予習に、テストに、プレゼンに、グループワークに追われ、回し車を無心に走るハムスターに自らの姿を重ねつつも、陽は昇り、沈み、また昇る。気がつけば秋学期も折り返し地点をとうに過ぎ、履修している授業の全貌がようやく掴めてきた(ような気がする)。
今回は、これまであまり詳しく触れてこなかった授業の内容について、自身の頭の整理も兼ねて綴ってみることにしたい。
<数学(Math Review)>
8月上旬の2週間を使って、月曜日から金曜日まで1日3時間のペース(つまり合計3×10=30時間)で経済学や統計学で使う「道具としての数学」のおさらいをする。受講は任意で単位もない。
内容は、分数(!)、平方根、指数・対数関数から、偏微分方程式やポアソン分布といったあたりまでを扱う。三角関数や積分は出てこない。
自慢ではないが、私は数学がわりに得意なので(あまりに得意すぎて大学時代に「物理数学1」を3年連続で受けたほどだ)、内容的にそれほど目新しいものはなかった。とはいえ、頭から尻尾まで英語の授業を受けるのは初めての体験であり、自分の英語力(特にリスニング能力)がいかに不足しているかを痛感する絶好の機会となった。
Larry Rosenthal教授は、スタンダップ・コメディアンを彷彿とさせる「べしゃり」の達人である。出席していた約70人の生徒の顔と名前を、初日の自己紹介だけでほぼ完璧に覚えていたのが印象的だった。この人はきっと政治家に転職してもうまくやっていけるだろう。
教科書は、市販されていない専用の冊子を使う。あなたがGSPPに入学される方で、これまで数学と懇意にしない人生を送ってきたというのであれば、中学~高校生で習う範囲についてフォローした参考書の類を事前に読んでおくと良いかもしれない。
<ミクロ経済学(The Economics of Public Policy Analysis)>
必修科目。週5.5時間。「公共セクターで政策分析/立案をする人に必要な知識を授ける」ことを主眼において、ミクロ経済学の基礎かつ応用が講義される。「基礎かつ応用」というのはつまり、経済学の基礎の基礎(例:所得効果と代替効果)から丁寧に教えられるだけではなく、それらを血肉の通ったリアルな政策としていかに応用するかという観点から、色気のある具体例(例:低所得者への補助制度の功罪)が惜しげなく披露される、ということだ。
経済学のバックグラウンドが無い私にとって、このアプローチは見事にハマった。既知の題材を未知の枠組みにあてはめることで、世界の見え方が変わってくる快感。いまさらながら、学部時代に(物理学ではなく)経済学を専攻しておけばよかったと思う。
GSPPで最若手の部類に入るであろうDan Acland教授は、見た目こそちょっとオタクっぽいもののイケメンで(あるクラスメートは私の意見を全否定するんだけど)、話もうまく、親切心と情熱を兼ね備え、いかにもシリコンバレーを闊歩していそうなやり手という印象だ。
教科書は、Lee Friedmanの「The Microeconomics of Public Policy Analysis」とWalter Nicholson & Christopher Snyderの「Microeconomic Theory: Basic Principles and Extensions」で、これらの内容に沿って授業が進められる。週3回のレクチャー、月2回ペースのプロブレム・セット(2~5ページの分量の問題集で、2週間程度で解いてレポートを提出しなければならない)、計3回の中間・期末テストなどを通じて千本ノック的に鍛えられるので、実は教科書がなくてもそれなりにやっていける。クラスメートの中には、一切教科書を買わずにしっかりキャッチ・アップしている猛者もいる。わからないところがあれば教授やGSIに質問すれば良いという、それもひとつの哲学ではある。
<統計学(Quantitative Methods for Public Policy)>
必修科目。週5.5時間。複数の卒業生は、この授業が(就職してから)最も役に立つ授業であったと言う。その内容は、確率や順列といった初歩的な概念にはじまり、t検定、F検定、カイ二乗検定、そして検定力、効果量、メタ・アナリシスにまで至る。後半には統計ソフトStataも登場する。
私にとって前半は既知の内容ばかりで、「おお、σくんにΣさん。おひさしぶりっスね。元気でしたか」と旧友に再会したような気持ちでいたのだが、後半からは未知の領域(あるいは忘却の領域)に属する内容が増えてきて、徐々に余裕がなくなってきた。
Jack Glaser教授は、その容貌も話しぶりもウディ・アレンにどこか似ていて、統計学という笑いの取りにくい分野にもかかわらず、シニカルなギャグを連発して生徒をよく爆笑させる先生だ。でも私にとっては、英語が理解できずに悔しい思いをすることの多い先生でもある。そういえばウディ・アレンの映画も英語が難しいんだよなあ・・・。
教科書は、Kenneth Meierの「Applied Statistics for Public and Nonprofit Administration」を用いる。しかし私は本書を購入せず(安価な古本が手に入らなかったという情けない理由)、副読本であるRon Larson & Betsy Faberの「Elementary Statistics: Picturing the World」を所持するのみである。でもまあ、週3回のレクチャー、月1回ペースのプロブレム・セットと計3回の中間・期末テスト、4~5人でチームを組んで分析を行うグループ・ワークなどを通じて理解は否応にも深まるので、結果的には教科書がなくても何とかなった。もちろんあるにこしたことはないけれど。
あなたがGSPPに入学される方で、これまで統計ソフトStataに触ったことがないというのであれば、日本語の解説本を(事前に読む必要はないので)持参しておくと良いかもしれない。私も持ってくれば良かったと思っている。
(2013年1月26日追記: 冬休み中に日本に帰国した研究者の方にお願いして、松浦寿幸の「Stataによるデータ分析入門」を買ってきていただいた)
<政治学(Political Analysis and Agency Management Aspects Of Public Policy)>
必修科目。週5時間。前半はゲーム理論(Assurance game, Chicken game, Prisoners' Dilenma)やマックス・ウェーバーの「Class, Status, and Power」をはじめとして、政治学に係る理論が広範に(悪く言えば雑多に)レクチャーされ、ケースを用いたディスカッションやポリシー・メモ(例:テキサス州オースティンにおける化学プラントの建設計画に反対する市民団体。彼らは目標達成に向けてどのような戦略を取るべきか?)を通じて理解を深めるという授業である。
後半は交渉学にも重点が置かれ、約1カ月をかけて行われる「Budget Project」が授業全体の山場となる。これは、各生徒が与野党議員や報道陣の役を割り当てられ、最終日の模擬国会(例年真夜中まで開催される)で予算案を成立させるためにあの手この手の交渉を繰り広げるという、GSPPの名物プロジェクトである。アメリカ政治に疎い私にも大変に面白く、いろいろと思うところがあったので、これについてはまた別の機会に詳述したい。
ところで、GSPPの学生はアメリカ政治に対する造詣がもとより深く(政治家志望のクラスメートだっているのだ!)、飲み会などのインフォーマルな場でも突っ込んだ政治の話題でしばしば盛り上がる。そんな彼らに、知識面でも英語力でもアドバンテージを取れないつらさ。大げさな表現を使えば、これは「留学生殺し」の授業である。チリ人のクラスメートはそのあたりを機敏に察知し、他学部の政治学の授業に逃げていた(必修科目ではあるんだけど、そこはアメリカの大学、交渉の余地は大いにある)。
授業は、安楽椅子探偵のような風貌のJohn Elwood教授と、精力剤のコマーシャルに出演しても違和感のなさそうなHenry Brady学長(いや、失礼なことを言っちゃいけないな。すみません。忘れてください)の両名のリードで進められる。噂によると、John Elwood教授は今年度で引退、来年度からは若手の女性教授の受け持ちとなるらしい。あくまで噂ですが。
教科書は、Roger Fisherの「Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In」、John Kingdonの「Agendas, Alternatives, and Public Policies, Update Edition, With an Epilogue on Health Care」、Thomas E. Mann and Norman J. Ornsteinの「It's Even Worse Than It Looks: How the American Constitutional System Collided With the New Politics of Extremism」、そしてAllen Schickの「The Federal Budget: Politics, Policy, Process」の4冊。これに加えて、合計700ページくらいの関連書籍や論文を読まなくてはならない。うーん、なかなかの「留学生殺し」でしょう?
でもまあ、実のところ、全部読みきれなくても死ぬことはない。大事なのは、要点を掴むこと、あるいは要点を掴むという名のもとに飛ばし読みをすることである。この授業を受けようとされる方は、アメリカ政治に関する書籍を何冊か読んでおくことをお薦めしたい。実際私は、渡米前に経済学よりも政治学の予習をやっておくべきだったと後悔した。
<リーダーシップ論(Public Leadership and Management)>
必修科目。週4時間。リーダーシップ論というのは、わりに「言ったもん勝ち」な世界であると私は思っていて、なぜなら絶対の正解がない代わりに絶対の不正解もないからである。人間の数だけ人生観があるのと同じように、そこには無数のリーダーシップ論がある。浜の真砂は尽きるとも、世に自己啓発本の種は尽きまじ。
その点、GSPPの看板教授であるRobert Reich氏は、この授業を受け持つ上で最適の人物と言えるだろう。元労働長官かつ現ベストセラー作家の語るリーダーシップ論とはいかにも魅力的で、工学部やMBAなどからも履修希望者が相次ぎ、最初の数回は立ち見が出たほどである。
授業では、ケースや雑誌の記事をもとにしたディスカッションなどを通じて、ライシュ教授独自のリーダーシップ論が展開される。読書家で知られる教授だけあって、リーディングの素材がまず興味深いし(例:南米で放映されたソープオペラは、女性の性意識をどのように変えたか?)、話のうまさも名人芸さながらだ。後半には10人程度のチームを組んで「世の中を良くするための」プロジェクトを立ち上げ、その経過をプレゼンするという構えになっている。
授業で扱った内容のうちひとつ印象深かったのは、「ストーリー(物語)を語ること」の重要さである。ストーリーは、人の関心を引き付け、記憶に長く留まりやすい。そして優れたリーダーは、ストーリーの力をうまく使う。オバマ大統領しかり、キング牧師しかり。彼らは私的なストーリーを効果的に持ち出すことができたからこそ、人々の行動を喚起することができた(=リーダーシップを発揮できた)という。
なるほど、と私は思った。確かに、理屈としては正しい言葉をあれこれ並べるよりも、体温のあるストーリーを使った方が相手の心に食い込んで物事がうまく回る場面って、現実の仕事でも結構ある。
教科書ではないものの、履修前に読むべき課題図書としてAdam Hochschildの「Bury the Chains」が挙げられている。これは、奴隷制度の廃止に歴史的貢献を果たしたイギリスの若者について書かれた、フィクションのような吸引力を持つノンフィクションだ。この本をリーダーシップ論の文脈で推薦してくるあたりに、私はライシュ教授のセンスというか、知識人としての厚みを感じた。
<特別セミナー(Policy in Action Speaker Series)>
選択科目。週1.5時間。GSPPでは大学院生が授業を企画できるというシステムがあって(面白いですね)、これはそのひとつに位置づけられる。公共政策の各分野で活躍するプロフェッショナルから話を聞くという、あまり肩の凝らないセミナーだ。
テストも教科書もない1単位の授業なので、その負担の軽さは前述の必修科目とは比べものにならない。でも、サンフランシスコ市の役人が世界でもあまり例のない渋滞税の導入を検討中という話をしたり、ランド研究所(米国最大の政策系シンクタンク)の研究者がマリファナの合法化に関する経済的影響について話をしたりと、面白いネタが全方位的に飛んでくるから油断はできない。
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いまこうやって振り返ってみて気がついたのは、3か月前にはできなかった(わからなかった)ことが、それなりにできるように(わかるように)なってきているのだな、という手ごたえだ。英語を筆頭に、できないことの方が依然として圧倒的に多い事実については、ひとまず目をつぶっておこう。バークレーの日差しがまぶしいことにして。