraditionalを見かけないわけではない。香港系や台湾系の店では、むしろTraditionalしか使われていないことが多い。結局は、両方覚えないといけないのだ。
 これは何とも非合理な話で、あるとき私は中国人の友達に「SimplifiedとTraditionalの2種類があるなんておかしい。中国共産党はいまからでもひとつに統一すべきだ」と文句を言った。すると彼曰く、「何を言ってるんだ。日本語なんか漢字とひらがなとカタカナの3種類もあるじゃないか。そっちの方がよっぽどおかしい。自民党はいまからでもひとつに統一すべきだ」。
 この論争、どうやら中国側に分がありそうだ。


 ではSimplifiedの全部がとっつきにくいかというと、またそうとも限らない。「ごんべん」や「もんがまえ」などは、Simplifiedの方が画数も少なく、視覚的にも馴染みやすい。
 そんなわけで私は最近、手書きで日本語の文章を書くとき(たとえばこのブログの原稿がそうだ)、Simplifiedを使うようになってきた。そっちの方が格段に早いのだ。
 うーん、だんだん中国人化してきたみたいだ。

私は「てん」を「右上 → 左下」の向きに書く癖があり、書き取りの宿題でしばしば減点される。私の名字には「てん」が2つあるのだが、先日のテストでこれを赤ペンで直された。名前欄でバツを食らったのは、小学生ぶりだ。

真夜中に台所でひとり書き綴る、死、死、死、死、死、死、死、死・・・。言霊的には、たぶんかなりよくない。


<若いと書いてアホと読む>
 前回の記事でも触れたことだが、クラスメートが、とても若い。干支の文化について学んだ先週の授業では、先生が「皆さんほとんど狗年(戌年)ですね!」とコメントされた。しかし考えてみれば、みんなは1994年生まれの戌年で、1982年生まれの私とはひとまわり違うのだ。
 といっても、級友たちは年長者の私を特に敬うでもなく、距離を置くでもなく、あくまでフラットに肩を叩いて接してくる。そこがアメリカの(バークレーの)いいところだ。


 年齢を別にしても、彼らは日本の大学生よりもずっと幼い。たとえば、先生がAさんに質問しているのに、その答えをBさんもCさんもDさんもEさんも次々に重ねて発言し、ついには誰が何を言っているのかすらわからなくなる、なんてことはしばしばだ。あるいは、生徒の質疑応答の直後に、別の生徒がまったく同じ質問をすることもある(人の話を聞いてないのだ)。
 これにはさすがに温厚なTsai先生(蔡老師)も怒気を発し、「同じ質問されたら、また同じ説明しなくちゃいけないでショ!時間もったいない!先生が話しているときは、みんな静かにしてね!」とのお叱りを受けることになった。でもこれって高校生レベル、いや中学生レベルのお説教だよな。

 UCバークレーというのは世間的には一応トップ校ということになっているのだが(先日発表されたAcademic Ranking of World Universities 2013では第3位にランクされていた)、彼らを見ていても全然そうは思えない。まあ、そういう「エリートくさくないところ」こそがUCバークレーの美点である、と個人的には言いたいのだけれど。

出所: ARWU 2013, THE World University Rankings 2013-2014

 ともあれ、こういうにぎやかな環境で席を並べて勉強するという体験は、あるいはこれで人生最後かもしれない。そう思うと、急にみんなが愛おしくなってくるから不思議なものだ。




<むずかしい「了」、おもしろい「的」>
 外国語を学ぶ上での大きな壁のひとつが、ある種の文法的ニュアンスだ。英語でいえば、「a」と「the」の使い分け。文脈に応じてどちらを使うべきか、ネイティブスピーカーには直感的にわかるのだが、学習者がその感覚を掴むのは難しい。
 私にとって、中国語のそれは「了」である。詳しい説明は省くが、作文の宿題でも、この「了」の有無でよく間違える。もっと勉強すれば理解が進むのかもしれないけれど、太难了(難しいなあ)!

(追記: ネットで調べると、「了」に苦しんでいるのは私だけではないみたいで、少し安心した。なかでも興味深かったのは、鴻富榮『中国語の"了"の用法探求』。題名のとおり、「了」の用法だけをひたすら追求した16ページの論文だ)
 

 「了」のほかに印象深いのは、「的」である。「○○的××」で、「○○の××」という意味になる。「了」よりはずっとわかりやすい。
 「的」のおもしろいところは、「○○的」の「○○」が名詞でも動詞でも形容詞でもオッケーであることだ。たとえば、「我妈妈做的豆腐」は、「私のお母さんがつくった豆腐」という意味だし、「我妹妹爱的那个很帅的男人」は、「私の妹が想いを寄せるあのイケメン男性」だ。いわば関係代名詞と助詞が一緒くたになったようなもので、これはなかなか便利である。

 この「的」を学んだときに私が気づいたのは、「中国人によって書かれた日本語の商品や看板には、なぜ「の」がやたら多いのか?」という疑問に対する答えだ。あれはつまり、「的=の」というシンプルな置き換えをやっているためではないか。
 カリフォルニア州の運転免許センター(DMV)の筆記試験に「防御的運転」という珍妙な日本語訳が出てくる、というのは一部では有名な話だけど、あれは中国語のセンスでいけば、全然おかしくない話だったのだ。
 



体に負担はない。 


<移民と外国語>
 UCバークレーの外国語教育は、大変に充実している。学部生向けに開設された授業を挙げるだけでも、フランス語、アカディア語、ドイツ語、イディッシュ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、アイルランド語、オランダ語、ギリシャ語、ラテン語、ロシア語、ポーランド語、チェコ語、ボスニア・セルビア・クロアチア語、ハンガリー語、ルーマニア語、アラビア語、ペルシャ語、ヘブライ語、トルコ語、タガログ語、ベンガル語、パンジャブ語、タミル語、ヒンディー語、ウルドゥー語、テルグ語、サンスクリット語、中国語、韓国語、タイ語、ベトナム語、インドネシア語、クメール語、エジプト語、ヒッタイト語、スワヒリ語、ウォロフ語、チェワ語、といった按配だ。

 もちろん日本語の授業もある。語学棟の廊下を歩いていると、ペアになった白人と黒人が「ありがトございました」「どういたシまして」などとやり取りしている姿をたまに見かける。たぶんダイアローグ暗唱の特訓をしているのだろう。心温まる風景だ。
 しかし正味な話、バークレーの語学教育の質はかなり高い。先日出会った日本語学習2年目の学生(たぶん中国人)は、驚くほど流暢に日本語を操っていた。下手すると私の英語よりうまいんじゃないか。
 彼に授業のプリントを見せてもらったところ、次のテストの範囲は、星新一の名作『おーい、でてこーい』。暗記を要する単語は、「原子力発電」「あとしまつ」「村はずれ」「利権屋」「つきっきり」などであった。なかなかハイレベルな語彙である。

(2014年3月18日追記: 先週知り合った中国人のゼンさんは、「日本のアニメがロボット産業に与えた影響について」という作文の宿題をやっていた。すごい。ゼンさんは「ジョジョの奇妙な冒険」の熱心なファンで、しばしジョジョネタで盛り上がった。彼の好きなキャラは承太郎。ちなみに私はプッチ神父だ)


 英語を何年も勉強してきた日本人が一向に話せるようにならないのに、この違いは一体何なのか。UCバークレーでの教え方が優れている、というのはなるほどひとつの要素だが、天と地ほどの差があるわけでもないだろう。日本の英語教育だって捨てたものではない。

 それでは、なぜか。
 私の意見は、「人種の多様性の違い」だ。すなわち、ある言語を学んでいるとき、それを母言語とする兄チャンや姉チャンが(爺チャンでも婆チャンでもいいけど)身近にいるか否か、という違いである。
 言語というのはコミュニケーションをするためのツールなので、その相手が近くにいなければ必要には迫られないし、必要に迫られない物事についてモチベーションを維持するのは一般に難しい。言ってみれば、海も川もプールも見たことのない人に泳ぎの練習をさせるようなものである。

 であれば、我が国はこれからどうするべきか。この議論を突き詰めていったときに、おそらく行き当たるのが、「日本はもっと移民を受け入れるべきか」という大きな政策イシューだ。
 そしてそれは、私がこの2年間、折に触れて考えてきたことでもある。

 日本はもっと移民を受け入れるべきだろうか?

・ 民族的同質性の高い日本では、異なる人種を受け入れるのは心理的抵抗が強すぎるのではないか?

・ でも、「幕末 ⇒ 明治」や「敗戦 ⇒ 復興」に見られるように、日本人は良くも悪くも環境変化への順応性がきわめて高い民族だから、移民についても(はじめは抵抗あれど)意外にするっと受け入れられるのではないか?

・ 日本文化のオリジナリティは、(英語の不得意さが幸いして)日本語という名の防波堤によって守られているという説もあるが、そうした価値が移民の増加によって失われてしまうのではないか?

・ いや、日本文化は歴史的に異文化を取り入れながら独自な進化を遂げてきたのだから、外国人比率が高まったくらいで壊れるほどやわなものではない、という考え方もあるのではないか?

・ 英語話者のベビーシッターや家政婦が増えれば、子どもの英語教育の選択肢が広がるし、女性の社会進出度も向上するし、一石二鳥ではないか?

・ しかしそれは、ベビーシッターや家政婦を雇える財政的余裕のある家庭に限られた話であって、さらにこれまで(ベビーシッターや家政婦として)働いていた日本人労働者の雇用を奪う結果にもなるから、富裕層と貧困層の格差が拡大してしまうのではないか?

 答えは未だ出ない。
 出ないからこそ、考え続けているのだけれど。