2013/06/13

バークレーのあちこちを走ったこと

 見知らぬ土地を訪れたとき、私はできるだけそこを走るようにしている。散歩より行動範囲が広くなるし、車より近しい視点が得られる。不逞の輩に襲われるリスクも比較的少ない(走っている人間に殴りかかるのは、一般的に難しい)。

 オーストラリアのシドニーでは、オペラハウスを対岸に、祝福された太陽を背にひた走った。
 ベトナムのホーチミンでは、シクロを抜きつ抜かれつ、熱帯の臭気と喧騒の中をひた走った。
 カンボジアのプノンペンでは、ポン引きの兄ちゃんに睨まれつつ、月夜の路上をひた走った。
 ペルーのリマでは、コカ茶を大量に飲んでぐんぐんになりつつ、市街地の遺跡をひた走った。
 サウジアラビアのリヤドでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暑すぎて走れなかった。

 そしてアメリカのバークレーに来た当初は、つまり自転車を購入するまでということだが、自宅からGSPPまで往復11kmをひた走っていた。




 私は別段シリアスなランナーではない。その走歴も、フルマラソンを1回(荒川マラソン)、30kmマラソンを1回(青梅マラソン)、ハーフマラソンを3回(やぶはら高原マラソンなど)という程度で、まあ大したことはない。ランナーとしては「中の下」といったところである。




 私のお気に入りは、バークレー・マリーナ(Berkeley Marina)だ。ここは、
 1.水辺を臨む
 2.信号がない
 3.人が少ない
という、私の考える「理想のジョギング・スポット」の3条件をすべて満たしている。正確に数えてはいないが、累計700kmくらいここを走ったと思う。




 同じ場所を日々走っていると、さまざまな気づきがある。たとえば、私がバークレー・マリーナで発見したのは、

・海辺の植生は思いのほか短い周期で変わること
・野リスにも個性があって、警戒心のある奴とまるでない奴がいたりすること
・季節&人種&老若男女を問わず、凧揚げが人気のアクティビティであること

といったことである。「こうした発見が将来何の役に立つか」と問われても歯切れのよい答弁は用意できそうにないが、その土地に対する自分なりの視点を得るというのは、これはなかなか悪くないものである。






 オークランド在住の方には、メリット湖(Lake Merritt)はお薦めのジョギング・スポットだ。前述の3条件を満たしているし、一周5kmというわかりやすさもいい。一周5kmといって連想するのは皇居だが、メリット湖は皇居に比べてランナーが少なく、また「天皇陛下のご自宅の周りをぐるぐる走り続けるという行為は、はたして表敬にあたるのか不敬にあたるのか?」という疑問に悩む必要もない。まあそんなことで悩むのは私だけかもしれないけれど。






 今年の4月に、日本を代表するギター職人(になる予定)のHiroさんと、バークレーの裏山で開催された30kmのトレイルラン・レース(Grizzly Peak Trail Run)に参加した。トレイルランとは、簡単に言うと山登りならぬ「山走り」のことである。

 コース全体の高低差は約1,200メートルで、数字だけ見ると、高尾山の麓から頂まで行って帰ってくるようなものだ。しかし、高尾山でトレイルランをした経験のある私の実感として、その難易度は★5つくらい違っていた。両手を使わないと登れないレベルの傾斜があるわ、1週間前に降った雨で足元がぐずぐずになっているわと、走るどころか歩くことすらままならない場面が随所にある。よくもまあこんなところをコースにしたものである。

 私は忍者のコスプレをして走ったのだが、そのような異装の輩は私ただ一人であった。それもそのはず、道中これほど過酷で、スタート/ゴール付近にしか応援者がいないようなレースにわざわざコスチュームを着て参戦するような脳天気なアホは、基本的に誰もいないのだ。Except for 自分。私以外には誰も。(子どもたちから「Ninja man!」などと歓声を浴びたので、まあ悔いはないんだけど)






 孤島マニア兼トレイルランマニアの読者諸氏には(そんな方がいらっしゃるかは不明だが)、サンフランシスコ湾に浮かぶエンジェル島(Angel Island)を推薦したい。

 この愛すべき小島には、観光地としての見どころがほとんどない。せいぜいが移民収容所と米軍基地跡くらいのもので、それゆえ、隣のアルカトラズ島とは対照的に、ガイドブックの類からは無視または数行の記述で済まされることが多い。何と言うか、洒落者ばかりの合同コンパに出席してしまった醜男に対するような冷遇ぶりである。だが、それがいい。観光客も少なく、トレイルランには最高の場所なのだ。




エンジェル島の移民収容所には、サカマキ・カズオ海軍少尉(※)のほか、何千人もの写真花嫁(日系一世と結婚するため見合い写真だけを頼りに単身渡米した日本人女性たちのこと)が収容されていたという。

(※)酒巻和男少尉
 1918年、徳島県阿波町生まれ。1940年海軍兵学校卒。1941年の真珠湾攻撃において特殊潜航艇に乗り込み奇襲攻撃を試みたが失敗、酒巻氏を除く乗組員は全員死亡した。
 はじめ酒巻氏は自ら命を絶とうとしたが、思い直して生きる道を選ぶ。捕虜としての態度が立派であったため、米軍関係者も氏を高く評価したという。他の日本兵の自決を止めるなど、多くの命を救ったことでも有名。
 終戦後、トヨタ自動車工業に入社。輸出部次長などを経て、同社のブラジル現地法人の社長に就任。1999年、愛知県豊田市にて81歳で没した。





 走ることのメリットとして、健康になるとか、前向きな気持ちになるとか、頭の働きがよろしくなるとか、昔からいろいろと喧伝されているわけだが、はっきりいって私にはどうでもいいことだ。いや、どうでもいいというのは少し言いすぎたが、でもそれらはあくまで副次的な要素である。私が走る最大の理由は、それが私に考える時間を与えてくれるからだ。「考える」というより「思い巡らす」という方がニュアンスとしては近いかもしれないが。

 たとえば、水素燃料は化石燃料をどこまで代替しうるか、であるとか、通商産業省は我が国の経済成長にどの程度貢献したか、であるとか、オノレ・ド・バルザックがいま生きていたらどんな小説を書くだろうか、であるとか、資本主義は100年後にも成立しているか、であるとか、最初に神を「発明」した人間は誰なのか、であるとか、人間の平均寿命が1,000年になったら社会制度はどう変わるか、であるとか、365日連続で雨が降り続けたら世界はどうなるか、であるとか、屁を我慢しながらウンコをするのは本当に不可能か、であるとか、腸内のウンコを随意にテレポートできる能力があったらどんな悪戯ができるか、であるとか、カレー味のウンコとウンコ味のカレーのいずれかを食しないと絞首刑になるという状況下においてどちらを選択すべきか、であるとか、だんだん知的レベルが低下してきたが、そういったあれこれを思索するのに、走るという行為はとても相性がいい。

 そこに救いがあるかどうかはわからない。しかし、この乾燥したウンコのような私の人生が、走ることによって、あるいは走り続けることによって、その豊かさを増したのは確かである。

 乾燥したウンコから、豊かなウンコになったのだ。






 地球をしばらく止めてくれ。ぼくはゆっくりジョギングをしたい。





2 件のコメント:

  1. Amazing article:) I love jog but never tried trail running... You encourage me.

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    1. Thanks for your comment, NJ! You also encourage me.
      I live in Hawaii now, and really excited that there are so many spots for trail-run.

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